歴史から学べることは数多ある。
そのための一冊だと言えるのが表題の作品だ。ただし読む前に知っておいた方が良いことがある。著者である田中隆吉は、戦後のGHQ裁判においてアメリカ側の証人として発言している。また第一次上海事変を始めとして対ソ連工作など陸軍において暗躍した人物であることは確かだ。
また東京裁判に於いて、東条らを死刑台に追いやったのは田中の証言が大きく影響しており、それ故に売国奴呼ばわりされたのは事実だ。しかしながら田中が虚言を吐いたとの評はなく、その驚異的な記憶力は一般に知られていなかった陸軍の暗部を暴き出すのに大きく貢献した。
実際、田中氏を批難する意見は少なくないが、嘘を言っているとの批判はほぼない。感情的というか主観的な意見の相違はあるようだが、陸軍内部に在籍し、しかも決して軽い立場ではなかった田中隆吉の考え方、見方には無視できない重みがあると思う。
その意味で表題の書は是非とも読んで欲しいと思う。読んでみて、私が痛切に感じたのは、日露戦争である。
日露戦争は近代世界史におけるターニングポイントである。アジアの有色人種の国家が、白人の国家と戦争をして勝利した初めての戦いであるからだ。この日露戦争の勝利があったからこそ、日本は大国として欧米に並ぶことが出来た。経済でもなければ文化でもない。戦争に強かったからこそ認められるのが政治的な地位である。
しかしながら日露戦争は薄氷を履むが如し際どい勝利であった。なにせ日本軍はやることなすこと失敗だらけ。成功といえるのは日本海海戦の勝利ぐらいで、他の戦いは後日戦史家が何故に勝てたのかと首を傾げるような稚拙な戦いであった。
答えは簡単で、ロシア軍が日本以上に失策を繰り返したからだ。これは少し同情すべき点もある。当時ロシア帝国はレーニン率いる赤色革命に揺れており、軍の上層部は貴族階級であったので、郷里が心配で早く帰国したかった。また戦術指南をしていたプロシアの将校たちは、我が身を顧みずに突っ込んでくる日本兵の狂想的な戦いぶりに戸惑い、単純な反撃を繰り返すしか出来なかった。
太平洋戦争で圧倒的な物量を揃えて(まさに正攻法だ)日本軍との戦闘を想定していたアメリカ軍も、死の恐怖を持たぬような日本兵の突撃攻撃に困惑し、嫌気がさしてしまった。西欧の戦術ではありえないのが日本の非常識極まる神風アタックであった。それを始めて喰らったのがロシア軍である。そりゃ混乱すると思う。
だが最終的には物量がものを言う。兵站物資が欠乏し、もう戦えない直前になりアメリカの仲介でロシアが敗戦を認めたからこそ、日本は勝つことが出来た。ある意味偶発的な勝利ともいえる。決して褒められたものではなく、むしろ勝って兜の緒を締めるべきであった。
その結果、日本はその無謀な戦いぶりを反省することを止めた。失敗を問題視する意見は、勝ったのだから良いではないかとの空気に流されてしまった。このことは、権限を持つ上級職(いわゆるエリート階級の官吏)が失敗しても、その結果責任はとらなくて良いという悪しき慣習を作ってしまった。
大事なことなので再度確認するが、この悪しき慣習は現在も活きている。バブルの崩壊に責任をとったエリート官僚がいたか、子供たちの虐め問題を放置していたエリート官僚で罰せられた者はいたのか。エリート官僚主導で行われた冤罪裁判で、処罰されたエリート官僚はいたのか。いや、居ない。
かくも勝利に奢り、やるべきことをしなかった明治政府の責任は重いが、それを今日まで放置しているのは我々有権者であることも頭の片隅に留めておくべきだろう。
私が表題の書を読み初めて知った日本軍内部における軍閥の生誕と、その後の権力闘争の記録は、日本がどのように戦争に雪崩れ込んだのかを知る指標になるものだ。機会があったら是非一読して欲しい。