ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

岩手中二、自殺事件に思うこと

2015-07-28 11:58:00 | 社会・政治・一般

おともだち教師には、いじめを止められない。

このことを、未だに分からない教育関係者は多い。大学を卒業し、せっかく教師になったものの、言うことを聞かない生徒に悩む教師は少なくない。

要は指導力不足なのだが、大学の教職課程では、子供たちをいかに従わせるかを教えていない。兄弟が多かった昔と異なり、今の若者は一人っ子が多く、年の差がある相手とのコミュニケーションが苦手な人が多い。

おまけに、現在は先輩後輩等の縦の関係を厭い、気楽なサークル活動しかやらない人も多い。人間関係が煩わしいと、一人で過ごす時間がイイと考える若者は少なくない。年長者とは嫌々付き合うが、子供たちとは接する機会さえ避ける。

このような若者が、教師として学校に赴任し、いきなり担任を受け持つのだから、上手くいくと考えるほうがおかしい。しかし、文部省や教育委員会のお偉いさんたちは、昔はそれで出来たし、問題もなかったとして、考え方を改めようとしない。

このような状況下で教師になり、素直でもなく、従順でもない子供たちに遭遇した若者はどうする。よくあるのは教師という権威を押し出して、強引に従わせようとする先生だ。だが、このやり方は、一人っ子で大事にされ過ぎた今どきの子供たちには、極めて評判が悪い。

おまけに現在は体罰厳禁であるため、よほど威圧的であるか、自信家でもないかぎり、この方法はうまくいかない。そこで、多くの若い先生たちが取ってしまう手段が、いわゆる「お友達」である。

教え導くのが教師の務めなのだが、その教師が子供たちと同じレベルにへりくだり、「ボク、君たちのお友達だよ、なんでも相談してね。みんなの役に立つよ。だから、ボクの言うこと聞いてね」

子供たちには人気が出る。当然である、こんな便利な大人は利用価値が高い。子供って奴は、大人の想像以上に計算高いし、功利的であり、狡猾でさえある。お友達先生は絶好の鴨となる。

当然に主導権は子供がとってしまう。特に、いじめっ子になるような天性の強い強制力を持つ子供は、自分の想い通りになるこの手のお友達教師は、実に便利な存在だ。

今月発覚した岩手県での中二の少年が鉄道に飛び込み自殺した事件なんかは、その最悪の結果である。お友達教師は、クラスを管理するためには、いじめっ子グループの協力が必要不可欠であり、そのために弱い子供を犠牲にした。

はっきり言います。いじめを苦に自殺した子供は、教師といじめっ子たちに殺されたも同然です。

しかし、教師を盾に、いじめを自由にやっていた子供たちは、当然その教師を庇う。教師は自分は正しかったと、無理やり自己正当化してしまい反省なんかしない。それどころか、自分を苦しめるためにあの生徒は自殺したのだと憎しみさえ抱く。

いじめられ、その苦しさから死を選ぶ子供の苦悩よりも、自分を不利な立場に追い込んだことを憎み、自分をかばういじめっ子たちに感謝さえする。それが、おともだち教師というものだ。

この、おともだち教師は、今も日本の学校のあちらこちらに実在する。文部省が今の教職課程を改め、また教師たちが自らの至らなさを自覚し、子供のための教育を真剣に考えぬ限り、今後もいじめによる殺害は続発するでしょう。

更に付け加えるならば、子供の教育を学校に押し付け、家庭での躾を蔑ろにする親も、この事件の共犯者です。莫大な被害者補償を裁判所は認めるべきでしょう。それで加害者家庭が崩壊するのなら、むしろ本望だと私は思います。

いじめを放置した担任、いじめを悪いことだと教えていなかった親。どちらも将来にわたり重い枷を負うべきだと私は思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする