諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

幽霊はタイムトラベラーなのではないか?

2018年09月21日 04時37分21秒 | 霊体・恐怖
以前、「幽霊との対峙」と言う記事を書きました。

私が神を実感したくて丑三つ時に神社を参拝してみようと考え、その第一回目として近くの征夷大将軍を祀る神社へと足を運び、その最初で出会ったのです。詳しくは「幽霊との対峙」を読んでみてください。

これは私が38歳の時でしたから、もう16年も前になります。この幽霊との対峙で今までの考え方が覆りました。幽霊は霊体ではない。肉体を持つ個体なのだと。

確かに霊体や気体ではない。しっかりとした肉体を持っていた。しかし、私が後ろを向いて直ぐに消えた。2秒も経っていないのに。

煙のような気体ではない。ちゃんと肉体を持っていた。其れなのに消えた。これはどう言う事なのか。

確かに間違いなく消えました。2メートルも離れていない距離で対峙していたのです。走って逃げれる訳が無い。音もせずに消えたし。

これはあの場所から離脱した。姿が見えなくなったと言うより別の空間へ行った。気配も消えたのでそうとしか思えないです。

幽霊は男でした。菅原文太似。歳は50歳前後。少々濃いアイボリー色の麻??の長ズボンに白の長袖開襟シャツの姿でした。

あの姿は横溝正史シリーズに出て来る刑事が着ている感じです。現代であんな格好をしている人は少ない。多分、昭和初期から戦後直ぐ辺りの時代の人物だと思います。

そしてその幽霊は瞬きを一切せず私を見た。現代の私を見た。これってタイムトラベルしている事になりませんか。

私は彼を間違いなく幽霊だと断定しています。今に生きる人ではない。でも私を見た。現代の私を見た。これって凄い事ではないでしょうか。

私が死ぬ。成仏しなかった。それでちょくちょく現代に現れる。これって不幸な事なのか。どうなのだろう。

未来を見続ける事が出来る。これって素晴らしい気がしないでもない。ホント、どうなのだろう。

現世に未練がある。これって悪い事なのか。

天国や地獄なんて誰も分らない。生まれ変わる事も分かっていない。でも、死んだ者が此の世に現れる。

過去、肉体を持っていた者が、また肉体を纏って現れる。生と死の境界性を越えて現代に現れる。これは私、事実として確信した。

でも現世を見た幽霊の気持ちはどうなのだろうか。また生命を持ちたいと思っているのだろうか。生きている人間が羨ましいのだろうか。自由に消える事が出来る肉体で普通に暮らしているのだろうか。

こんな事、死んだ幽霊にならなければ分らないですね。

でも私、多分、成仏出来ないと思う。物凄い恨みを持っているし。

勿論、それを抑えている。でも死んだら抑える必要が無くなる。私も祟り霊になるのだろうか。

あの幽霊は私を歓迎していなかった。敵意が感じられた。恨みを持って死ぬと言う事は、あの姿を意味するのだろうか。

うーん、分らず。こればっかりは死んで見ないと分りそうにない。

でも、生きている間は考え続けようと思う。

何の意味も無い事だとしても。


ではでは。
コメント (4)
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