サングラスが嫌いだった。
私は人の表情をみるさい、目を第一にみる。顔が笑っていても、目が笑ってない人は珍しくない。穏やかな表情に見えて、目線がきついことから内心の厳しさが伝わってくることもある。目は口ほどにものを言う。
ところが、サングラスはその肝心な目を隠してしまう。これでは表情が十分に読めない。そのせいで、私は不安と不信感に駆られることが多い。
思い起こされるのは、初めて恐喝にあった時のことだ。小学校6年の冬休みだったと記憶している。いつものように地元の本屋さんに立ち読みに行った帰りのときだ。ちなみに立ち読みといっても漫画ではない。活字に渇望していた私は、文庫本を立ち読みで読みきる性質の悪い本好きであった。
これは近所に図書館がなく、小学校の図書室では物足りなかったからだ。でも、最大の理由は家が貧しく、それほど本を自由に買ってはもらえなかったからだ。不満を口に出すことはしなかったと思うが、その分立ち読みの時間が増えていたのは致し方ない。
まだ夕暮れというには、少し早い時間帯だった。細い路地を自宅に向かって歩いていると、正面から二人組みの少年が歩いてくるのが見えた。体つきからして中学生に思えるが、なんとなく違和感があった。
近づいてみて、その違和感の原因が分った。二人ともサングラスをかけていたのだ。正直、似合わないなぁと思ったが、不気味にも思った。私を注視していると感じたからだ。
すれ違うと思いきや、二人は私を挟むように囲むと、いきなり金を貸してくれと言ってきた。すぐにかつあげだと気がついたが、内心おかしさを我慢するのが辛かった。だって、おいら金持ってないもの。選べよ、鴨は。
五円玉と一円玉が数枚入っただけの財布を見せると、がっかりしたような、バカにしたような素振りで立ち去っていった。ふん!これでも駄菓子くらい買えるんだい。
多分、中坊デビューのチンピラ未満だと思うが、まるっきり素人丸出しだった。体つきこそ私より大きかったが、場馴れしていないことは、私でも分った。それでも逆らえなかったのは、サングラスのせいで表情が読めなかったからだ。
喧嘩のとき、相手の表情を読むのは重要なことだ。顔つきから虚勢や、怒り具合、自信とはったりなどを読み取り、戦うなら戦い、逃げるなら逃げる。これを素早く判断することが喧嘩に負けない秘訣だ。
ところが、サングラスのせいで私は困惑した。こいつら強いのか弱いのか分らなかった。今にして思えば、素人が粋がっているだけだと分る。第一、小柄な小学生にたかるようなチンピラが強いわけない。
弱いと分れば、謝るふりをして、いきなり股間を掴み急所を握りしめ、後はダッシュで逃げる手もあったのだが、サングラスに戸惑い、タイミングを失したのが私の失敗だ。
この一件以来、どうもサングラスが好きではなくなった。
雪山に登山する際に、雪の照り返しによる視力喪失を防ぐ時だけはサングラスを着用したが、それ以外で使うことはなかった。必要性を感じなかったからでもある。
ところがだ、近年車を運転している時に、眩しさから運転が不安になることが増えてきた。視力はそれほど変っていないので、なにか別の要因があるのかもしれないが、年齢によるものかもしれない。
いくらカーナビがあっても、道路標識が眩しくて読めないのは、どうにも戴けない。でも、度付きサングラスをかけるのも、なんとなく嫌だ。はて、どうしたものか?
迷っていたら、近所のメガネ屋さんで便利なものをみつけた。メガネに簡単に取り付けられるサンバイザーのようなもので、ちょっと手をかければメガネの上に被せてサングラス代わりになる。簡単に跳ね上がるので、運転しながらでも操作できるのが嬉しい。トンネルに入ってバイザーを跳ね上げるのも容易だ。
そんな訳で、これからの季節運転の際には、このメガネ用サンバイザーが必需品である。それにしても、これって老化現象だろうか?だとしたら、ちょっと寂しいなぁ。
私は人の表情をみるさい、目を第一にみる。顔が笑っていても、目が笑ってない人は珍しくない。穏やかな表情に見えて、目線がきついことから内心の厳しさが伝わってくることもある。目は口ほどにものを言う。
ところが、サングラスはその肝心な目を隠してしまう。これでは表情が十分に読めない。そのせいで、私は不安と不信感に駆られることが多い。
思い起こされるのは、初めて恐喝にあった時のことだ。小学校6年の冬休みだったと記憶している。いつものように地元の本屋さんに立ち読みに行った帰りのときだ。ちなみに立ち読みといっても漫画ではない。活字に渇望していた私は、文庫本を立ち読みで読みきる性質の悪い本好きであった。
これは近所に図書館がなく、小学校の図書室では物足りなかったからだ。でも、最大の理由は家が貧しく、それほど本を自由に買ってはもらえなかったからだ。不満を口に出すことはしなかったと思うが、その分立ち読みの時間が増えていたのは致し方ない。
まだ夕暮れというには、少し早い時間帯だった。細い路地を自宅に向かって歩いていると、正面から二人組みの少年が歩いてくるのが見えた。体つきからして中学生に思えるが、なんとなく違和感があった。
近づいてみて、その違和感の原因が分った。二人ともサングラスをかけていたのだ。正直、似合わないなぁと思ったが、不気味にも思った。私を注視していると感じたからだ。
すれ違うと思いきや、二人は私を挟むように囲むと、いきなり金を貸してくれと言ってきた。すぐにかつあげだと気がついたが、内心おかしさを我慢するのが辛かった。だって、おいら金持ってないもの。選べよ、鴨は。
五円玉と一円玉が数枚入っただけの財布を見せると、がっかりしたような、バカにしたような素振りで立ち去っていった。ふん!これでも駄菓子くらい買えるんだい。
多分、中坊デビューのチンピラ未満だと思うが、まるっきり素人丸出しだった。体つきこそ私より大きかったが、場馴れしていないことは、私でも分った。それでも逆らえなかったのは、サングラスのせいで表情が読めなかったからだ。
喧嘩のとき、相手の表情を読むのは重要なことだ。顔つきから虚勢や、怒り具合、自信とはったりなどを読み取り、戦うなら戦い、逃げるなら逃げる。これを素早く判断することが喧嘩に負けない秘訣だ。
ところが、サングラスのせいで私は困惑した。こいつら強いのか弱いのか分らなかった。今にして思えば、素人が粋がっているだけだと分る。第一、小柄な小学生にたかるようなチンピラが強いわけない。
弱いと分れば、謝るふりをして、いきなり股間を掴み急所を握りしめ、後はダッシュで逃げる手もあったのだが、サングラスに戸惑い、タイミングを失したのが私の失敗だ。
この一件以来、どうもサングラスが好きではなくなった。
雪山に登山する際に、雪の照り返しによる視力喪失を防ぐ時だけはサングラスを着用したが、それ以外で使うことはなかった。必要性を感じなかったからでもある。
ところがだ、近年車を運転している時に、眩しさから運転が不安になることが増えてきた。視力はそれほど変っていないので、なにか別の要因があるのかもしれないが、年齢によるものかもしれない。
いくらカーナビがあっても、道路標識が眩しくて読めないのは、どうにも戴けない。でも、度付きサングラスをかけるのも、なんとなく嫌だ。はて、どうしたものか?
迷っていたら、近所のメガネ屋さんで便利なものをみつけた。メガネに簡単に取り付けられるサンバイザーのようなもので、ちょっと手をかければメガネの上に被せてサングラス代わりになる。簡単に跳ね上がるので、運転しながらでも操作できるのが嬉しい。トンネルに入ってバイザーを跳ね上げるのも容易だ。
そんな訳で、これからの季節運転の際には、このメガネ用サンバイザーが必需品である。それにしても、これって老化現象だろうか?だとしたら、ちょっと寂しいなぁ。