続きます。
家庭菜園だと思った場所。飾り門??を潜ると直ぐに盛り土が目に入った。芝生の盛り土だ。大きな饅頭の様な形をしている。周りには小さな花がポツポツと植えられている。洋花だろうか。
盛り土の手前に100均で売っている様な線香置きが有る。その両脇にも安っぽい花立??に花が刺してある。
そしてその線香置き場の上に何故か小さな女の子の人形の首が。何だこれゃ。
盛り土の脇の石碑には「瀧夜叉姫の墓 仏名・如蔵尼」とある。ここが五月姫の墓なのか。
盛り土の後ろの石碑には「嗚呼 瀧夜叉姫の墓」としつこく書いてある。嘘だろ、ふざけてる。
「瀧夜叉姫」の名は小説での名前。いくら瀧夜叉姫の名前が知れ渡っていると言って本名を墓に彫らず、小説での仮名を墓碑に彫るなんて何を考えているのだ慧日寺は。ちゃんと墓として認識しているのか。
五月姫の墓を客寄せパンダにしているのか。呆れたぞ、慧日寺よ。
あれれっ、そうだ。ここが五月姫の墓であるなら、その慧日寺はどこに行ったのだ。慧日寺に五月姫の墓が有るのはちゃんと調べて来た。間違いない筈。何でその慧日寺は無いのだ。
辺りを見渡す。広大な平地。ところどころ小さな植木が植えてあるが、不自然な程広い平地である。
これだけの平地であるなら何で畑を作らないのだろう。それ以前に何で木が生えていないのか。
四倉や久之浜はいわき市でも一番地震と津波の被害が酷かった。震度7だったとの話も聞いている。
ここに来る前にネットで慧日寺の写真は確認している。慧日寺が存在しているのは間違いない。
なのに五月姫の墓が有るのに慧日寺の建物が無い。それってもしかしたら地震で全壊となり取り壊されたのではないのか。
震災から6年半が経っている。ここも草ボカ状態。全然手入れがされていない。あり得る。慧日寺は震災で崩れ落ちて無くなったのだ。再建は不可能となり消えた。そうに違いない。
どうしよう。先ずはお参りだ。ここに五月姫の墓が有るのだから。
ここで、ふっと思った。墓参りなのだから白い菊の花と線香と水が必要。私は何時もの神社参りの感覚で小銭しか持って来ていない。失敗した。どうしよう。
「しょうがない。神社は神が鎮座する場所。墓もそうだ」と考え、線香置き場の前に小銭を置いた。その時、人形の首と目が合う。これってふざけているのか。でも、何かが宿っている感じがする。
私はこの人形の首を五月姫として拝んだ。「申し訳ございません」と。
私の家系を辿ると平貞盛が出てくる。従兄か従弟かは分からんが、平将門公のイトコである。仲が良かった。それでも戦った。そして平将門公を討った。
同じ家系。同じ血が流れているのに戦った。父の平国香が将門公に討たれたとしても非は平国香側にある。不在を良い事に将門公の領地を奪い、戻って来た将門公を待ち伏せして戦を仕掛けたのだから。
血塗られている。坂東平氏は富と権力ばかり考えている。だから滅びた。肉親同士で争ったら滅びるのも当然だ。馬鹿な一族だ。
その馬鹿の血が私に流れているのだろう。その因果は何時も感じている。私は加害者側の家系。私の家系のせいで五月姫は苦しんだ。面白おかしく瀧夜叉姫と呼ばれ、妖術使いの鬼女に落とされた。そうなったのも私の家系のせい。同じ血が流れているのに。
謝るしかない。それしかない。
私は土下座して拝み、立ち上がった。
それにしても、ここは本当に五月姫のお墓なのだろうか。
五月姫の墓は福島県磐梯町の慧日寺にもある。他にも存在する。本当にこの盛り土に五月姫の骨が埋められているのだろうか。
「嗚呼、瀧夜叉姫の墓」。「嗚呼」って「強く感動、感嘆」と言う意味。これって客寄せを狙っているのか。町おこしか。慧日寺の人気取りか。
五月姫は約1200年位前に亡くなっている。1200年間、ここに埋められていたのだろうか。何で盛り土の墓なのだろう。その時代の墓は盛り土だったのだろうか。
それより、本当に慧日寺はどこに行ったのだ。どうしよう、これから。
ここが本当に五月姫の墓なのかは不明だが、真摯な気持ちで五月姫に詫びた。今日はそれで十分ではないか。
また調べよう。そして時を改めて慧日寺を探そう。磐梯町の慧日寺にも行ってみよう。
まだまだ懺悔の旅を続けよう。それしか私にはないから。
【2018年編】に続く。
家庭菜園だと思った場所。飾り門??を潜ると直ぐに盛り土が目に入った。芝生の盛り土だ。大きな饅頭の様な形をしている。周りには小さな花がポツポツと植えられている。洋花だろうか。
盛り土の手前に100均で売っている様な線香置きが有る。その両脇にも安っぽい花立??に花が刺してある。
そしてその線香置き場の上に何故か小さな女の子の人形の首が。何だこれゃ。
盛り土の脇の石碑には「瀧夜叉姫の墓 仏名・如蔵尼」とある。ここが五月姫の墓なのか。
盛り土の後ろの石碑には「嗚呼 瀧夜叉姫の墓」としつこく書いてある。嘘だろ、ふざけてる。
「瀧夜叉姫」の名は小説での名前。いくら瀧夜叉姫の名前が知れ渡っていると言って本名を墓に彫らず、小説での仮名を墓碑に彫るなんて何を考えているのだ慧日寺は。ちゃんと墓として認識しているのか。
五月姫の墓を客寄せパンダにしているのか。呆れたぞ、慧日寺よ。
あれれっ、そうだ。ここが五月姫の墓であるなら、その慧日寺はどこに行ったのだ。慧日寺に五月姫の墓が有るのはちゃんと調べて来た。間違いない筈。何でその慧日寺は無いのだ。
辺りを見渡す。広大な平地。ところどころ小さな植木が植えてあるが、不自然な程広い平地である。
これだけの平地であるなら何で畑を作らないのだろう。それ以前に何で木が生えていないのか。
四倉や久之浜はいわき市でも一番地震と津波の被害が酷かった。震度7だったとの話も聞いている。
ここに来る前にネットで慧日寺の写真は確認している。慧日寺が存在しているのは間違いない。
なのに五月姫の墓が有るのに慧日寺の建物が無い。それってもしかしたら地震で全壊となり取り壊されたのではないのか。
震災から6年半が経っている。ここも草ボカ状態。全然手入れがされていない。あり得る。慧日寺は震災で崩れ落ちて無くなったのだ。再建は不可能となり消えた。そうに違いない。
どうしよう。先ずはお参りだ。ここに五月姫の墓が有るのだから。
ここで、ふっと思った。墓参りなのだから白い菊の花と線香と水が必要。私は何時もの神社参りの感覚で小銭しか持って来ていない。失敗した。どうしよう。
「しょうがない。神社は神が鎮座する場所。墓もそうだ」と考え、線香置き場の前に小銭を置いた。その時、人形の首と目が合う。これってふざけているのか。でも、何かが宿っている感じがする。
私はこの人形の首を五月姫として拝んだ。「申し訳ございません」と。
私の家系を辿ると平貞盛が出てくる。従兄か従弟かは分からんが、平将門公のイトコである。仲が良かった。それでも戦った。そして平将門公を討った。
同じ家系。同じ血が流れているのに戦った。父の平国香が将門公に討たれたとしても非は平国香側にある。不在を良い事に将門公の領地を奪い、戻って来た将門公を待ち伏せして戦を仕掛けたのだから。
血塗られている。坂東平氏は富と権力ばかり考えている。だから滅びた。肉親同士で争ったら滅びるのも当然だ。馬鹿な一族だ。
その馬鹿の血が私に流れているのだろう。その因果は何時も感じている。私は加害者側の家系。私の家系のせいで五月姫は苦しんだ。面白おかしく瀧夜叉姫と呼ばれ、妖術使いの鬼女に落とされた。そうなったのも私の家系のせい。同じ血が流れているのに。
謝るしかない。それしかない。
私は土下座して拝み、立ち上がった。
それにしても、ここは本当に五月姫のお墓なのだろうか。
五月姫の墓は福島県磐梯町の慧日寺にもある。他にも存在する。本当にこの盛り土に五月姫の骨が埋められているのだろうか。
「嗚呼、瀧夜叉姫の墓」。「嗚呼」って「強く感動、感嘆」と言う意味。これって客寄せを狙っているのか。町おこしか。慧日寺の人気取りか。
五月姫は約1200年位前に亡くなっている。1200年間、ここに埋められていたのだろうか。何で盛り土の墓なのだろう。その時代の墓は盛り土だったのだろうか。
それより、本当に慧日寺はどこに行ったのだ。どうしよう、これから。
ここが本当に五月姫の墓なのかは不明だが、真摯な気持ちで五月姫に詫びた。今日はそれで十分ではないか。
また調べよう。そして時を改めて慧日寺を探そう。磐梯町の慧日寺にも行ってみよう。
まだまだ懺悔の旅を続けよう。それしか私にはないから。
【2018年編】に続く。