一向に収まる気配のないコロナ禍。
そのせいで、この夏の東京五輪開催を止めた方が良いとの論調が紙面を飾ることが増えたように思う。
いくら無観客での開催とはいえ、選手団や関係者が来日する以上、新型コロナの感染が拡大するのは避けられないとの言には、けっこう説得力がある。
私とて、このコロナ感染にはウンザリしている。だから五輪中止を訴える人の気持ちも分らないではない。
にもかかわらず、私は今、東京五輪は開催すべきだと思っている。
まず、開催しようとしまいと、コロナ禍はまだ数年続く。開催すれば感染者は増えることになる可能性が高い。しかし、開催を中止しても、コロナ感染は収まらない。
ウィルス型伝染病の常で、既に複数の変異種が登場しており、ワクチン接種は万能薬ではないことも判明している。つまり現時点で我々人類は、この新型コロナウィルスに対して完全な対応をすることが出来ない。
人類の歴史は、病気との闘いの歴史でもある。ロックダウンを始めとして隔離方式による対応は過去にも何度もあった。だが、この隔離式は、一時的な感染拡大を防ぐことはできても、数年後あるいは数十年後には役に立たなくなる。
酷い場合、十数年後に一気に感染が拡がり、社会集団が崩壊した事例もある。何故なら免疫による抗原抗体対応がまったく出来ていない隔離集団は、新たな感染に非常に脆弱となるからだ。
現在、我々が出来る最善の手段は、感染の可能性を穏やかにし、治療体制を安定的に稼働させること。過労などを避けて、十分な睡眠と休養を取りながら暮らし、日々の生活のなかでコロナ禍が過ぎ去るのを待つだけだ。
なぜだかマスコミは積極的に報じないが、新型コロナに感染しても発症しない人もかなりの数に上る。残酷な事実だと思うが、これは人類が数百万年経験してきた病魔との闘いの真相だと私は考えています。
いささか悲観的な考えに過ぎるかもしれません。だからこそ、人々の気持ちを盛り上げるようなイベントが必要だと思うのです。実際、戦争や地震、火山の噴火、津波など避けられぬ天災に遭遇した時ほど、慰霊だけでなく祭りを執り行い気分を明るくしてきた治世者の叡智に学びたい。
もしかしたら、五輪を開催して、そのために私は新型コロナに罹患して死ぬ可能性だってある。しかし、人は永遠に生きられぬものだし、そうだとしたらそれが私の寿命でしょう。
私は室内にこもって暗く怯えて暮らすよりも、不安を押し隠して明るく生きたいのです。