あまりに安易に使われている言葉の一つに「天才」がある。
正直、あまり好きになれない。この天才って言葉が使われる場合、その背後にある思想に不快さを感じるからだ。
多くの場合、天才と称される主人公が、その頭の良さで事件を解決したり、物事を的確に推し進めていく。今どきの若い人たちは、このような頭の良さに憧れを抱くらしい。
分からないでもないが、その裏側にあるのは、地道な努力を厭い、汗水流す労苦を厭う、安直な怠惰さがあるように思えてならないからだ。
だが、天才を謳われたエジソンは「天才とは、1%の天分と、99%の努力だ」と云ったように、むしろ困難に溢れた辛苦を伴う。家族からは嫌われ、周囲からは理解されず、孤独のなかで己の思索に埋没し、数多の失敗を踏み固めて、ようやく天才と呼ばれるに値する成果を上げる。それが実際だと思う。
表題の作品は、ノートに名前を書くだけで相手を死亡させられる死神のノートを拾った主人公と、世界の警察を動かせる名探偵との頭脳戦が面白かった、週刊少年ジャンプに連載されてた人気漫画だ。
この漫画は、日本のみならず、欧米やアジアでも話題となったほど、世界に衝撃を与えた。この作品の影響力は、未だに残っていると思う。それだけの傑作ではあるが、私はあまり好まなかった。
主人公のライトにせよ、Lにせよ頭は良い様に表現されているが、特段天才とは思わなかった。良く出来た頭脳戦だとは思ったが、ある意味分かりやすく、予想もつきやすい。それは漫画作品として大事なことであり、それを理由に好まなかった訳ではない。むしろ、その頭脳戦こそが、この漫画の面白さだと楽しんでいた。
私が嫌だったのは、この漫画が若い人に人気が出た背景というか、その思想の土壌が好きになれなかった。極端な言い方だが、本気の努力や、苦労をしていない人こそ憧れてしまう、その安直さが嫌いだった。
いろんな解説本が出ていたが、私のみるところ、現代社会への安直な絶望からのニヒリズム、あるいはアナーキズムに過ぎないと思う。努力してもなにも現状を変わらないと考えるからこそ、この作品に関心が湧き、深く考えることなく共感してしまうのだろう。
私は現状の社会に満足している訳ではないし、むしろ不満だらけでもある。しかし、もしDEATH NOTEが実在しても、それはテロの道具にしかならず、社会を変革することなんて出来ないことくらい分かる。
その認識は、人間という存在を深く、濃く考察すればするほど確信となる。それをしない人ほど、安易に容易に世の中を変えられると、根拠のない変革を声だかに主張したがる。
そのような人たちに受けることを目的として、この漫画が描かれたとしたら、まさに天才的。でも、それほどの悪意は感じませんでしたけどね。
なお、重複投稿は削除させて頂きました。
デスノート、凄く面白かったし映画も劇場に行っちゃいましたが、実はあんまり好きじゃないです。あまりに安直でこじつけな展開が多くて。
ヌマンタさんの記事でしっくり来なかった理由がわかった気がしました。(・ω・`)