かつて琴天太(後に琴天山)という四股名の相撲取りが居た。
当時は珍しい白人であった。本名はジョン・テンタというカナダはバンクーバー出身のアマチュア・レスラーである。ジュニアの時にはカナダ・チャンピオンになったほどであり、大学でもそこそこの成績を残している。
しかし、来日して角界入り。序二段から三場所連続で優勝したが、古い体質の相撲協会と合わず、無敗のまま引退している。その後はお決まりのプロレス入りである。
相撲を辞めた理由は、今もよく分からない。怪我をした時の保証が不安であったとか、通訳の女性との愛の逃避行が原因とか、いろいろ言われている。この件に関しては、テンタ本人も角界も何も語っていない。
嘘か本当かは知らぬが、本当の理由は、テンタの髪が薄く髷が結えなかったからだとの奇説も出る始末である。
それはともかく、この人は相撲は強かった。白人には珍しく、しっかりと四股が踏め、下半身がどっしりしていた上に、上半身の厚みが半端ではなかった。運動神経も良かったと思う。
ただ幕下で終わっているので、本当の強さは分からない。だが全日本プロレス入りした時、面倒を看ていた谷津嘉昭が非常に高く評価している。同じアマチュア・レスリング出身だけに、テンタの素質と才能は桁外れであったと断言している。
実際あの体型で高いドロップキックを放てるし、寝技も関節技にも対応できる柔軟さがある。ただ、演技力に難があった。そのせいか、名勝負には縁がなかったように思う。
実際、面白かったと云えるような試合がほとんどない。超大型の体格と、優れた運動神経、怪力と条件は揃っていたが、記憶に残るような試合が出来なかった。
アメリカのプロレス界でも活躍しているのだが、第一級のスター選手にはなれていない。アメリカではアースクエイカー(地震)なんて名乗っていて、同じような体型のモンスーンとタッグを組んでリングに上がっている。何度かタッグチャンピオンにもなっているから、そこそこ人気はあったようだ。
でも活躍の期間は短い。プロレス界を30代で引退し、トラックの運転手をしていたと聞いている。その後、日本に呼ばれて何度かリングにも上がっているが、練習不足が目立つだけで残念な印象しかない。
そして40台の若さで膀胱がんでの死去である。忘れ去られているのも無理ないと思う。
そんなテンタだが、日本のプロレス界で一番印象に残ったのが、北尾との試合である。あの角界逃亡横綱の北尾と、幕下ながら無敗で角界を去ったテンタとの試合であり、それなりに盛り上がったが、結果は最悪であった。
これくらいショッパイ試合は滅多にないダメな組み合わせであった。両者とも本気モードで、やる気満々に見えたのだが、まるで組み合わない。特に北尾が駄目で傍から見ると、まるでビビっているかのような姿勢であった。
そして遂に飛び出したタブー発言である。無効に終わった試合の後、マイクを手にした北尾が「この八百長野郎!」と罵声を飛ばしたのである。プロレスラーが決して口にしてはいけない科白である。
スター気取りが滑稽な北尾と、上手くプロレスが演技できないテンタとのみっともない試合を象徴したのが「この八百長野郎!」発言であった。私からすると、相手の技を受けて試合を作るのが下手な二人が、なまじ本気の姿勢をみせたための空回りである。
多分、この二人の間には信頼関係がなかったのだろう。だから相手の技を受けることが不安で、試合が成立しなかったのだろうと思う。要は八百長も満足に出来ない不器用者二人である。
試合の結末が事前に決まっている試合なんて、プロレスでも相撲でもけっこうある。もちろん前座の試合や、幕下の試合は本気のバトルであるが、上位にいけばいくほどに演技が入ってくる。
この演技が如何に上手に出来るかが興業としてのプロレス、相撲でも重要になる。
ジョン・テンタはかなり強かったと思う。ただ、プロとしてその強さをアピールするのが下手だった。これは酒場で聴いた噂話だが、テンタはプロレスの地方巡業の際、チンピラ7名に囲まれて喧嘩になったが、ほぼ1分で全員唐オてしまったそうである。化け物級の強さだと思います。でも、その強さを活かせなかった悲運の人でした。
持って生まれた優れた才能を活かせない人って、たしかに運、不運もあるけど、根幹にあるのは他人を信頼し、かつ信頼される人間関係を築けないタイプが多いと思います。
こんな時、思い出すのはダーティ・チャンピオンと呼ばれたニックボック・ウィンクルの「ダンスは一人では踊れない」です。テンタはこれが分かっていなかったんだと思いますよ。