ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

万葉講座と藏田道子さん『Rendezvous』出版記念会

2010-03-05 22:21:10 | 短歌
万葉集巻十八4116―4121

家持の歌が続く。

部下の久米朝臣廣繩が会計報告の役目を終えて、
7ヵ月ぶりに京より帰ってきたのを歓迎する宴の歌、
長歌1首、反歌2首。

ホトトギスの歌1首、
上京の時のための予作(あらかじめ作る)2首。

偲ふ=賞美する、結(かた)ぬ=束ねる、
という古語を知りました。

4119 いにしへよ偲ひ(しの)にけれどほととぎす鳴く聲聞きて戀しきものを

        *

午後はメトロポリタンホテル25階レストラン「ポラリス」にて
万葉集の講座でご一緒の先輩、
藏田道子さんの第一歌集『Rendezvous』の
出版記念会が行われました。

出席者は約40名、テノール歌手のご子息雅之さんの
「落葉松(からまつ)」が披露されたり、自ら英訳をつけられた御歌を
ご所属の英詩朗読会のメンバーの方が朗読されたり、
なごやかで明るくよい会でした。

歌集『Rendezvous』より

・落葉松の歌は沁み入りわが裡の追憶の樹に秋雨降らす

I fill my heart quietly
With the song of “Karamatsu”-
The tree of my remembrance
Stands wet
In the rain.


日記のネタがない

2010-03-04 20:55:56 | 日常
・・という人がいるのですが、おもしろいかどうかは別として、
書くことは無限にあります。

家から一歩も出なくても、ネタなんて、
探せばたくさんころがってると思うんですが。

年末にはこちらが駐車場でぶつけましたが、
今日は仕事の帰りに車をぶつけられました。

家の近くにすれ違いのできない細い道路があり、
相互通行なので、どちらかが待っていなければいけないのですが、
見通しも悪いので、気づかずに突っ込んでくる車あり、
事情を知らず入り込んできてしまう車あり、
しょっちゅうトラブっています。

雨の夕暮なので、視界が悪く、気をつけて走っていたのですが、
前の車に続いてこの道路に進入したら、向こうからも進入してきて、
(こちらの方が先だったのですが)行き会ってしまい、立ち往生。

向こうの車からいかつい男が降りてきて、前の車を怒鳴りつけています。
前の車のおじさんは気が弱い人らしく、
こちらが明らかに先だったのに、バックして、
向こうの車を曲がらせようとするのです。
ある程度バックするのかと思ったら、
全然後ろを見ていないみたいで、ぐんぐん近づいてきます。

ええっ!(´・ω・`) !うそだろっ!

私の後ろにも車がいて、私はバックできません。
クラクションを思い切り鳴らしましたが、ごん!

たいしたことはなかったですが、後で確かめたらバンパーがずれてました。
傷はないみたいですが、暗くてよく分からないので
明日また確かめてみます。

気が弱いおじさんは人が良さそうな人だったけれど、
自分が悪くないのに、怒鳴られたからといってバックするなんて、
しかもその結果、女の私にぶつかっているんだから、どうなのよ。

名刺を要求したら、あやまりながら差し出して、
「全くああいうタチの悪いのがいるから困るよね」
なんておっしゃるけれど、そうなのかな。
「そうですね~」とはいいましたが。

私は女だけれど、自分が悪くなければ絶対にバックなんかしません。
「ごめんなさ~い、私バック下手だから、出来ないの~、
下がってくださるかしら~。」とか何とか。

おじさんよりも若いけれど、そのくらいの芸当はできます。
だから怒りもしませんけれど、同情もしません。

かくかように、日常にもネタはたくさんころがっているのです。
とほほ(泣)

国立博物館 早春の庭

2010-03-03 14:43:13 | 自然
お雛祭りだというのに、家には人形を飾っていないのです。
玄関に桃の花が挿してあるだけ。

せめてブログにはお雛様を。
しかし、お人形の写真はないので(笑)
昨日国立博物館本館に飾ってあった
お雛様の調度品を観ていただこうと思います。






まるでおままごとのような調度品ですが、
豆本から箪笥、食器にいたるまで、
本物と同じ技法で作ってあります。


国立博物館お庭の春の訪れです。


ユリノキと曙杉。




河津桜。

 
梅はもう散り初めています。


馬酔木。


柳の芽生え。


法隆寺宝物館前噴水。


法隆寺宝物館ロビーの眺め。
向こうの緑の丸屋根は表慶館(アジアギャラリー)


アジアギャラリー出口より。


上野公園の寒緋桜はまだ開ききっていません。


上野の雀ちゃんは人懐こい。
近寄っても逃げないので、撮影できました。
ごはんおいしい? うふふ。

ふたたび長谷川等伯「松林図屏風」

2010-03-03 12:40:42 | 美術
なぜ長谷川等伯「松林図屏風」を現代的に感じるのか?

疑問は疑問のまま帰ってきて、「別冊太陽」を読んでいたら、
鈴木廣之さんが「神品・『松林図』を描く」と題されて
松林図の成立の謎について述べられていて、参考になりました。

どうやら松林図はもともと屏風画ではなく、
もっと大きな障壁画の草稿として書かれたものらしいのです。
それは印が通常のものではないこと、
紙が薄手のものであり張り合わせ方が異例であること、
構図が屏風画としては不自然であることからの推測らしいのです。

鈴木さんはさらにその襖や壁貼り付けといった障壁画が
どのような場所に貼られる予定であったかを推測、
西と北の2面を直角に使い、
左隻右上の遠景雪山を中心とする構図であったであろうとされています。

松の木の配置も、屏風に貼りなおされたものは
松林が左右に広がる感じですが、
もともとは上下にずれているのでもっと変化に富んでいて、
雪山を中心とした奥行きが出ます。

そうなのか!(´・ω・`)
と思ったのは、草稿であったという点です。
緩みのない渾身の作でありながら、
草稿の未完成感が私をひきつけるのかもしれません。


松林図の描法については没骨描(もっこつびょう・・輪郭線を用いない)で
撥墨(はつぼく・・墨を撥ね散らかすように用いる)と
渇筆(かっぴつ・・生乾きの筆を擦り付けるように用いる)の技法が
目につくそうです。
画面に近づくと荒々しい筆致が見え、
ものの形は遠ざかることによって見えてきます。
ここからは鈴木さんの文章があまりに素晴らしいので
引用させていただきます。(p102)

「画面に近づいたり離れたり、何度も繰り返すと、墨と筆の痕跡がぎりぎりのところで、ものの形を維持しているのがわかってくる。松の松露はこの位置にないと、のたくる蛇のようにしか見えないのだろう。撥ねとんだ墨の飛沫や穂先の乱れが松の葉叢に見えるかどうかは疑問だ。
 ここではすべての形象が偶然性に依存している。描き直しの許されない水墨で、これほど大きな画面を破綻なく仕上げるには、筆のタッチの偶然性にかける大胆さと、暴走しがちな筆の動きを巧みにコントロールする繊細さを併せもつ、高度の技術と熟練が求められる。
 ・・草稿といえども、本番さながらの気迫をもって描き切らなけば、完成することのできない描法なのだ。」

日本画は何故こんなにも明るくて破綻なく完成されているのだろう
という疑問は以前からもっていて、
それは岩絵具の特性からくることなのだと教えられましたが、
その物足りなさを補って完全に満足させるものが
この画には感じられました。

荒々しい筆致を用いながら、
色彩豊かにきっちりと描き込んできた画面の密度が、
水墨を用いても表現されているのでしょう。

まず御舟のデッサンに惹かれたように、
目の動きがそのまま見えるような生き生きとした線が、
私は好きなのかもしれません。

長谷川等伯@東京国立博物館平成館、銀座の個展2つ

2010-03-02 23:00:00 | 美術
明け方、雨の音で目覚めました。
しばらく聞いて、今日は等伯を観にいこうと決めました。

以前、等伯の「松林図屏風」はどこかで観たことがあって、
心に残っていました。
まだ体力に自信がなくて、どうしようかと迷っていたのですが、
静かな雨音の向こうに松の木々が立っているような気がしたのです。

知り合いの個展も2つ、6日までに観にいかねばならないのです。
以前だったらあたりまえの欲張りツアーもすこし不安です。

上野駅で先にチケットを買ったところ
「チケットdeサービス」というパンフレットが! 
(´・ω・`) おお!
この国立博物館のチケットを見せると、JR上野駅隣接の「アトレ上野」で
割引やサービスが受けられるらしいのです。
上野にたどりついた時点でもう疲れているので、まず腹ごしらえだわ。
アトレ内のイタリアンレストラン「リモネッロ」へ。
カジュアルで入りやすいお店です。

パスタランチ「鹿肉のボロネーゼ」(パン、サラダ、ドリンク付)
¥1200が5%引きになります。
パスタにはルッコラが練りこんであって珍しく、
鹿肉は独特のお味で、味付けもはっきりしていて、おいしかったです。
お腹いっぱいで、これで等伯がどんなに混雑していても大丈夫(笑)

         *

長谷川等伯(1539―1610) 安土桃山時代の水墨、金碧画の絵師。
国立博物館平成館にて3/22まで。


「松林図屏風」(東京国立博物館蔵)、


「楓図壁貼付」「松に秋草図屏風」(京都・智積院蔵)
という国宝3点をはじめとして重要文化財が多数展示されています。
速水御舟に続いてあまり馴染みのない日本画ですが、
松林図は400年以上も昔の画なのに、
現代的に感じるのは何故なのでしょう。

能登七尾に生まれ信春の名で仏画を描いていた等伯は、
30代で京都に上り、画の研鑽を経て(狩野派で金碧画を学んだ?)
50代から有力な寺院などの大きな仕事で名を成しました。
50代半ばで後継の息子を亡くし、この頃、
松林図を描いたのではないかといわれています。
国宝3点、水墨画の松林と金碧画はずいぶん印象が違いますが、
いずれも円熟期50代に描かれているそうです。

61歳で息子の死を悼んだ「仏涅槃図」を描いています。
72歳江戸に上る途中病を得て到着後二日で死亡。

制作年のわかっているものもあれば、
国宝になっているのに制作年の不明な松林図もあり、
消失しているものもあり、長谷川派は息子の死で途絶えてしまった
らしいのですが、400年経ると不明な点も多くなるのでしょうか。

第一会場で一番気に入ったのは、六曲一双「萩芒図屏風」。

国宝・重要文化財目白押しのこの展覧会で、
この屏風は何でもないのですが、観ているうちに涙が出てきました。
右隻は白萩、左隻に芒と野菊が描かれています。
他の絵と同様、金地は輝きを失い、風に吹かれる萩と芒と野菊は
絵の具の色も褪せています。
力で押してくる構図ではないだけに引き込まれ
「私はここにいた」という感じがするのです。
松林図と似ているのかもしれません。
まるで絵の中を歩いているような、昔、その中にいたような感じがする。
絢爛豪華な金碧画「楓図壁貼付」「松に秋草図屏風」
では感じなかったことです。

第二会場の水墨画が圧巻で、大徳寺所蔵の牧谿(もっけい)の水墨画を
50代で研究してからの大胆かつデリケートな表現は「松林図屏風」に
つながるものがあります。
色彩はもともと仏画で高価な絵具をもふんだんに使い
得意とするところであったのでしょうが、
水墨の濃淡の世界もその色彩感覚が生かされていたのでは
という指摘をどこかで読みましたが、なるほどと思います。

何故、松林図を現代的に感じるのか?
その問いの答えは見つかりませんでしたが、
等伯というひとつの人生に出会うことができました。
50代を晩年といっていいのかわかりませんが、
晩年に開花したこのひとつの人生に勇気付けられました。

      *



平成館から本館を見学し、屋外に出ると庭に河津桜や梅が。

梅に惹かれて歩くうちに「法隆寺宝物館」に行き当たり、
さらに「表慶館」(アジアギャラリー)を見学。
平成館の特別展を観ると、同時に国立博物館の他の3館も見学できるのです。
いままでは時間がなくて見たことがありませんでしたが、
初めてゆっくりと(しかし駆け足で(笑))回りました。


法隆寺宝物館は空いていて、しかも見ごたえ十分。
1階の薄暗い中、小さな仏像がひたすら並べてあり迫力です、
ほかにも重文があたりまえのように展示されていて、驚愕。


アジアギャラリーも朝鮮、東南アジアから中近東まで
すばらしい展示品だし、クラシックな建物が素晴らしい(人-ω-)。O.゜。*・★
先日、日本橋三越で観たアンコールワット遺跡の石像と似たものがあり、
解説を読んであのときの疑問が氷解したのでした。
釈迦が蛇の座布団に座っている?と思ったのは、
ボードガヤーで悟りを開いた釈迦の頭上に、
竜王ムチリンダが頭部を広げ、風雨から守っている像なのでした。
胴体は巻かれ、釈迦がその上に座っています。

       *


博物館を出て、国際子供図書館を見学。
特別展は「日本発☆子どもの本、海を渡る」。
ここも明治期に建てられた帝国図書館を
保護するような形で改築されていて、
階段の手すり、バルコニーなど、古くてうっとり・・。

          *

いつまでもうっとりしていたいけれど、ここから銀座へ移動します。
銀座6丁目。
GALERIE SOL 上根拓馬展[BAVEL's / バベル]3/1~6

現代美術立体造形作家。
職場の同僚です。

みゆき画廊 中村章子展 3/1~6

綺麗な色彩のファンタジックな絵画。油彩と水彩。
私が大学の時にお習いした近所にお住まいの先生です。

何とか今日の予定をクリアです。
ああ、盛り沢山でした・・。


蛙の歌―-二宮冬鳥 ②

2010-03-01 12:12:52 | 短歌
なかなか進まない二宮冬鳥全歌集ですが(・ω・;A 
まず 『囊集』、『静黄』、『黄眠集』、
達人より後半がいいということを聞きおよび、
途中飛ばして最後『忘路集』、『忘路集以後』、ひとつ戻り、
歌数少ない『壺中詠草』を読んでいます。

この短歌新聞社の現代短歌全集にも収められた
『壺中詠草』については『忘路集』にこんな歌がありました。

・文藝春秋が珠玉の歌集といひくれし『壺中詠草』も売るることなし

恬淡とした自然の歌に交じっているので、
ふいを衝かれて笑ってしまいました。
なるほど珠玉は売れないもののようです。

岡部桂一郎はさくさくと順番に読めたような気がするのですが、
冬鳥はあちらこちらより切り込み、齧り、
巨大なステーキと格闘している感があります。

旧仮名遣いはまだいいのですが、旧漢字を使われているので、
余計難儀しているのかもしれません。
パソコンで打つとすぐに出てこない漢字があり、
どこまで旧漢字にすればいいのか、茫然とします。
交じるとみっともないので、固有名詞以外は新漢字にします。

蛙の歌を見つけました!


二宮冬鳥『黄眠集』より

・山の家に飼はるる猫のとりてくる蛙がときに畳に乾く

・庭の上の小さき水にくる蛙一つのことあり二つのことあり

・水盤をうめてつくれる池の上にきたり蛙のなげく夜あり

・この小さき水にすみゐる泥蛙昼は苺の葉にはひりゆく


『忘路集』より

・鳥のこゑ蛙のこゑと分かち得ぬ朝つづきゐて梅雨となるらし