今日、八王子でも例年より10日早く、染井吉野が開花したそうです。
近くのお花見ポイント富士森公園、先週は彼岸桜が咲きましたが、
もう染井吉野も咲きだしたのでしょうか。
今日は大野誠夫の『行春館雑唱』を読み、『無頼の悲哀――
歌人大野誠夫の生涯』を途中まで読み、東京歌会の歌を投函。
明日は墓参。
桜の花の歌を探しました。
意外なことに、斉藤茂吉『白き山』(1949)には1首のみ、
大野誠夫『行春館雑唱』(1954)には8首。
敗戦後傷ついた心と体を癒した最上川のほとりで詠まれた『白き山』、
種々の花の歌は多いのですが、ことさら桜を避けているようにも思えます。
金線草(みづひきぐさ)、牡丹、稲、躑躅、萩、向日葵、韮、胡麻、
蕎麦、桜桃、李、胡桃、谷うつぎ・・こんなにある花のうち、
桜は1首だけなんて、不思議です。
角館 六月十九日
・春ごとにしだり桜を咲かしめて京(きょう)しのびしとふ女(をみな)ものがたり
この歌の「ものがたり」とは?

角館武家屋敷通りの枝垂桜
(HPより引用)武家屋敷の黒板塀に映え、見事な景観を醸し出す枝垂れ桜。
その歴史は古く、今からおよそ320年前の藩政時代にさかのぼります。
角館佐竹家の二代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から
持ってきた嫁入り道具の中にあった3本の桜の苗木。
それが元になり長い年月を受け継がれ、
今日まで残る「角館の枝垂れ桜」になったと伝えられています。
現在450本ほどある枝垂れ桜の中で、
152本が国の天然記念物に指定されています。・・
おお、なんて素敵な「ものがたり」!
桜の中では、山桜、八重紅枝垂が好きです。
角館の枝垂桜を見てみたいと思いました。
大野誠夫『行春館雑唱』、最初の結婚の破綻から、
2度目の家庭をもち子の誕生を待つまでの幸せの予感で終わっています。
仕事上の旅の歌も多く、折々の各地の自然の姿も多く詠われています。
・まぼろしに桜照る山雪つもる枝は絶えまなく雫を落とす
・山裾におそき桜は照りながら茫々としてはるかなる眉
・長き長き冬を背負ひきて波音のきこえぬ庭に桜はひらく
・雪ふれる泉のほとり花ひらく桜の枝はいまだ幼し
・眼の青き子を連れてゆく学校のさくらの下に母たちは寄る
・桜見にゆきてあそぶと父のなき子の金髪にリボンを結ぶ
・たそがれのながき森かげに餘花白く生きゆくなべて錯誤のごとし
・晩年のため桜植ゑむおのづから回想のみに生きる日は来む
桜を詠みながら、桜は自らの愛でありまた自分の境涯を重ね合わせています。
近くのお花見ポイント富士森公園、先週は彼岸桜が咲きましたが、
もう染井吉野も咲きだしたのでしょうか。
今日は大野誠夫の『行春館雑唱』を読み、『無頼の悲哀――
歌人大野誠夫の生涯』を途中まで読み、東京歌会の歌を投函。
明日は墓参。
桜の花の歌を探しました。
意外なことに、斉藤茂吉『白き山』(1949)には1首のみ、
大野誠夫『行春館雑唱』(1954)には8首。
敗戦後傷ついた心と体を癒した最上川のほとりで詠まれた『白き山』、
種々の花の歌は多いのですが、ことさら桜を避けているようにも思えます。
金線草(みづひきぐさ)、牡丹、稲、躑躅、萩、向日葵、韮、胡麻、
蕎麦、桜桃、李、胡桃、谷うつぎ・・こんなにある花のうち、
桜は1首だけなんて、不思議です。
角館 六月十九日
・春ごとにしだり桜を咲かしめて京(きょう)しのびしとふ女(をみな)ものがたり
この歌の「ものがたり」とは?

角館武家屋敷通りの枝垂桜
(HPより引用)武家屋敷の黒板塀に映え、見事な景観を醸し出す枝垂れ桜。
その歴史は古く、今からおよそ320年前の藩政時代にさかのぼります。
角館佐竹家の二代目、義明の妻がお輿入れの際に京都三条西家から
持ってきた嫁入り道具の中にあった3本の桜の苗木。
それが元になり長い年月を受け継がれ、
今日まで残る「角館の枝垂れ桜」になったと伝えられています。
現在450本ほどある枝垂れ桜の中で、
152本が国の天然記念物に指定されています。・・
おお、なんて素敵な「ものがたり」!
桜の中では、山桜、八重紅枝垂が好きです。
角館の枝垂桜を見てみたいと思いました。
大野誠夫『行春館雑唱』、最初の結婚の破綻から、
2度目の家庭をもち子の誕生を待つまでの幸せの予感で終わっています。
仕事上の旅の歌も多く、折々の各地の自然の姿も多く詠われています。
・まぼろしに桜照る山雪つもる枝は絶えまなく雫を落とす
・山裾におそき桜は照りながら茫々としてはるかなる眉
・長き長き冬を背負ひきて波音のきこえぬ庭に桜はひらく
・雪ふれる泉のほとり花ひらく桜の枝はいまだ幼し
・眼の青き子を連れてゆく学校のさくらの下に母たちは寄る
・桜見にゆきてあそぶと父のなき子の金髪にリボンを結ぶ
・たそがれのながき森かげに餘花白く生きゆくなべて錯誤のごとし
・晩年のため桜植ゑむおのづから回想のみに生きる日は来む
桜を詠みながら、桜は自らの愛でありまた自分の境涯を重ね合わせています。