今更の話ではあるが、日本人って今でも怨霊を恐れているのだと痛感した。
いや、なにがって靖国神社である。毎年終戦(敗戦だろ!)の日になると、政治家の靖国参拝が問題視される。まァ問題視しているのは、国内の左巻きと、一部の国だけだが。
私がこの問題に冷淡なせいもあり、あまり気にしていなかったが、改めて思った。政治家が靖国参拝をするのは、太平洋戦争で亡くなった兵士たちの霊が怨霊化するのを恐れてではないかと。
私もそんな馬鹿なと思わないでもないが、もし太平洋戦争の戦死者たる兵士たちが怨霊と化したら、その憎しみは政府を直撃するだろう。ましてアメリカ様に逆らったが故に憎しみを買い、戦犯として葬られた方の霊ともなれば、大怨霊と化して災いを為すに違いない。
恨みを抱いて死んだと思われる者の魂を慰めるためにこそ神社は存在する。外来の仏教も儒教も、キリスト教もこの怨霊たちを癒すことは出来なかった。だからこそ神社及び神道は生き残ったのではないかと思う。
そう考えないと、神社が現代まで残っており、それなりに栄えていえる事実を説明できない。神道という宗教は原始的なものであり、仏教やキリスト教などと比べると、組織として、あるいは知識体系の完成度も格段に落ちる。
にもかかわらず滅びることなく現在も生き残っているのは、神社という怨霊慰撫の装置を必要とする人たちがいるからこそであろう。先進国であり、アジアで唯一西欧生まれの近代思想を受容した日本で、今も神社が存在することは、その意味で奇跡に近い。
そう考えると、日本国内で靖国参拝に反対している方々が、共産主義や社会主義の洗礼を受けたかつての左派の人たちであることも納得できる。あれは神を否定した思想なので、拒否するのも当然なのだろう。
ちなみに日本とは少し違うが、やはり先祖崇拝の思想を今も持つシナ人は、靖国神社の意味(戦死者の鎮魂)を説明すると納得する。ただし、過去を都合よく塗り替えるのが得意なコリアは、恨みを抱いて死んだ者を慰撫する思想がないので、靖国神社の意味を理解できないらしい。
また日本の側にも、怨霊を恐れておるからこそ靖国参拝をしているなどとは口に出来ない理性と知性を売りにしている見栄っ張りが多いので、何時まで経ってもぅ靖国問題は終わらない。
私自身は、特段霊の存在とか怨霊とかの存在を気にしていない。でも、それを本当に恐れている人たちがいることは否定しないし、その人たちの思いを踏みにじる理由もない。だから靖国参拝を許容している。
お化けとか、幽霊とかいうものは、それが存在すると信じている人の心には絶対的なものである。それが分るので否定しない。ところでA級戦犯を靖国から分けろとか主張している方々は、A級戦犯が大怨霊と化すなんて、当然に信じていない無神論者であろうと思う。
実はある方に、面と向かってそう言ったら、下を向いて黙り込んでしまった。どっちなんだ?