ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

母国は日本、祖国は台湾 柯徳三

2009-05-22 12:19:00 | 
歪んだ心には、事実なんて必要ない。

先月から物議を醸しているNHKの「シリーズ・JAPANデビュー」の第一回目の放送では、表題の作品の著者として知られる台湾人の柯徳三氏が登場している。

以前、読んだ時の印象だと、日本の統治よりも戦後の国民党の統治の酷さを嘆く内容であったと記憶していた。たしかに日本の統治の非を批難する内容も含まれていたが、全体としてはバランスのとれた回顧録だと思っていた。

ところがNHKの番組では、ガチガチの反日主義者として発言していたので驚いた。番組自体が日本の戦前の政策すべてを悪辣な所業だと結論付けるためのものだと分ったので、私は途中で観るのを止めてしまった。

私なりに知日派台湾人として評価していたのに、この変貌ぶりはなんだといささか気になっていたが、その顛末が産経新聞の一面(4月30日版)に載っていた。

なんと、NHKのディレクターの奴、柯徳三氏の日本への好意的発言は一切カットして、ただひたすらに日本への誹謗だけを放送したようだ。その事実を知った本人が、後日NHKに抗議しているようだが、その抗議は一切無視されている。

報道の中立公正は無視され、自分たちの歪んだ歴史観の宣伝手段としてのNHKに堕している。それでいて、一部政治家からの抗議の声が上がると、報道の中立公正を盾に干渉をはねつけようとする。

天に唾する行為なのだが、歪んだ正義感に酔いしれた倒錯者には、自らの愚かしさが分らないのだろう。

たいへん不愉快なので、私は断固としてNHKの料金は支払わないと決めた。はやいとこ、NHKの集金が来て欲しいものである。絶対文句言ってやる。ちなみに朝日新聞は母が実家でとっているので、そちらは仕方ないと諦めている。まあ、読まなきゃ批判もできないしね。

しかしまあ、それでも柯徳三氏の怒りは収まるまい。ここは表題の本を探して再読せねばと自宅を漁ったが、どこにいったか分らない。しかたないので図書館で予約して、ようやく借りられた次第。

この本のなかには、NHKが捏造した反日台湾人の姿など、どこにもない。鉄道教育病院などの社会的資本を作ってくれた日本への感謝が、大陸から侵略してきた国民党政権へのあてつけのように書かれている。日本への批難も、日本人と台湾人を平等に扱って欲しいとの思いが主であった。

NHKの奴、それを完全に歪めやがった。

事実を報じるのではなく、事実の一部を切り刻み、歪んだ真実を報道するメディア。それがNHKだ。NHKの番組をよく観る方は、こころして観るように。
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クライスラーの破綻

2009-05-21 12:13:00 | 社会・政治・一般
大は小をかねる、は嘘ではない。

嘘ではないと思うが、全てではないとも思う。20世紀は自動車の世紀でもあり、自動車メーカーを代表するアメリカBIG3の一角を担うクライスラーが遂に破綻した。

過去に何度か危機はあったが、実際に破綻したのは今回が初めてだ。ほんの十年前までには、SUVの大ヒットで高収益を上げる優良会社であった。

皮肉なことに、そのSUV車が足を引っ張った。この時代に高価格、高燃費では売れるはずもない。ダイムラーとの合併もうまくいかず、ガソリン価格の高騰で止めを刺された。

これはクライスラーに限らないが、大型車で高収益を上げている会社は、小型車造りが下手だ。80年代、日本の小型車攻勢に悩まされたGMは、巨額の開発費用を投じてサターンを開発したが、見事に頓挫した。

当初、あのGMが作った小型車というので戦々恐々としていた日本メーカーは、その実物を見て安堵した。いや、失笑すら漏らした。あまりに大雑把な造りに呆れてしまったからだ。

あのダイムラーですら小型車は得意ではない。ダイムラーが売り出したAタイプのベンツは、デザインがスマートで私ですら気になったぐらいだ。事実7年前車を買い替える際、候補車の一台であり、ディーラーで試乗させてもらった。

小さいながらも、しっかりとした造りはドアを閉じる音からも分る。もみ手の営業を横に乗せての短時間の運転でも、その直進安定性の優秀さは分った。ただ、こまわりが利かない。これには驚いた。ベンツという車はハンドルの切れがよく、同じ大きさの国産車(クラウンやセドリック)よりも取り回しがいいことを覚えていたので、このAタイプの不器用さに呆れた。また、国産車(ヴィッツやフィット)ほど使いかってが良くなく、値段のわりに使えない車だと失望した。

その後、クラスチェンジしたAタイプはだいぶ改善したらしいが、値段を考えると購入は躊躇わざる得ない。同じ小型車ならば、VWのほうがはるかに出来がいいと思う。

やはり大型車を作りなれているメーカーには、小型車は難しいようだ。これは国産メーカーでも同じで、トヨタも日産も小型車は造っても、軽自動車は造らない。あの値段で利益を出す難しさが分っているのだろう。だからこそ、トヨタは系列のダイハツに任せ、日産はOEMに甘んじる。これは正しい判断だと思う。

一方、アメリカのフォードは小型車は系列会社に任せる戦略をとる。幸いヨーロッパ・フォードという小型車で実績のある会社があるため、今回の危機もうまく乗り切れそうだ。

残るGMは、労働組合というお荷物があるため、おそらく破綻処理以外に再生の道はないと思う。しかし、CNNの番組を観ていると、意外なぐらいアメリカ人はGMを信じている。経済アナリストも、アメリカ人はいずれ大型車に戻ると断言する。燃費のいいハイブリッド車なんて気取った連中の乗るもので、ほんとうはデカくてパワフルな大型車が好きなんだと断言する。

これはアメリカの国民性といってもよく、私も一面の事実であろうと思う。思うが、ガソリンという化石燃料の枯渇が予想される今世紀に、未来を見据えた考えではないとも思う。

事実、現在アメリカでは鉄道建設計画が目白押しだ。エネルギーコストが十分の一で済む鉄道は、将来の交通の大きな柱だと、当のアメリカが判断しているのだ。

しかしながら、一般庶民の感情は違う。やっぱり大型車が好きなのだと私も思う。今回のサブプライム問題に端を発した経済危機がなかったら、いまでも燃費の悪い大型車に乗り続けていると言わざるえない。

人の意識とは、かくも頑固で変りづらいものなのだろう。
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ブルートレインの思い出

2009-05-20 06:50:00 | 旅行
生まれて初めて乗ったブルートレインは、多分小学1年の夏だったと思う。

九州は宮崎への旅行であった。私にとっては夏休みのお楽しみであったが、おそらく母には人生の迷い道での道程だったと思う。

まだ父母の離婚は決まっていなかったが、当時既に夫婦の関係はおかしくなっていた。実際、この夏休みの旅行に父の姿はなかった。幼い3人の子供を抱えた母は、これからの人生について、かなり迷っていたはずだ。

九州へ行くことを決めたのは、かつて隣に住んでいた女性に相談に行くためではなかったのかと思う。我が家の隣に住んでいた女性が、東京から遠く九州へ引っ越して以降、遊びに来るように誘われていたことも、いいきっかけになったはずだ。

その女性には私ら兄妹は、けっこう世話になっていた。特に下の妹は、血の通った親族に接するが如く慕っていたと思う。だが、それ以上に母は話し相手、相談相手として、その女性を頼りにしていた。

だからこそ、わざわざ寝台列車に乗ってまでして、逢いに行ったのだと思う。その道中でのことだ。初めての寝台列車に興奮した私たち兄妹が騒ぐので、近くの席の初老の女性にたしなめられた。

凛とした気品のある人で、それをきっかけに母はその女性と、夜遅くまで話しこんでいた。

深夜にその女性は途中下車されたようで、翌朝にはいなかった。母は何も言わなかったが、このとき再会の約束を交わしていたらしい。

九州に1週間ほど滞在し、まっすぐ帰京すると思いきや、母は私たちを連れて途中下車した。訪れた先は、あのブルートレインで出会った初老の女性宅であった。

林のなかの、こざっぱりしたお宅であったと記憶している。一人で暮らしているようで、私たちの訪問を歓迎してくれた。やはり躾の厳しい方で、私はけっこう叱られた。お水のことを「お冷」と呼ぶことは、この人から教わったと思う。出されたものは、嫌いなものでも口を付けることが礼儀だとも言われた。

その家で一泊して帰京したが、このブルートレインでの旅は、母の人生の大きな岐路であったと思う。きっと沢山の人がブルートレインに乗って、新たな人生の道行きを進めたことだろう。

そのブルートレインも時代の波に押されて、先月でなくなってしまったと新聞で読んだ。新幹線や飛行機での旅が当たり前となり、寝台列車なんて時代に合わないと言われれば、たしかにそうだが、そんなゆったりした旅の仕方も残して欲しかったと思います。
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地下鉄のザジ レーモン・クノー

2009-05-19 07:52:00 | 
頼むから、風呂は無理でもシャワーぐらい浴びてほしい。

夏場のロンドンの地下鉄は最悪だった。なにがって、体臭である。ただでさえ密閉された空間に閉じ込められるのに、あの体臭と香水のミックスされた匂いが充満した地下鉄の車内は悪夢に近い。

朝のラッシュ時(けっこう混むぞ)は我慢できたが、夜の帰宅時のラッシュの悪臭には我慢できなかった。気持ち悪くなって、途中で降りて慌てて地上に出ると、歩いてホテルまで戻ったものだ。

子供の頃は、白人は体臭がきついと思い込んでいたが、実際は日本人でも風呂に入らなければ、かなり強烈な体臭を放つと分った。多分に食生活の影響もあるようだ。肉料理はもちろん、スパイスを多用した料理を常食している西アジア系の人たちの体臭もかなりきつい。こちらでは香水よりも、お香で匂いを誤魔化すようだ。

ありがたいことに、日本は水資源に恵まれている。だから朝風呂はもちろん、夕暮れ前から銭湯が開店して、汗まみれの身体を清潔にする習慣が根付いている。でも、これは綺麗な水が豊富な日本ならではの特権だ。

ロンドンのテームズ川でも、パリのセーヌ川でも、その水は汚水に近い。水道の水はカルキ臭がきつすぎて、なまじシャワーを多用すると髪の色が変るぐらいだ。水は貴重品なのだとよく分る。

そのせいか、フランスでは風呂に入ることは健康に悪いとの風聞があり、それを風呂に入らない理由にしている。シャワーでさえ控えめにしか使わないらしい。当地に在住の日本人は、あまりに水を使うので日本人用の特別料金を大家から請求された友人もいるぐらいだ。

だからといって、体臭がきつく臭うことを、必ずしもイイことだとは思っていないらしい。田舎から事情があってパリに出てきた小娘ザジは、パリっ子の叔父さんに出会ってすぐに臭いとブーたれる。

この年代の小娘は生意気で、癪に障るが、それでも無視できない魅力があるのは古今東西変ることはないらしい。正直言って私も苦手だ。苦手だけれど、ちょっと近づいてみたい気もする。

早く大人になりたくて、ついつい攻撃的で刺激的なことを口にだしてしまう小娘たちは、大人にとって天敵に近い存在でもある。苦手と知りつつ無視しえないのは、まだ熟成はしてないが新鮮な酸味を感じるボージョレー・ヌーボーの如き味わいを感じるからだと思う。

あと数年我慢すれば、もっと味がまろやかで、芳醇なワインになると知りつつ、栓を開けて飲んでしまう。我ながら度し難い心情でもある。

表題の作品は、そんな小娘と大人たちとのやりとりをいかに表現するかを求めた実験小説のひとつです。文体にいささかの乱れがあるのは、そのせいだと思った。多分、戯曲形式で書くべき内容だと思うが、それを小説のかたちにしたかったのだろう。

いささか消化不良気味だが、憎たらしくも愛くるしい小娘の魅力がふりまかれているのは確かです。まぁ強いてお薦めはしませんがね。
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Jリーグのコリアたち

2009-05-18 17:08:00 | スポーツ
まだまだ韓国のほうがサッカーは格上だ。

Jリーグが始まって、早二ヶ月余り。今年は韓国から数人選手が移ってきた。南ア・ワールドカップのアジア予選でトップをひた走る韓国代表のエースFWイ・グノもジュピロ磐田入りした。さすがに上手くて、強くて、しっかりと決める。低迷するジュピロの救世主になるかもしれない。

野球では、まだまだ日本が上だが、サッカーに関する限り韓国は、はるかにレベルが高いと思う。現在、プレミアのマンチェスターユナイテッドで活躍するパク・チソンは別格にしても、Jでみる限りでも日本選手より優秀だと思う。

たとえば神戸ヴィッセルのキム・ナミル。DFの中心を担っているが、実にクレバーなプレーをみせる。しかも力強く、守備の要となっている。そのプレーは技巧に走らず、シンプルで素早い。守備的MFとしてもプレーが出来るし、セットプレー時には、得点源にもなりうる。守備の手本のような選手だ。

また、今期からガンバ大阪に加入したチョ・ジェジンも素晴らしい。高く力強いだけでなく、スピードもあり、なにより頼りになる。エスパルス時代も良かったが、一度Kリーグに戻り再びの来日。ブラジル人が幅を利かすJリーグにあって、独特の存在感を示す。

今期のJリーグは、大物外国人の新加入はなかったので、なおさら韓国の選手が目立つ。

興味深いのは在日のコリア選手たちだ。なかでも柏の李忠成と、川崎フロンターレのチョン・テセの二人が面白い。チョン・テセは日本生まれの在日だが、韓国籍ながら現在北朝鮮代表チームの欠かせぬ戦力になっている。一方、李忠成は、日本国籍を選び北京五輪チームの主力選手として活躍した。怪我から回復すれば、いずれはA代表入りも狙える好選手でもある。

少し前にCS放送で、この二人を対比させたドキュメンタリーを放送していた。番組では、おそらく意図的に省いていたが、この二人の在日コリアの選択の違いは、教育環境にあると思う。

途中から日本の学校を選んだ李選手と異なり、チョン・テセは朝鮮学校で大学までを過ごしている。あの特殊な環境下で過ごせば、無理ないと思う。子供に判断できることではない。あれは洗脳教育そのものだ。

ただ、日本に帰化した李選手はともかく、チョン・テセの場合、いずれ苦労することになる。様々な形で朝鮮総連からの干渉を受ける。教わったことと、現実との乖離に苦しめられる。

北へ送金することを至上命題とされた朝鮮総連は、多くの在日を騙して金を集め、そのことで幾つもの訴訟を起される始末である。拉致問題が在日に与えた影響は大きい。私のみるところ朝鮮総連と在日朝鮮人との亀裂は拡がる一方だ。

それでも在日二世の老人は私に語る。家族が半島に居る以上、祖国は裏切れないと。ただ、子供や孫たちには自分の苦労はさせたくないとも呟く。お子さん(中年だが)は聞こえぬふりをしているが、孫は日本の学校にいれると断言していることを私は知っている。

家族を体制の異なる国に引き裂かれた不幸は、安易な同情を受け付けないと知っているので、私は余計な差し出口は挟まない。ただ、その話しに真摯に耳を傾けるだけだ。

昔は挨拶さえろくにしてくれなかったことを思えば、家族の秘密さえ話してくれるようになった今はずいぶん変ったと思う。まぁ、本音の多くは隠しているとは思うが、それでも長年の地道な実績が信頼を狽チたと信じている。

少子高齢化は確実に進む。日本人はどんどん数を減らすだろう。その一方、日本に流入する外国人は増える一方だ。コリアに限らず、チャイナ、ブラジル、フィリピン、タイといった外国人を日本にいかに受け入れるのか。

鎖国でもしない限り、この流入は止まらない。トラブルは当然に増えるはずだ。肌の色も生活習慣も違う人が増えれば、どうしたって軋轢は起る。それは必然だ。

場所にもよるが、どこの小学校でも、外国人の新入生は珍しくない。どう、彼らを受け入れるのか、そろそろ現実的な、つまり政府方針が必要になると思う。はっきり明文化していないので断言は出来ないが、霞ヶ関ではすでに金(資本)、物、人材の日本への導入は既定の方針だと考えていると思う。

ただ、まだ公表できるほど国民的合意は出来ていない。当然、行政への統一的施策もなく、各省庁がバラバラに対応しているのが現状だ。

私は学校への受け入れが非常に重要だと思います。少なくとも朝鮮学校のような特異な例外はつくるべきではない。あれは日本にも、また在日のコリアにも有害な存在だと私は考えています。
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