銀座線の終点、渋谷駅で降りて井の頭線に向かう途中にその店はあった。
私が大学生の頃は、井の頭線の渋谷駅改札近くにあった「二葉」という蕎麦屋さんが、駅の改築工事に伴いJR渋谷駅の井之頭改札の脇に移転した。
店名はいつのまにか「しぶそば」となっていたが、あまり気にならなかった。この蕎麦屋さん、食券もなく、注文すると口頭で厨房とやりとりして蕎麦が運ばれてくる。その手際は見事で、あの混雑していた店内で、間違うことなく注文を配膳していた。
ただ、私はここの蕎麦は、さほど美味いとは思っていなかったが、不満はない。あの値段、あの素早いサービスなら妥当だと思っていたからだ。
そして、私が一番好きだったのは、実は蕎麦ではなくオニギリだった。駅の階段を降りると、小さなショーウィンドウに並ぶオニギリの美味しそうな光景に何度足を留めたか分からないほどだ。
若い頃は小腹が減ったからと自分に言い訳して、ここでオニギリを買っていたものだ。最近は食べ過ぎを気にするお年頃なので、我慢、我慢と自分に言い聞かせて通り過ぎていた。
その「しぶそば」も遂に閉店となってしまった。新型コロナの影響ではなく、渋谷駅の大規模改修工事に伴う閉店である。閉店間際には「しぶそば」を惜しむファンの長い行列が出来たほどである。
渋谷駅は数年前から、東横線の地下移設、井の頭線の改札移動など乗継路線の改悪を伴う大規模リニューアル工事の最中である。東急東横店など駅ビルの取り壊しと再建築を伴うため、多くの老舗が姿を消している。
「しぶそば」は常にお客で賑わう人気店であるが、今のところ移転先は未定であるそうだ。出来たらまた駅のなかに戻って欲しいけど、新しく出来たビルなどを看ると、お洒落な店が多く「しぶそば」の居場所はないように思えてならない。
流行を追う意向は分かるが、これからの日本は高齢化社会でもある。理想は金を十分に持った若い客を惹きつけたいのだろうけど、あまり金を持たない若者や中高年も多い。「しぶそば」は後者にとっての憩いのオアシスであったはずだ。
渋谷駅周辺の再開発は、お洒落で活発な街を目指している雰囲気がある。だが、社会の一部の層だけにターゲットを絞る戦略は、日本ではあまり受入られないと思う。
渋谷は戦後、大きく発展した雑多な街だ。ただ東急や西武がしのぎを削ったせいで、あまり計画性のない発展の仕方をしてしまったのは事実だ。私なんぞは、それが魅力だと思っていたが、どうも画一的にしたい御意向が上の方にはあるらしい。
元々、企業主体で大きくなった街なので、ここいらで政府が大きく口を挟みたがっていると聞いている。武士の商法ではないが、役人主導の商売って、大概が上手くいかないことを思うと、いささか心配である。
渋谷が若者の街であったのは、若者に迎合した企業ファッション(パルコや109など)が主導していたのは過去のこと。現在の渋谷の若者たちは、大人たちの都合とは別の基準でお洒落を楽しみ、渋谷を華やかにしてきた。
現時点で云うなら、今の渋谷はとても遊びづらい街ですよ。いくら工事中とはいえ、これは酷いと思います。「しぶそば」の閉店は、その象徴であるような気がするのですよ。