戦後の日本の高度成長は経済が主役であった。
多才な事業家、会社経営者が活躍したが、出光興産の出光佐三ほど特異な人物は稀だ。誰に聞いたのか、あるいはなにかの本で読んだのかは思い出せないが、私は十代半ばの頃から、その名前を知っていた。
今回、記事を書くにあたり、ネットで検索したりして調べたのだが、私の記憶と合致する情報には出くわさなかった。だから、今回の記事はかなり曖昧な部分がある。不本意だが、たとえ間違っていたとしても、敢えて私の記憶に基づいて記事を書こうと思う。
東京は銀座の真ん中。三越を通り過ぎて晴海通りを歌舞伎座に向かって歩くと、歌舞伎座の手前で、昭和通との交差点に出くわす。歌舞伎座の建物の手前にある細長いビルに、出光興産の社屋があり、そこを覗けばホウキを手にした老人がいて、掃除している光景をみることが出来る。
その老人こそが、かの出光佐三その人である。世界的な企業であるにも関わらず、その社屋は狭く、質素である。だが、世界の原油市場を支配する欧米の石油メジャーと対決した出光興産は、まさにその質素な社屋にあった。
まさか後年、銀座の街で働くことになろうとは思わなかった私だが、箒を手にした出光佐三の姿を見かけたことはあるように思う。たしか、大学4年の夏前、就職活動の最中であった。
茅場町の證券会社での面接の後であったと記憶している。東銀座の駅を降りて、午後の面接に向けて食事をしようと思い、地上に出て雑誌に掲載されていたカレー屋「ナイル」で、少し贅沢な食事をした。よく喋る店主が自ら給仕してくれた本場のカレーは、不思議な味がした。
店を出て、次の面接時間までの暇を潰すため、ブラブラと散策したのだが、その途中で有名な出光興産の社屋があるのに気が付いた。噂に聞いたとおり、質素な建物であった。冒頭に書いた掃除していた老人が、出光佐三本人かどうかは分からないが、とても大企業には思えなかったことはよく覚えている。
もっとも、私にとっては、あの大英帝国を敵に回し、イランの石油を輸入してのけた日章丸事件の当事者であるとの認識が一番強かった。あの事件のことは、事件当時まだ生まれていなかった私でも知っていた。
まだ左派学生運動の片隅にいて、政治論議に口泡飛ばしている学生たちを憧れの眼差しでみていた中学生の頃だ。もっとも、その時の議論の中味は、大企業への抗議デモはどこを狙うべきかであった。
オイル・ショック時に大儲けしたはずのガソリンスタンドの元売り会社を狙えとと主張に対して、出光は外しても良いのではと反論が出たので、激論に発展してしまった。
まだ中学生であった私が「なんで、出光は外していいの?」と無邪気に尋ねたところ、教えてもらったのが「日章丸事件」であった。凄い社長がいるものだと子供心にも感銘を受けた。その時に、社内の掃除を率先してやる出光社長の話も聞いたと思う。
その後も、幾つか出光社長のエピソードを教えてもらった。もっとも、図書室で、出光佐三に関する本も読んでいたので、記憶はいささか曖昧だが、それでも忘れずにいた。だからこそ、私は表題の映画を観た時、微妙な違和感を禁じ得なかった。
もちろん映画の主役である国岡商店の店主は、出光興産の創業社長をモデルとしているだけで、実像とは異なるのは承知の上だ。出光佐三が創業時に、かなり荒っぽいやり口で、のし上がったのは間違いない。大儲けして、多額の納税をしたおかげで、貴族院議員になっているほどだ。必ずしも政府と対立していたわけではない。
まだ映画では失敗したかのように描かれていた満州鉄道の車軸に使うオイルの販売は、実際には大成功を収めている。だからこそ、あれだけ急成長が出来たのだし、世界展開も可能であった。
なぜだか知らぬが、映画ではそのあたりをかなり端折っている。もっとも敗戦で出光興産は銀座の社屋こそ残ったが、大半の資産を喪失したのは事実だ。そこから這いずり上がっただけでなく、誰ひとり首にすることなく廃墟から立ち直ったことも、概ね事実であろう。
ただ、映画はイイとこどりの印象が否めない。映画なのだから、それでイイのかもしれないが、私は微妙な違和感を最後まで拭えなかった。出光佐三は昭和の経済人としては、かなり異端な人物である。反骨心溢れる男であり、日本政府よりも日本を愛した男であろう。それだけに敵も多く、決して博愛の人物ではなかった。むしろ喧嘩上等の商売上手であったと思う。
でもね、私が知る限り、喧嘩の強い奴は嘘も上手い。立ち回り上手でもある。そのあたりが割愛されていたことが、どうも違和感の原因であったと思う。そこまで描いていたら、私はけっこう満足したと思う。その意味で不満が残る作品でした。