ヌマンタの書斎

読書ブログが基本ですが、時事問題やら食事やら雑食性の記事を書いています。

五番街のマリーへ

2010-07-23 12:36:00 | 日記
みんな、ノってるかい~

コンサート会場やライブハウスで時折聞かされる科白だ。バッカじゃないのかと思っている。観客がのっているか、どうか、それくらい分らないのか。いや、一々訊かねばならぬほど不安なのか。

第一、のりって奴は強要されるものではなかろう。プロならば、自らの実力で聴衆をわかしてみろと言いたい。本当に素晴らしい歌唱、演奏ならば、観客は自然に身体を動かし、あふれる感動を動作で表現するものだ。

だからノリを強要されるような科白を聞かされると、(そんなヘタな演奏でノレるか、アホたれが)と心のうちで毒づいていた。

なんで口に出さないのかといえば、そんなヘタな演奏でも楽しんでいる奴らの気分を害するのも悪いと思っていたからだ。ノレない演奏だからこそ、無理にでもノリを演じることで自ら楽しむ人がいることも分っている。私に彼らの楽しみを邪魔する権利はない。第一、本当に嫌なら会場を出ればいいだけだ。

要するに私はノリが悪い。いつの頃からかは分らない。少なくても子供の頃は、盆踊りでも神輿担ぎでも、簡単にノッていたはずだから、思春期以降だと思う。

一つ、心当たりがある。それが高橋真梨子のライブだった。

多分、昭和40年代後半から50年代頃だと思う。人気グループであったペドロ&カプリシャスのリードボーカルだった高橋真梨子が脱退してソロになった。

事情は知らないが、そのため高橋真梨子はメジャーな場所から姿を消して、小さなライブハウスや大学の学園祭などに多く出演していた。

当時私は、世田谷の三軒茶屋という街に住んでいたが、そこは大学がいくつもある学生街でもあり、学園祭のシーズンになるとャXターが電柱に張られ、実に華やかな雰囲気だった。

私もその雰囲気にまかれて、近所の大学の学園祭に入り込んでいた。教会のシスターにもらったチケットで高橋真梨子のライブを聴くためだった。もっとも、その時は高橋真梨子が誰なのか分っていなかった。

大学の講堂でそのライブは行われた。聴いてみてすぐに、あのペドロ&カプリシャスの女性ボーカルだと分った。そのライブの最中のことだった。突然、アンプが壊れてスピーカーが沈黙した。

大学生とみられるスタッフが慌てふためいているが、なかなか直らない。すると、高橋真梨子はマイクを床に置いて、バンドのメンバーに声をかけると、音響装置なしで唄いだした。

この時の歌が「五番街のマリーへ」だった。私も知っているヒット曲であり、ざわめいていた観客たちを瞬時に沈黙に追いやった。

その声量の凄さもさることながら、100人以上を収容できる講堂に響き渡る彼女の声の響きに聞き惚れた。音響装置で拡大されないにもかかわらず、末席の私にも聞こえる歌に酔いしれた。これが本物の歌手の実力なのか。

唄い終わると、観客は呪いが解けたかのように拍手を送った。熱狂を感じさせる興奮であり、とても座ってなんて居られなかった。本物の感動は心も身体も動かすものだと知った。

以来、コンサートやライブで「みんな、ノってるかい~」なんて科白を聞かされると、瞬時に醒めてしまう。ノリを強要するな、自らの実力で観客を自然にノラしてみろ。それがプロだろうと、私は思うね。
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パタリロ 魔夜峰央

2010-07-22 12:27:00 | 
理解不能。

なにがって、美少年のことである。こればっかりは理解できない。っつうか、感性が付いていけない。

思い返してみれば、美少年と称されるような輩は居た気もする。居たはずだが、私が興味がなく、また関心も湧かなかったので、居たかどうかさえ記憶にない。

覚えているのは、なよっとした男女みたいな奴なら居た。女みたいな奴だと、よく苛められていた気がする。私は関心がなかったので、苛める気にさえならなかった。ただ、少し気の毒には思っていた。その程度の関心だった。

だが、思春期を迎えて次第に色気づいてくると、男女みたいな奴らが意外にもてることを知った。なぜだか知らないが、女の子たちが騒いでいた。もっとも当人はさほど嬉しそうでもない。

中学の時のクラスメイトだったY君がそうだった。もっともY君は長身のスメ[ツマンで、私は彼の逆三角形の上半身の逞しさこそ評価していたが、彼の顔立ちには無関心だった。だからY君が女の子たちから騒がれるのも、彼のスポーツでの実績からだと思っていた。

私の考える二枚目、いわゆるハンサム、今風に言えばイケメンとは違うと思っていたが、思い返すと確かに綺麗な顔立ちだった。でも私は知っていた。彼がその女性風な優しい顔立ちをコンプレックスに思っていたことを。

品行方正、成績優秀なY君は私とは正反対の立場であったと思う。でも、なぜかY君は私のことを気に入っていたようで、私が落ちこぼれから真面目っ子に転進した時も、変らずに接してくれた数少ないクラスメイトだった。多分、私が彼の外見を気にしないことも影響していたと思う。

今にして思うと、Y君はすごくモテていた。ところが彼はそのことを苦痛に思っているようだった。彼とは近所の本屋で遇うことが多かった。彼の悩みは、3人のお姉さんたちの干渉だった。とにかく可愛がられているようで、服装から髪型まで口うるさく言われていたらしい。

さりとて女嫌いではなかった。何故なら、彼と私の最大の接点はエロ本のやりとりだったからだ。エロ本といっても可愛いもので、週刊プレイボーイや平凡パンチ、GORO程度だ。でも、中学生にとっては貴重なものだった。

その近所の本屋で、私たちはエロ本批評の話を飽きもせずに繰り返していた。彼の悩みはエロ本を家に置いておけないことだった。そのため、彼がひそかに入手したエロ本を私が預かることが多かった。もっとも私が家に隠しておいたはずのエロ本は、私の妹たちにはバレバレであったようだが・・・

Y君は自分の顔立ちを女の子たちから騒がれることをひどく嫌っていた。でも、そのわりにエロ本に掲載される女性たちのグラビアには厳しい批評家で、かなりの面食いでもあった。綺麗なお姉さんたちに囲まれて育っただけに、女性に対する視線はひどくシビアだったと記憶している。

その後はスポーツ推薦を受けて遠方の高校に寄宿してしまったため、疎遠になってしまった。多分、彼は美少年の部類に入ると思う。ただ、それを嫌って身体を鍛えることに異常に拘っていたことが忘れ難い。

美少年に興味がない私が、唯一認めていた美少年がY君だった。高校や大学でも、いわゆる美少年タイプに出会うことはあったと思うが、Y君ほど親しくなるような相手はいなかった。

そんな私にとって、表題の漫画は理解の限界点にあるものだった。主人公を除けば、美少年、美男がてんこ盛りの漫画であり、いかにギャグ漫画といえども、本来私の関心外にあるはずの漫画だった。

ただ、主人公の異常な、あるいは変態的なパワーがあるがゆえに許容できた。あのゴキブリ走法には爆笑したものだ。隠し味に古今東西の古典ネタからクトゥルー神話までぶちこむところも、私の関心をそらさなかった要因でもある。

それにしてもバンコラン少佐、Y君に少し似ている。本人嫌がるだろうけどね。でも性的嗜好までは似て欲しくないなぁ~
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サングラスの思い出

2010-07-21 12:24:00 | 日記
サングラスが嫌いだった。

私は人の表情をみるさい、目を第一にみる。顔が笑っていても、目が笑ってない人は珍しくない。穏やかな表情に見えて、目線がきついことから内心の厳しさが伝わってくることもある。目は口ほどにものを言う。

ところが、サングラスはその肝心な目を隠してしまう。これでは表情が十分に読めない。そのせいで、私は不安と不信感に駆られることが多い。

思い起こされるのは、初めて恐喝にあった時のことだ。小学校6年の冬休みだったと記憶している。いつものように地元の本屋さんに立ち読みに行った帰りのときだ。ちなみに立ち読みといっても漫画ではない。活字に渇望していた私は、文庫本を立ち読みで読みきる性質の悪い本好きであった。

これは近所に図書館がなく、小学校の図書室では物足りなかったからだ。でも、最大の理由は家が貧しく、それほど本を自由に買ってはもらえなかったからだ。不満を口に出すことはしなかったと思うが、その分立ち読みの時間が増えていたのは致し方ない。

まだ夕暮れというには、少し早い時間帯だった。細い路地を自宅に向かって歩いていると、正面から二人組みの少年が歩いてくるのが見えた。体つきからして中学生に思えるが、なんとなく違和感があった。

近づいてみて、その違和感の原因が分った。二人ともサングラスをかけていたのだ。正直、似合わないなぁと思ったが、不気味にも思った。私を注視していると感じたからだ。

すれ違うと思いきや、二人は私を挟むように囲むと、いきなり金を貸してくれと言ってきた。すぐにかつあげだと気がついたが、内心おかしさを我慢するのが辛かった。だって、おいら金持ってないもの。選べよ、鴨は。

五円玉と一円玉が数枚入っただけの財布を見せると、がっかりしたような、バカにしたような素振りで立ち去っていった。ふん!これでも駄菓子くらい買えるんだい。

多分、中坊デビューのチンピラ未満だと思うが、まるっきり素人丸出しだった。体つきこそ私より大きかったが、場馴れしていないことは、私でも分った。それでも逆らえなかったのは、サングラスのせいで表情が読めなかったからだ。

喧嘩のとき、相手の表情を読むのは重要なことだ。顔つきから虚勢や、怒り具合、自信とはったりなどを読み取り、戦うなら戦い、逃げるなら逃げる。これを素早く判断することが喧嘩に負けない秘訣だ。

ところが、サングラスのせいで私は困惑した。こいつら強いのか弱いのか分らなかった。今にして思えば、素人が粋がっているだけだと分る。第一、小柄な小学生にたかるようなチンピラが強いわけない。

弱いと分れば、謝るふりをして、いきなり股間を掴み急所を握りしめ、後はダッシュで逃げる手もあったのだが、サングラスに戸惑い、タイミングを失したのが私の失敗だ。

この一件以来、どうもサングラスが好きではなくなった。

雪山に登山する際に、雪の照り返しによる視力喪失を防ぐ時だけはサングラスを着用したが、それ以外で使うことはなかった。必要性を感じなかったからでもある。

ところがだ、近年車を運転している時に、眩しさから運転が不安になることが増えてきた。視力はそれほど変っていないので、なにか別の要因があるのかもしれないが、年齢によるものかもしれない。

いくらカーナビがあっても、道路標識が眩しくて読めないのは、どうにも戴けない。でも、度付きサングラスをかけるのも、なんとなく嫌だ。はて、どうしたものか?

迷っていたら、近所のメガネ屋さんで便利なものをみつけた。メガネに簡単に取り付けられるサンバイザーのようなもので、ちょっと手をかければメガネの上に被せてサングラス代わりになる。簡単に跳ね上がるので、運転しながらでも操作できるのが嬉しい。トンネルに入ってバイザーを跳ね上げるのも容易だ。

そんな訳で、これからの季節運転の際には、このメガネ用サンバイザーが必需品である。それにしても、これって老化現象だろうか?だとしたら、ちょっと寂しいなぁ。
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幻の水素社会 藤井耕一郎

2010-07-20 17:09:00 | 
上手い話には裏がある。

化石燃料であるガソリンの枯渇が心配されるようになって久しい。また、その化石燃料から排出される二酸化炭素による温暖化への危惧も、今や常識と化している。

だからこそ、新たなエネルギー資源が求められている。そこで本命視されているのが水素だ。燃焼させても水が排出されるだけであり、また最も軽い元素であり、いたるところにある資源でもある。

この水素を燃料電池として活用して、脱ガソリンを図り、また地球温暖化防止にも役立てる。なんて、素晴らしいアイディア!!

だが、ちょっと待って欲しい。いったい何時からCO2が地球温暖化の原因だと断定されたのだ。ガソリンの枯渇にしたところで、第三者的に納得できる科学的データーはほとんどないぞ。

表題の作品の著者は、この水素エネルギーこそ未来の理想像だとのトレンドは、ある種の政治的な策謀の結果だと喝破する。私が期待したような技術的な話は少なかったが、ローマ・クラブから派生したと思われるリプキンの掲げる水素社会なんて、幻想だとの主張にはそれなりに説得力はあると思う。

またその背後にあるのは、石油という極めて重要な戦略物資を寡占するイスラム諸国への対抗意識だとの推論は、いささか乱暴に思う。しかし、欧米に潜む反イスラム感情の根強さが垣間見えて興味深いと思う。

私自身、原油という化石燃料が次第に減りつつあることは間違いないと思う。その一方、石炭や天然ガスは完全に石油の代替エネルギーとはなりえないことも分っている。さりとて水力発電や太陽光発電や風力、潮力発電も地域性が強すぎて、石油ほどの利便性は持ち得ない。

そして水素だが、これも技術的、あるいは経済的な問題が山積しているのは誰もが否定しがたい事実だ。技術のブレイクスルーなんて、簡単には起らない。

嫌な予想だが、この先水素エネルギーの実用化という看板を掲げた詐欺が、それもかなり大規模な詐欺が起る可能性は高いと思う。いつの時代だって、詐欺は事実を元に仕組まれる。人々の不安と欲望を生める形で、詐欺師は入り込んでくる。

そんなものに引っかからないためにも、情報には気を配りたいものだ。
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敢て消費税を

2010-07-16 12:06:00 | 経済・金融・税制
敢えて言ってしまうと、日本の税制は貧しいものに甘い。優しいのではない、あくまで甘いのだ。

途上国はいざしらず、欧米のような先進国と比べても、低所得者に甘いとしか言いようがない。具体的に数字を出すと、年に100万から200万程度の低所得な国民に対しては、驚くほど税金が安い。

高齢者中心の年金生活者に対しての税制の優遇は分らないでもない。しかし、問題は働き盛りの低所得者だ。本当にあの程度の収入で暮らしているのか?

税理士として納税者にかかわるようになって、今年で16年になる。私の実感からすると、低所得者の申告には疑いの念を抱かざる得ないことが多い。

一番多いのは、収入の一部を除外して申告しているケースだ。これを「つまみ申告」と言う。支払先や預金を調べれば簡単に分る脱税なのだが、けっこうやる人は多い。

近年、増加しているのは、親や祖父母からの経済的支援を受けているケースだ。これは一概に脱税とは言えない。このような親からの援助は、所得税の課税対象ではない。贈与税の課税対象となる。

ただし、学費の支援や生活扶助のためなどの贈与税の非課税の範囲に収まるならば問題がない。もちろん、鳩山・前総理のような政治資金援助は贈与税の課税対象だ。

リストラ流行の昨今、親たちから経済的支援を受けているのは低所得者だけとは限らない。若いサラリーマンが不動産を購入する場合など、親からの支援があるケースが当たり前になっている。贈与税の特例の適用を受けてのケースもあれば、申告しない贈与である場合も多い。場合によっては、多額の贈与税が出るので注意が必要だ。

いずれにせよ、税金がかかろうとかかるまいと、所得には表れない隠れた収入があることは珍しくないのが実情だ。だからこそ、低所得でも生計がたつのだろう。

で、これって不公平じゃないかい?

ほぼ100%ちかく収入を正しく申告(天引きではあるが)される給与所得者(サラリーマンやOL)に比べると、納税負担はかなり違う。税金だけではない。健康保険や年金の負担だって相当な違いとなる。

所得課税という方法では不可避な欠点であり、長年問題視されながらもなおざりにされてきた。ただし、近年はあまり問題視されることは少なくなった。なぜなら消費税が誕生したからだ。

金銭の費消に対して課税される消費税は、基本的には平等な税制でもある。高所得者であろうと、低所得者であろうと金銭を使った分だけ課税される。

貧乏人に厳しいとされ、逆累進性を指弾されることも多い。しかし、金持ちが多額の税金を負担することへの不平等性だってある。所得が多いほど税率が上がる累進課税は、マルクス主義の遺物だといっていい。ある意味、不平等税制の極みでもある。

100万円に対しての10%と、一億円に対しての10%は同じ負担だが、一億円なら30%だとしたら、これは不平等以外の何者でもない。もっとも金持ち憎しの嫉妬の塊であったマルクスは、この貧乏人の僻み根性に媚売った累進課税こそが、平等社会の実現に極めて有効な戦術だと考えていたようだ。

私は財産課税に対してならば累進課税は認めてもいいと思うが、当人の努力の成果(所得)に対しての累進課税には同意できない。まあ、逆の意見もあることは承知しているが、マルクス的嫉妬の税制は少子高齢化社会には適さないと思う。

結果の平等を求める制度は、勤勉さや努力を貶め、怠惰と放漫を煽動すると思う。やはり機会の均等を保証し、その後は努力と運(非科学的だけど、あると思うねぇ)次第で格差が生じる社会のほうが健全だと私は思う。

だからこそ、消費税はこれからの日本の財政を支える極めて有効な制度だ。ただ、菅総理の言う低所得者への還付は、現行の消費税では難しい。

もし、今の制度の延長線上で低所得者還付をやれば、必ず脱税が横行するはずだ。なぜかと言うと日本の消費税は帳簿計算方式を採用しているからだ。帳簿を偽装すれば、還付申告をやらかすことも可能だからだ。

そして、私の経験からすると、低所得者ほど帳簿をいい加減に作る。いや、作っていない。

ちなみに消費税のような大型間接税の歴史が長いヨーロッパでは、インボイス方式を採用している。要するに収入にかかる消費税と、支出にかかる消費税とを集計し、インボイスの差額で納付すべき、あるいは還付される消費税が計算される。

インボイスは公式な証票であるため、インボイスを発行している事業者は、確実に消費税の課税事業者だ。日本のように零細規模の事業者で、消費税の納税義務がないのに消費税を上乗せするようなことができる制度ではない。だから、ヨーロッパでは消費税の脱税は難しい。

菅総理がどこまで財務省と話を詰めているのか知らないが、現行の消費税制度では低所得者の還付は難しい。おそらく、その伏線にあるのは、インボイス制の導入ではないかと私は勘ぐっている。

消費税は還付になった、でも所得が税務署に把握されて所得税と住民税は納税になる。そんなケースが増えるのではないだろうか。ある意味、低所得者には厳しい制度でもある。だって、所得が政府に把握されれば当然、健康保険や年金の納付義務も生じるでしょうからね。

どんなことになるのか、さっぱり分りませんが、今の日本政府の財政状況をみれば、決して甘い制度にはならないことは間違いないと思いますよ。

もっとも参議院選挙での大敗を受けて、与党民主党は消費税増税を引っ込めてしまいそうです。その癖、ばら蒔き政治を止める気はないようなので、財政赤字の問題は先送りされそうです。困ったものですね。
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