相撲は格闘技かと訊かれると、少し返事に躊躇う。
脚以外の部分を土俵に付けるか、もしくは土俵の外に出してしまえば勝ち。それが相撲のルールだが、これだけだと格闘技とは言いかねる。少なくとも、喧嘩を含めて実戦で通用するルールではない。
しかし、それ以外の部分では驚くほど規制は少ない。私の知る限りでも、頭突きと肘打ちを認めている立ち技系の格闘技は相撲だけだ。さして喧嘩が強くなかった私でも、街のケンカでは、頭突きは一番効果的な必殺技であることは知っている。そして、肘打ちは最も危険な打撃技の一つであるこも分かる。
頭突きで使うおでこの部分の骨と、肘打ちで使う骨の部分は、人体で最も堅い部位である。そこを打撃に使うことは理に適っているし、実戦でも極めて有効である。しかし、フルコンタクトを認める空手でさえ、頭突きは試合では禁じ手としている。
理由は簡単であまりに危険過ぎるからだ。また、肘打ちは皮膚を切り裂き、出血を招く可能性が高く、当然に危険度も高い。だから、公式の試合では禁じ手とすることも理解は出来る。
しかし、相撲では頭突きも肘うちも認めている。禁止しているのは目突きぐらいで、驚くほど攻撃は自由だ。おまけに日頃から身体をぶつけ合う稽古に慣れているため、呆れるほど打撃に強い。
相撲取りをただの肥満体だと思ったら大間違い。筋肉を鍛え上げ、その上に脂肪の鎧をまとった異形の戦士である。立ち技最強と呼ばれることも珍しくない。注目すべきは、空手家や拳法家などの達人で、実戦経験豊富な人ほど相撲取りを警戒する。その実戦での実力を高く評価しているのだろう。
かつてプロレス界最強を謳われた大巨人アンドレ・ザ・ジャイアントが相撲部屋に見学へ行き、そこで頭蓋骨と頭蓋骨がぶつかる鈍い音を聴いて、恐れおののいたのは有名な話だ。本気で暴れれば、世界中に敵なしと云われたアンドレでも、あのぶつかり稽古の凄味は無視しえなかったのだろう。
それだけ厳しい世界である相撲取りだけに、その現役生活は短い。まず十年と身体が持たない。本気のぶつかり合いが多いだけに、首、腰、膝などの重要な部分が傷みやすい。如何に才能があろうと、怪我のために廃業に追い込まれた有望な力士数知れずである。
その過酷な角界で、40過ぎまで活躍出来る力士は稀だが、その一人が遂に引退を決意した。日本人力士を圧唐オているモンゴル力士の草分けの一人である旭天鵬関である。あの旭鷲山と同じく第一期のモンゴル出身力士の最後の一人である。
率直に言って、あまり強いとは言いかねる力士であった。四つ相撲になると強いが、距離を取られると、案外とコロコロ負ける。特に上位陣に対しては、呆れるほど弱く、幕内力士として場所を面白くするタイプではなかったため、あまり注目を集めなかった。
しかし、地味な稽古を熱心に続け、派手さはなくとも地力で勝ち上がれる遅咲きの力士として、いつのまにやら人気を集めるようになった。なかでも平成24年名古屋場所の優勝は、日ごろ相撲を観ない一般の人からも祝福された。
その旭天鵬もついに幕内からの転落が決まると、引退を決意した。日本に帰化し、相撲部屋を引き継ぎ後継を育てる覚悟を決めた旭天鵬関ではあるが、幕内以上でないとモンゴルに放送されないが故の引退であった。
おそらくだが、旭天鵬は喧嘩に強いタイプではない。むしろ地道で底堅い生き方で周囲の人望を集める、人として強いタイプではないかと思う。横綱には成れなかったが、将来横綱を生み出すような親方にはなれるかもしれない。
長い間、お疲れ様でした。そう心から云える相撲取りでしたよ。