ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

ナマハゲ

2018-12-07 12:01:00 | 社会・政治・一般

ナマハゲなどの風習が、世界無形文化遺産としてユネスコに認定されたと報じられていた。

ユネスコに対して、いろいろと思うところはあるのだが、このニュースを喜んでいる人は多いので、とりあえず喜ばしいことだとしておきたい。

ただ、これを機に、日本は多神教の国であることは銘記しておきたい。

日本人は宗教に対して、いささか無知というかナイーブ過ぎるところがある。だから平気で、私は無宗教ですと言ってしまう。実はこれ、非常に危険は発言です。

現代文明は欧米が基調であり、キリスト教の常識が世界の常識とされてしまっています。キリスト教は、その源流をユダヤ教に持つだけに、非常に強硬な一神教です。

キリスト教の感覚では、人は神と契約を交すことにより、人間となったとされています。これはイエス・キリストの考えではなく、その死後、ローマ教会を中心に必死で生き残りを図る過程で生まれた差別的な方針から生まれたもののようです。

ローマ帝国の支配下で奴隷や下層民として苦悶する人々を、教会に勧誘する際に、唯一絶対の神と契約することで、死後の天国を約束されたキリスト教徒になりなさいと宣伝してきたのです。

虐げられた下層民に、キリスト教徒としての矜持を与える、いわば逆差別的な意識を持たせる巧妙な手法であったと思います。本来、多神教の世界であった地中海世界にあって、選別された意識を持たせることで、キリスト教は勢力を拡大してきたのです。

外敵との戦いで次第に荒廃していくローマ帝国にあって、この選別意識(唯一神の下での平等)は上流階級にまで広がり、遂にはキリスト教徒の皇帝が生まれるまでに至りました。

やがてローマ帝国は滅びますが、キリスト教のこの選別意識は根強く生き残り、ヨーロッパへの拡大に大きな力を発揮しました。キリスト教が異教徒に対して残虐なのは、この選別意識が根底にあるからです。

宗教改革と近代意識の覚醒により、ヨーロッパの人々からキリスト教への絶対的な帰属意識は低下したのは確かです。ですが、帝国主義の名の下に、かつての先進国であったオリエント社会を征服し、アフリカ、アジアを侵略する際に、この選別意識は根強く残っていたことは歴史が証明するところです。

このようなキリスト教の選別意識を心の根底に持っている欧米の人たちにとって、無宗教であることを口外する人たちに対する意識は決して好意的なものとはなりえません。

似たようなものに無政府主義というものがありますが、これはテロリストであることを自白しているようなものだと見做されます。つまり危険な人物、信用できない人物であると見做される可能性が高いのです。

ところが日本人は宗教にたいして熱心でない態度を取りたがるので、ついつい「私は無宗教」などと軽々しく口にしてしまいます。もっとも、そういった当人は、お盆に墓参りに行ったり、クリスマスを祝ったり、ハローウィンに参加したりと平然と宗教行為に加担しています。

本当の無宗教主義者は、神を否定していますから、宗教行事には参加しません。つまり気軽に「私は無宗教」などと口にしてしまう日本人の本音は、「私は特定の宗教を信仰していません」なのです。

繰り返しますが、無宗教とは、神を否定するものであり、信仰を否定する考えです。つまり、ある宗教を信仰する人に対して、私はあなたの考えを否定しますと宣言していることなのです。それなのに多くの日本人は、無宗教と宣することが、きわめて敵対的な発言であることを自覚していない。

神を否定し、信仰を否定するまで覚悟のある無宗教な日本人は、ほとんどいないと思います。ただ、その発言の意味を理解していない。日本の常識は、世界の非常識とはしばしば云われるのも無理ないと思います。

コメント (2)
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