私が二十歳前後の頃、よく遊んだ街の一つが渋谷であった。
今にして思うと、不思議な街であった。新宿ほどスケベではなく、池袋ほど荒っぽくなく、上野ほどオジサンっぽくない。それでいて、若い男女の出会い(ナンパとも云うが)の街であり、裏通りや公園では喧嘩は珍しくなく、オジサンたちが酔っ払い歩く姿が絶えたこともない。
お洒落な街だと宣伝している割に、上品さには欠けていた。ファッションが奇抜すぎて、むしろ他の街より浮いた存在でもあった。私もよくブラブラしていたが、決して馴染めない街でもあった。
大人に理解されることを拒絶する街であったかもしれない。事実、私が安心して渋谷で遊べたのは、20代前半までで、30過ぎると理解しがたい、近寄りがたい、何かを感じて、素直に遊べなくなった街でもある。
丁度、私が佐藤事務所で働き出した頃であった。銀座から渋谷経由で帰宅するのだが、渋谷の本屋さんを見て回ろうと歩いている最中に声をかけられた。
振り向くと、そこには日焼け過ぎの肌に白い隈取の妙なメイクをした女の子が立っていた。「ヌマンタさん、お久しぶりです。元気ですかァ~♪」
・・・????(誰だっけ)
私が戸惑っているのに気が付き「○○ですよぅ、入院中、宿題みてもらってました。おかげで進級できましたよ」
ようやく気が付いた。私が数年前に長期入院していた時、同じ病棟にいた中学生の女の子であることに。メイクが凄すぎて、まるで分からなかった。ここ最近は外来でも遇うことはなかったので、殊更分からなかった。
当時の患者さんたちの情報交換をして別れたが、正直唖然としてしまった。あのメイクをガングロとかヤマンバとか云うらしいことは後日雑誌で知ったが、私にはあの感性が理解できなかった。彼女も特段理解して欲しい素振りすらなかった。
当時、私はまだ31歳であったが、脳裏には「もう若くないさと、君に言訳したね~♪」と、懐かしいフォークソング「いちご白書をもう一度」が流れたぐらいショックであった。
こんなこと、20代の頃なら考えられなかった。10代の頃から渋谷には通っていた。大学生の頃なら、週の3日はバイトの関係で通っていた街である。学生として遊びる場所、店なら迷うことはなかった。
もちろん、足を踏み入れるべきではないところも知っていたし、どこが危険かも知っていた。喧嘩などでトラブっても、警官がやってくる時間まで把握していた。逃げ道だって幾つも知っていた。不審尋問を受けたことはあるが、補導も逮捕もされたことは一度もない。そんな下手は打たない自信があった。
だから、渋谷は俺の遊び場との意識があったのだが、30過ぎたあたりで、自信を失った。街が分からなくなってきた。30過ぎて再び働き出すと、渋谷は本屋さん以外には立ち寄らなくなっていた。もう、安心して遊べる街ではなくなっていた。
TVでの報道や、雑誌などの紹介記事にも、渋谷は良く載る街ではある。しかし、次第に私の知らない街となっていた。もう、偉そうに渋谷は遊び場ですなんて、言えなくなってしまった。
ところで、表題の作品の主人公である佐久間は探偵である。かつては、若者の中に入っていき、その心情を理解して捜査に活用してきたのだが、今回は勝手が違う。若者たちの心情が理解できないのである。この点に私は、かなり共感してしまった。
元々は消えた漫画家の失踪を探る仕事であったのだが、その過程で理解できない若者たちに出会い、困惑しつつも捜査を諦めない。そして命の危機に遭遇しながらたどり着いた真相。
理屈では納得できても、心は頷けない。そんなやり切れなさが、紙面から漂ってくる佳作です。上下巻の長編ですが、読み易い文体なので苦ではないでしょう。機会がありましたら、是非どうぞ。