もう少し踏み込んで欲しかった。
先日のことだが、知人宅でTV番組を観ていた。「世界ナゼそこに日本人」という番組で、30年前に戦争中のイランのテヘラン空港からトルコ航空機で救出された日本人の事件を取り上げ、日本とトルコの知られざる関係を放送していた。
元々、まったく国交のなかった日本とトルコであるが、明治維新後、軍艦エルトゥールル号に乗って、はるばる11カ月の航海を経て日本に国交を求めてきた。その帰途のこと、和歌山沖で台風の直撃を受けたエルトゥールル号は沈没。六百人あまりの乗員は海に放り出されたが、近くの漁村の人々が、必死で救出に赴き100人あまりを助けだしている。
これが有名な「エルトゥールル号遭難事件」であり、これは今でもトルコで日本との友好関係を伝える事件として知られている。番組では、その後に遭難死したトルコ人たちの遺族に義捐金を集め、わざわざ届けにいった吉田虎二朗に着目して、彼が今もトルコで最も有名な日本人であることを報じていた。
番組自体、時間の制約もあろうことは分かる。でも、もう少し踏み込んで欲しい気持ちがあるので、今回筆を執った次第。
元々、事の発端はイランと戦争中であったイラクのフセイン大統領が、イラン上空を飛行する全ての航空機を撃墜すると宣言したことであった。つまり、民間航空機も例外なく攻撃するとの発表に、イランに滞在していた外国人は慌てふためき、急遽臨時便に乗ってイランを退去した。
しかし、平和ボケした日本人が270名ちかくテヘランに残された。既に危険な状態なため、民間航空機はテヘラン行きを拒んだ。欧米の航空会社も自国民優先であり、日本人の枠はなかった。だからこそ、トルコ航空による日本人救出は、実にありがたかった。
この事件を、日本とトルコの友好関係の証とするのは構わない。でも、十数年後に明らかになった不快な事実がある。
当時、中東に赴任した日本大使は、戦争など危険な状態になると赴任地を離れて安全な国に避難していることが多かった。だから外務省は、現地の情報を正確に把握してはいなかった。
しかも、そのことを首相官邸に正確に伝えることを怠っていた。外交官とは名ばかりの官僚たちは、自らの失態を公表するくらいならば、事実を伝えない(あるいは、知らないから伝えられない)方を選んだ。
実は日本航空は、臨時の飛行機を待機していたが、現地の正確な情報が分からず、当時の中曽根首相及び安倍晋太郎外相は、危険と不確実性を訴える外務官僚の情報に惑わされて、救出用の旅客機を飛ばす決断が出来なかった。
結局、トルコ航空が日本人救出に応じてくれたため、テヘランの日本人は無事帰国できた。これは、現地に残っていた外務省の下級官僚たちの連携プレーの成果ではある。でも、肝心の大使様は現地に不在であったので、この情報さえも日本本国に伝わるのが遅れている。
そのことが分かった時には、既に当時の責任者たちは退職している。この無責任な外交官どもの醜態に呆れたのが、安倍外務大臣(当時)の息子である晋三であった。
後年、安倍晋三が首相の座に就いて行ったことの一つに、首相官邸の情報統合機能の強化であったが、これは父の不満を聞いていたからこそだと思われる。官僚が保身のため、事実を伝えない場合があることを熟知している安倍晋三ならではであろう。
更に一言、文句を言いたい。それはマスコミ様である。あの1983年当時、騒乱のテヘランはもちろん、フセインの独裁下のバクダットに社員を常駐させていた新聞、TVはいない。危険な場所には決して近づかないのが、大マスコミ様である。
そして、もちろん外務省様の失態を報じることもしなかった。そんなことをして、記者クラブから追放されたら困るからだ。マスコミ様が外務省の不作為を責める報道をなさらなかった為、この事実が日本国民に知られるには十年以上の歳月が必要であった。
日本国民の安全よりも、外務官僚様の保身に協力することに重点を置かれる大マスコミ様は、きっと将来叙勲の対象となるのではないかと私は邪推している。
最後にもう一言。なぜ、フセイン大統領はトルコ旅客機がイランへ飛来するのを妨げなかったのか?
トルコは中東では指折りの軍事大国である。大国イランとの戦争の最中、トルコまでをも敵に回す愚は、さすがのフセインでも出来なかった。だからこそ、トルコ航空の旅客機は、無事テヘランにたどり着けた。
マスコミ様は、決して触れないけれど、適切な軍事力は、ただあるだけで平和を守ることができる。この実例は、是非とも覚えておいて欲しいものです。