諸行無常なる日々。或いは鬼渡神と神々の源流。

呪われた家系を生きる私の人生観や日常。それに立ち向かう為の神道的な考え。そして因縁の鬼渡神、神々の源流について考えます。

今、仙台は震度4。

2024年03月15日 00時36分06秒 | 東日本大震災
あっー、鬱が酷いのに今、震度4の地震が発生。3階だから結構揺れた。何時もの様に液晶テレビに走り手で押さえた。地震は45秒ほどだが長く感じた。

地図で震源地を見ると私の故郷、福島県いわき市沖じゃないか。震度5弱じゃないか。

分かっているんだよ。3.11以降、3月に地震が集中するのは。2年前も仙台に震度6強が来たし。

それにしても鬱+地震はキツイ。鬱Maxになる。また薬飲んじゃったよ。そして「止めてください、止めてください。止めてください、止めてください」と連呼。

こう声に出して連呼して地震の神にお鎮まりを願うと、収まると私は思っている。狂人と思って貰って結構だが。

何か、段々、震源地が下がってきている感じがする。次は茨城。その次は千葉。そして最後に関東大震災が来るのではないか。

これを知る人は少ないと思うが、関東大震災は長年、強弱を繰り返して発生している。

実は前回の関東大震災は弱だったのである。次に来るのは強なのである。

今の地震、余震じゃないよね。仙台は地震のメッカだから心配だよ。バッキィー、ガッシャン、ガッシャン、ガッシャンと来ないよねぇー。

地震は嫌だねぇー。

何かもう、寝られないよ。本当に地震は嫌だねぇー。


ではでは。


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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その12

2024年03月13日 20時59分28秒 | 神道
計画性の無いまま続きます。

話を塩竃神社に戻します。塩竃神社にはも境外末社として多賀城市に荒脛巾神社が鎮座しています。

祀っている神様、気になるでしょ。何と塩土老翁と塩土老女となります。塩土老女って神道に詳しい人でも聞いた事無いでしょ。私もビックリしました。

荒脛巾神社は福島県の会津にもありまして、やはり塩土老翁や金山彦神・金山姫神が祀られています。

金山彦神・金山姫神を祀ると言えば、宮城県では金華山黄金神社が有名です。仏号は弁才天となります。これ、「荒脛巾神=弁才天」と考えて良いと思います。

実は関東にも荒脛巾神社はあります。氷川神社の境内社としてです。

そして祀られている神は手名稚尊・足名稚尊。手っ取り早く言えば、手長足長と言って良いでしょう。

阿須波神・波比岐神を祀る鬼渡神社は会津に集中します。

そして会津と言えば磐梯山。1800年代に大噴火して490名が亡くなっている厄役山と言えますが、その頂上には磐梯明神として手長足長が祀られています。

そう、鬼渡神は厄が多い地に祀られているのです。

鬼渡神である阿須波神と波比岐神ですが、荒脛巾神は波比岐神を示していると思います。

阿須波神が志波彦神であるなら、塩竃神社では波比岐神は荒脛巾神として離して祀っている。一緒に祀ったらより強力になると考えたのでしょうか。

鬼渡神社は福島県にのみ存在しますが、宮城県には二渡神社として存在します。仏号は仁和多利権現。仙台では縁結びの神として有名な二柱神社も神仏習合時代は仁和多利権現と呼ばれていました。

そして二渡神社は南三陸や牡鹿半島に六社もある。祀られている神は二柱神社同様、伊弉諾尊・伊弉冉尊となりますが、これは田村麻呂時代、或いは源平時代に変えられたと考えます。

田村麻呂の戦も源氏の戦も侵略戦争したのでしょう。です。それでは悪者となってしまう。そこで蝦夷が祀っていた神々を伊弉諾尊・伊弉冉尊に変え、侵略戦争は国産みの儀式だったと苦しい言い訳をしたのでしょう。

ってな事を書くと二柱神社や二渡神社の関係者には申し訳ないですが、私はそう考えております。


続く。



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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その11

2024年03月12日 23時21分27秒 | 神道
鬱が酷いですが続きます。

志波彦神とは何者なのか。

宮城県には大崎市と栗原市に二社の志波姫神社が鎮座しています。

大崎市の志波姫神社の祭神はアメノウズメ命。栗原市は木花咲耶姫尊となります。不思議な事に志波彦神とは並んで祀られている神社は存在していません。

アメノウズメ命の夫は猿田彦尊。実は以前、大崎市の志波姫神社のホームページで祭神・アメノウズメ命(猿田彦尊)と記載していたと記憶しています。

どう言う事かと悩みましたが、私が記事にしてから(猿田彦尊)は何故か落とされました。

実は塩竃神社の伝承では塩土老翁は猿田彦尊であるとされています。

そして元塩竃神社と言える鼻節神社は猿田彦尊を祀っているのですが、以前に木花咲耶姫を祀っていた時代があります。

何故、似ても似つかない猿田彦尊と木花咲耶姫命が入れ替わったのか謎です。鼻と花しか共通点は無いです。

それ以上にアメノウズメ命と木花咲耶姫命との共通点も謎。

一つ考えられるのは塩竃神社の神紋・塩竃桜でしょうか。木花と言えば桜ですから。

そして「志波(しわ)」の意味は「皺、塩、柴、島」の説がある。柴神は道祖神と言えるし、猿田彦尊の道祖神となる。本来は岐神信仰の神社だったと言えるのではないか。

これは全部、塩竃神社に関連する。塩土老翁だから塩、老翁で皺、志波彦神が阿須波神であるなら柴、そして塩竃神社は松島に面しているので島。

ここでふと変な事を考えたのだが、木花咲耶姫命を主祭神とする栗原市の志波姫神社は以前、伊豆権現と呼ばれていた。

伊豆権現と言えば伊豆大権現を祀る伊豆山神社。北条政子と源頼朝の縁結びの神社。

そこから考えると似ているのである。アマノウヅメ命・猿田彦尊の夫婦神と、北条政子・源頼朝夫婦との関係が。

これは記紀では稀なケースですが、嫁のアメノウズメ命は天津神、夫の猿田彦尊は国津神となります。通常は天津神に侵略された国津神は政略結婚的に花嫁になるのが主流です。

そして北条政子は平家。源頼朝は源氏。

猿田彦尊は比良夫貝にてを挟まれて溺死した。比良夫貝はタイラキ、つまり平貝の一種。

私はかねてから源頼朝は北条氏、つまり北条政子に暗殺されたと考えているが、比良夫貝が平貝であるのであれば、平家の北条政子に殺されたと言える。

アメノウズメ命の場合、天孫降臨で猿田彦尊に会った時、帯が解け胸と性器が露わになっていた。天岩戸の前では性器を露わにして踊っている。

猿田彦尊の鼻は男性器を示しているとするならば、猿田彦尊は色仕掛けでアメノウズメ命に殺された。北条政子・源頼朝の場合も色仕掛けで殺された可能性は十分にある。

源氏は東北を制圧した。田村麻呂同様、源頼朝は神格化されるべき人物である。しかし、北条政子に殺されたとあっては哀れであり滑稽。

これはもしかしたら北条政子と源頼朝を祀る意味合いで、アメノウズメ命(猿田彦尊)としたのではないか。

うーん、やっぱり鬱だ。変な事を考えてしまった。私のHSPも限界に来た様だ。

今日、またクルマをぶつけちゃったし。


続く。












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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その10

2024年03月11日 18時45分18秒 | 神道
今日は3.11。私の人生を一変させた日です。テレビで3.11の特集ばかりやっていて、分かってい入るのですが視てしまい鬱が酷いです。続きます。

さて、桜の花びら。

桜の字を社名に入れている神社、桜の花びらを神紋にしている神社は多くあります。塩竃神社も「塩竃桜」と言う神紋です。境内に桜の木を植えている神社も大変多いです。

桜と言えば木花咲耶姫が思い浮かびます。木に咲く花と言えば桜が浮かびますし。

スピリチュアル界では「木花咲耶姫=瀬織津姫」との考えから、桜のピンク色と水色を「セオリツカラー」と呼んでいます。私、こう言う言い回し大嫌いです。まっ、スピリチュアル女性はうっとりするのでしょうけど。

「桜」に戻ります。

神社にとって「桜」とは何なのか。それは御利益の印だと言えます。「桜の花びら」は眷属を表しているので。

疱瘡は「桜の花が一斉に咲いて、一斉に花が散るが如く広がる」と呼ばれています。そう、「桜の花びら」は疱瘡神の眷属を表しているのです。

つまり、桜がテーマとなっている神社は、少なからず疱瘡神に関わりを持っている。私はそう考えています。

しかもです。

塩竃桜が神紋の志波彦神社・塩竃神社はどうなのか。私の考えでは桜は志波彦神を表していると思います。

疱瘡神とは大歳神や素戔嗚尊を指します。志波彦神が阿須波神であるなら、親は大歳神と天知迦流美豆姫。天知迦流美豆姫は歳徳神とも呼ばれてます。どちらも歳神。二神一体で大歳神だと言えます。

しかもです。塩竃神社の境内には「撫で牛」の像がある。牛は撫でられると細長いゆだれを流す。だから商売が細く長く続く様にと撫でるのです。

私とは考えが違います。祀られている志波彦神である阿須波神を抑える為に、陰で素戔嗚尊ほ祀っている。私はそう思います。

阿須波神は「庭神、柴神、にわとりの神、旅たちの神」とか言われてますが、一言で言うと境界線の神です。

境界線。それは生と死も境界線。性交も境界線です。生と死の神。

それが阿須波神です。


続く。












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日本のど真ん中に鎮座する鬼渡神。その9

2024年03月10日 17時25分03秒 | 神道
続きです。

一番重要視されるのは、モレの一族である荒蝦夷が塩竃に志名彦神こと阿須波神を祀ったのか。そして熟蝦夷達が信仰していたであろう鹿島神宮・香取神宮の地主神が、阿須波神だと考えられるのか。

それは地震による津波を恐れていたからではないのか。

鹿島神宮・香取神宮には要石を置いて、地震を起こす鯰を抑え込んでいる。数日前にもこの地域で震度4の地震が発生したが、この地にも東日本大震災で津波が発生している。

塩竃神社では地震や津波で陥没して出来た松島に面している。松島に接している七ヶ浜には多くの古墳が残っているが、松島にも多くの古代人が生活していて、一瞬で命が奪われてしまったと思われる。

実は塩竃神社に隣接して浪切不動尊が建立されている。これは「ここまで津波が来た」と言う意味でもある。浪切不動尊は松島町にも存在する。

この浪切不動尊とは何者なのか。

仏教・修験道は神道を蔑視ている面がありますが、本来は神道の枝葉です。浪切不動尊は神道の神である可能性はある。そして仙台市若林区には浪分神社が鎮座している。お稲荷様とウガヤフキアエズ尊が祀られている。

浪分神社にはその神社名の由来が残っています。

津波が襲ってきた時、白馬に跨った海神が現れ、剣にて波を切り津波を防いだとされています。

この海神とは誰なのか。

浪分神社に祀られているお稲荷様ではないでしょう。ではウガヤフキアエズ尊が海神なのか。

ウガヤフキアエズ尊の父は山幸彦。母は海神・豊玉彦命の娘である豊玉姫命。

山神の父と海神系の母を持つウガヤフキアエズ尊は純なる海神とは言えない。

では、誰なのか。

海神は白馬に跨っていた。私、知っています。白馬に跨っている神を。それは志波彦神です。

七北田川はその昔、冠川と呼ばれてました。

由来は志波彦神が白馬に跨って川を渡っていた。その時、白馬は川石に躓き、頭の冠を川に流してしまった。だから冠川と呼ばれています。

それに怒った志波彦神は家来の神々に川石を全て退かした。その川石は現在の石留神社の場所に置かれたとされています。

因みに狩野英孝の実家・桜田山神社に祀られている武烈天皇が、石留神社に祀られたている伝承が残っています。

因みに1500年前、狩野英孝の先祖が武烈天皇に仕えていた。武烈天皇が亡くなった後、この地に逃れてきたと聞いています。

っと言う事は武烈天皇は志波彦神の家来の神となるのでしょうか。

それは分かりませんが、桜田山神社の「桜」の文字が私には引っ掛かります。


続く。





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