納税するから、政治に参加させろ。
民主主義の基本である。実際、フランス革命は多額の納税を強いられながら政治的な発言権がなかった商店主らが大きな原動力となっていた。
もっとも、この動きはナポレオンに活用されて、かつては貴族の独占であった軍隊に市民兵を大量に採用し、新たな情熱(民主主義普及)に燃えた兵隊をもって欧州を席巻している。以来、市民の納税と軍隊への参加は欠かせぬ両輪となっている。
ところが時代が流れて、いつのまにやら人権は人が生まれ持っているものだからと、権利ばかりが優先的に主張されるようになった。義務を伴ってこその権利であることは忘れ去られている。
率直に言って、浅ましいと思う。
人権は大切だと思うし、政治に参加する権利すなわち参政権も大切なことだ。しかし、それほど大切な権利を認めて欲しければ万人が納得する対価を払え。無償で権利だけが認められると思うな。
なんの話かといえば、私の地元の隣の自治体である武蔵野市の市長である。わりと若い女性の市長なのだが、当選するや公約にはない「外国人の住民投票」をぶち上げて実施をしようと議会に諮った。
結論からいえば、議会はまったく聴いていなかったこの外国人の住民投票への参加法案を否決した。どうも裏で社民の福島が糸を引いていたらしく、当然のように隣国から抗議の声が上がった。あの国に内政干渉という単語はないらしい。
武蔵野市はわりと革新や左翼に甘い土壌ではあるが、さすがに在日歴3カ月の外国人の住民投票には違和感が強かったようだ。
私は地方自治に関する限り(国政は論外)、永住権取得など一定の要件を満たせば、ある程度彼らの声を地方自治に加味することには反対ではない。むしろ高齢化が進み、少子化により社会システムが荒廃する将来、彼ら外国人をどう活かすかが重要だとも思っている。
外国人といえでも日本で生活し、法令を順守し、納税の義務を全うしている人たちの声を政治に反映させるのは、民主主義の理に適っているとさえ思う。むしろ排外主義に凝り固まるほうが、日本の未来を委縮させるとさえ思っている。
だが、あくまで権利と義務は表裏一体であり、義務なくして権利なし、である。この原則を歪めてはダメだ。権利ばかり主張する輩に浸食された国家は必ず滅びる。
パンとサーカスでローマ帝国市民を甘やかしたかつての大帝国の末路をもう一度学んでほしいものです。
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