ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

刺青の是非

2022-07-28 11:28:14 | 社会・政治・一般
現時点で私は解答を持っていない。

なにがって、刺青問題である。日本はこの先、外国からの観光客が重要な収入源となる。欧米だけでなく、東南アジア、イスラム諸国など様々な文化背景を持つ人たちが日本を訪れて、お金を落としていく。この観光事業が既に衰退期に入った日本にとって非常に重要であることは、今や官民いずれも分かっていることだ。

日本には観光資源が多い。多様な食事が人気だが、風光明媚な自然、寺社寺院、それと対照的な未来的建造物。静かで速い新幹線、ゴミが落ちていない道路、子供が夜に一人歩きできる安全さなどが有名だ。

そんな中、たまに問題となるのが温泉など入浴施設における刺青禁止である。

日本では、銭湯や温泉、スパ、健康ランドのみならずプールや海水浴場などでも刺青をしている人を禁じる規定が設けられていることが多い。わりと勘違いしている人が多いが、民法や刑法などの公式な法律では、刺青は規制されていない。

もっぱら地方の条例や、企業の内規で刺青を入れた人を規制する形となっている。

これは概ね市民の心情に基づいたものだ。刺青に威圧感を感じる人は多い。日本では博徒が刺青を入れていることが多かった。そのため、危ない人たちが刺青を入れていると社会的に認知されている。

厳密には博徒と暴力団は違うし、私の記憶では、漁師や大工などの正業に就いている人たちの間でも、刺青を入れていることは珍しくなかった。実際、私が子供の頃、すなわち昭和40年代くらいまでは、繁華街の銭湯に行けば刺青を入れた人たちが、当たり前のように入浴していた。

子供心に熱いお湯に浸かって紅潮した肌に浮かび上がる刺青は奇麗だと思っていた。その頃、私は中学を卒業したら働くつもりだったし、香具師の世界に憧れていたので、自分も刺青を入れることを想像していたぐらいである。

風潮が変ったのは、政府により暴力団狩りが盛んになった福田内閣の頃だと思う。有名な角福戦争に勝利した福田赳夫は、それまで左翼学生の弾圧に利用していた暴力団に対して、一転して警察庁に頂上作戦の名のもとに組長、幹部クラスの逮捕を積極的に行った。

それに迎合するかのように新聞やTVでも、刺青が映し出されるような番組を控え、暴力団を賛美するかのような映画は放送せず、警察が暴力団を逮捕するような刑事ものが増えていった。

私が大学生の頃には、もはや刺青は市民から忌避されるものとなっていた。たしかに刺青には他者を威嚇する目的がある。これは日本だけでなく、南太平洋のマオリ族のように誇らしげに刺青を入れて、自らの強者ぶりをアピールするものもある。

率直にいって古来から刺青は、自らの気持ちを鼓舞し、他者を威喝するためにある。日本だって古来から刺青を入れた人は多かったし、その目的は宗教的なものから、精神的鼓舞、仲間意識の保持、そして刑罰の証拠としての刺青まで多用途に使われていた。

現在も刺青は、犯罪組織の構成員の共通サインであることは珍しくない。どう擁護しようと、刺青が他者への威嚇のために使われることは確かだと思う。

しかし、その一方で刺青は太古以来の風習であり、大人への儀礼であったり、神への信仰心の顕れであったりすることもある。ファッションタトゥのようにお洒落の一環としての刺青もある。刺青=犯罪者では断固ない。

ただ、お上の御指導に忠実な日本人には、今も根強く刺青=ヤクザといったイメージが刷り込まれていて、頑固なまでに嫌がる気風が確実にある。各地の条例や企業の内規としての刺青規制にも、それなりの民意の反映である。

正直、どちらが正しいとか、間違っているとかの問題ではない。これが非常に厄介な問題となるのは、刺青に否定的でない外国からの来日観光客が絡んでくるからだ。

特にファッションとしての刺青まで規制するのはどうかと思うことは多々ある。その一方で、ファッションであっても刺青を毛嫌いする人がいる現実も知っている。

郷に入れば郷に従えと割り切るのは容易い。しかし、神への信仰心の顕れとしての刺青まで規制することには、やはり疑問は残る。現時点で、これといった適切な回答を持ち得ないが、このまま放置していい問題とも思えない。

なんらかの国の指針が必要に思います。ただし、官僚の一方的な取り決めではなく、広く意見を募って、議論を重ねた上での解答であって欲しいと思います。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする