床屋さんの必需品、それが「ゴルゴ13」だったと思う。
今年、お亡くなりになった漫画家でも一番の大物が、さいとうたかをである。日本人男性で読んだことがない人は、極めて珍しいはずだ。
思い返せば、いつの時代にも「さいとうたかを」の漫画はあった。少なくとも私が漫画を読みだした昭和40年代には、既に売れっ子の漫画家であり、平成、令和と時代は変われど、常に書店の一角には在庫がある漫画家である。
ところで漫画好きの私だが、実はさいとうたかをの漫画を買ったことはない。なんとなく床屋さんの待合席で読むものだと思い込んでいた。買い込むほど好きではないが、決してツマラナイと思ったことはない。
ただ週刊少年サンデーで連載されていた「サバイバル」だけは、けっこう熱心に読んでいた記憶がある。元々、山好きというか、野外生活が好きだったので、関心が湧いたせいだと思う。
うろ覚えだが、あの頃は小松左京の「日本沈没」がブームになっていたこともあり、カタストロフィものが流行っていたのだと思う。もっとも現実的なことを言うと、日本列島は四つのプレート(地殻)の上に乗っていて、そのせいで火山噴火、地震、津波などの天災に襲われやすい。
だがそのおかげで海底資源には恵まれている。また沈むどころか、数十万年後には伊豆諸島や小笠原諸島が本州とつながって、巨大なTの字型の列島になっている可能性がある。沈むどころか、面積を増やしているのが日本列島である。
それはさておき、さいとうたかをの代表作といえば「ゴルゴ13」と「鬼平犯科帳」「仕掛け人・藤枝梅安」の三作だと思う。この三作だけは、さいとう本人が年老いて仕事がきつくなっても描き続けてきた。
漫画家としてのさいとうたかをは、漫画界に分業制を本格的に導入したことで知られている。また時代や流行に流されないため、頑ななまでに画風を変えなかったことでも知られている。またその傘下からは多くの漫画家が旅立ったことでも知られている。
正直、批判も多いが、漫画作成をビジネスとして確立させた功労者であるのも事実だと思う。ただ、一点気の毒なのは、最後まで親御さんからその仕事を認めてもらえなかったことだろう。
母親は漫画描きなど真っ当な仕事とは考えず、生涯たかをを許さなかったという。皮肉なことに、シングルマザーとして子供たちを育て上げた母親の家業は床屋であった。
私はさいとう氏がビジネスとしての漫画業を確立することに執念を燃やした根幹は、母親に認めて欲しいとの願いがあったと想像しています。残念ながらその願いは叶いませんでした。でも、さいとうたかをの漫画は、世に広く知られ、多くの人を楽しませてきたのは確かです。
まさに漫画界にとっては巨星でした。謹んでご冥福をお祈りいたします。
私は基本的にネット上では仕事はしないと決めている。
守秘義務の観点からも好ましくないし、表に現れない情報が重要であることも多く、安易な助言が出来ないと考えているが故である。
ただし一般論ならば書いても構わないと思っている。今回、書く気になったのは、ここ最近、贈与税の暦年課税の強化が、わりと話題になっているからだ。贈与税という奴は、あまり馴染がない税金だと思うので、改めてまとめてみた。
まず基本から。贈与とは、財産の無償の所有権移転を言う。要はタダで物をもらうことだ。この贈与で受けた経済的利益に対して課税するのが贈与税である。
タダで所有権移転しているのに、その経済的利益とはなんのことか。これは例を挙げた方が分かり易い。例えば、上場された株式(時価1000万円)を子供や孫に贈与することだ。贈与契約時代は無償だが、受け取った側には時価相当額の財産が授与されている。この時価相当額に対して課税することになる。
興味深いのは、贈与税法といった法令はない。相続税のなかに、贈与の規定があり、相続税法の中に組み込まれている。
これは、政府が贈与を、相続の前払いだと認識しているからである。事実、多くの贈与は、相続税対策で行われることが多い。なかでも、一番簡単に出来る相続対策が、110万円の金銭贈与である。
贈与税には非課税の枠(基礎控除)がある。110万円マイナス110万(基礎控除)=0円であるから、贈与税は0円となる。
ある資産家が、子供2人、孫4人に毎年一人110万円の贈与を実行すれば、10年で6600万円の財産をタダで子孫に残せる。単純だが、効果的な相続税の節税手段である。
実際には、実務上注意しなければならないことが幾つかあるのだが、別に節税指南が目的のブログではないので、これは割愛します。個別に質問されても返答しません。
この節税策は長年行われており、その指南役として税理士が活躍しているのは確かです。ただ、国税当局はこれを苦々しく思っていたようで、時折制約を加えてきていました。
今、話題になっている暦年贈与の制限もその一環だと、私は認識しています。
多分、不安になった方も少なくないと思います。実際、私も顧問先から時折、この連年贈与の課税強化に関して尋ねられることが増えました。無理もないと思います。実際、年末に公表される税制改正大綱には、毎年のように贈与税の課税強化が論点として取り上げられています。
ただし、現時点ではまだあまり心配し過ぎることはないと考えています。
というのは、この暦年贈与への課税強化を報道する記事の多くは、私の同業者たちが書いているものが多いからです。つまり、ぶっちゃけ不安を煽って顧客を獲得せんとする営業戦略の匂いが濃厚なのです。別に嘘は書いていませんし、決して不正だとも思いません。ただ、煽り過ぎだとは感じています。
私も税務の現場に身を置いて30年ちかくになりますが、贈与に対する課税は非常にナイーブで厄介なのが実情です。
なぜかというと、贈与には日常的なものも含まれていますし、それに課税するのは国民感情からしても難しいからです。具体例を挙げましょう。
① 祖父が孫の高校入学祝いに50万円のPCを送った。
② 祖母が入院した孫の介護費用として半年分100万円を息子に渡した。
③ リストラされて無職の娘夫婦を心配して、生活費100万円を現金で渡した。
上記はいずれも贈与です。ですが、税務の現場で、これらに課税されたことはありません。なぜなら贈与税の非課税規定の枠内に収まると判断できるからです。
④ 祖父が孫が東京の大学に入学したので、4年分の生活費として1000万円振り込んだ。
⑤ 父親が医大受験に失敗した息子の生活費一年分1000万円を振り込み、その代わりバイトを禁止した。
これは微妙です。④について税務署は強固に贈与税の課税対象だと主張していましたが、最終的には生活費の根拠となる資料を呈示して課税を回避できました。⑤については、相当に揉めました。幸いと云うか、この息子さん質素な暮らしぶりで、領収証なども保存してあったので、やはり生活費として課税を免れました。
⑥ ようやく大学に合格したお祝いに、祖父が孫に高級外車1000万相当をプレゼントしました。
⑦ 医大を卒業し数年後、ようやく開業に至った孫の医院設立の資金1000万円を祖父が振り込んだ。
⑥は完全にアウトです。⑦もやはり完全にアウトなのですが、これは事前に相談があったので、開業資金の貸与との形式を整えてあったので、課税を回避できました。金利は大幅安ですけどね。
①から③までは、常識の範囲で分かる非課税ですが、④から⑦は対応いかんで課税される場合もあるグレーゾーンです。
簡便に説明しましたが、税務の現場では贈与税の課税、非課税の扱いは非常に面唐ナす。そこで国税当局は、住宅資金の贈与(相続)税精算課税制度や、教育資金の信託銀行扱いによる非課税制度などを設けて、実態を明らかにして、その後の課税に備える戦略と採用しています。
なかでも相続税精算課税制度は厄介な制度で、これを一度でも選択してしまうと、親からの贈与は全て相続時に精算となるので、ちょっと危ない制度だと私は考えています。
その一方、信託制度を利用した贈与プランは、手数料が高い他は国税当局にとっては極めて有用な制度となっています。税務調査の現場で一番厄介な資金の流れを金融機関を通じて把握できるのは、国税当局にとってはありがたい制度だと思います。
おそらくですが、国税当局は資金の流れを明白にして、相続(贈与)の課税漏れを把握できる手段を増やすため、新たな贈与税の非課税プランを模索していると思います。それが税制改正大綱に具体的に出てくるはずですが、かなり難しいと思います。
率直に言いますと、贈与について悩むのは、ある程度の資産家です。常識の範囲で収まる程度の贈与ならば、そうそう心配することはないはずですよ。
今年、平成の怪物と呼ばれた松坂大輔が引退した。
高校生の頃から抜きん出た実績を残しているし、それはプロ入りしてからも変わらない。メジャーでも活躍し、日本に戻ってきてからは並以下の投手になっていたが、それでも全盛期の松坂は凄かった。
ただ私の印象は、良く打たれる投手であり、手抜きが並以上の速球になる投手であった。
良く打たれるのは、強打者に対して逃げず、真っ向勝負をしたがるからだ。インタビューなどでは否定していたが、ホームランバッター相手に直球勝負を挑み、それを楽しむようなところがあったのは確かだと思う。
またクリーンナップ以外の打者に対しては、7割程度の力で投げていたと思う。ただし、追い詰められると、いきなり全力を出せる人で、それが緩急の差となって打者を困惑させていた。
意外かもしれないが、松坂は速球派ではなく、技巧派に近かったと思う。というのは、速球のコントロールはあまり良くなかったからだ。その反面、変化球の使い方が上手いだけでなく、力のある変化球を投げられる投手でもあった。たしか野村監督も似たようなことを言っていたから、私の勘違いではないと思う。
更に言ってしまうと、心臓に毛が生えているかのようなメンタルの強い投手であったと思う。だから大舞台に強かったし、逆になんでもないところで打たれたりもしていた。
やはり怪物と呼ばれた江川卓と比べると、速球ならば江川、変化球ならば松坂だと思う。どちらも生で見ているが、共通するのは手抜きの部分。試合中、大半の投球は手抜きというか、7割程度の力で投げていた。そして追い詰められると全力投球に変わる。
いつでも全力疾走の青春野球である甲子園のヒーローでありながら練習嫌い。それでいて大勝負ではここ一番の力を発揮する点でも、この二人は似ていたように思うのです。
だから記録よりも記憶に残るピッチャーでした。なんでもないデイゲームで負け投手になることも多々ありましたが、大舞台でマウンドに立ちはだかる松坂の姿は恰好良かったです。
長い間、お疲れ様でした。
もはやハチミツは貴重品なのだろうか。
一匹のミツバチがその生涯に採取して出来る蜂蜜の量は、わずかにティースプーン一杯だと言う。かくも微量な蜂蜜だが、その栄養価は完璧に近く、しかも保存食としても際立って優秀だ。
そのため古来より人間の食物として活用されてきたが、昨今の農薬の発達が複合汚染としてミツバチを苦しめ、なぞの集団失踪事件を起こし、養蜂家を絶望させたのは数年前のこと。
人間の作る商品作物だけでなく、何気ない花々の受粉には蜂は必要不可欠であり、ミツバチがいなければ農業は壊滅的打撃を受ける。困ったことに、ミツバチの集団失踪は世界規模で起きたので、現在もそのダメージは回復しきれていない。
以下、私が贔屓にしている某自然食品専門店の店主から伺った話。
私がその店を知ったのは30代の時だ。当時は減塩に凝っていて、同じ難病仲間から聞いた「精製された塩よりも、天然塩のほうが腎臓に優しい」を真に受けて、手ごろな岩塩を探して行き着いたのがその店だった。
当初は塩ばかり買っていたのだが、ある日店主から「これ、舐めてみてよ」と云われて試したのがレンゲの蜂蜜。驚いた、軽い甘さでありながら、豊潤な香り。訊けば、国内の養蜂農家から直に仕入れたその年の新作だとか。
値段はちょっと高めで、一瓶8千円(当時)した。私的には値段よりも、量(一リットル入り)のほうがきつかったが、紅茶に入れたり、パンやホットケーキに塗ったりして、一年以内に食べ切った。
以来、その店を贔屓にしていたのだが、件のミツバチ失踪を受けて、国内のレンゲの蜂蜜はレアモノと化し、入手できずにいた。仕方ないので、店主が進めるルーマニア産やニュージーランド産の蜂蜜を買っていた。
ところが、その店主から今年は自信をもって奨められる蜂蜜がないと云われてしまった。
理由を尋ねると、どうも混ぜ物があるらしく、こんな純粋な蜂蜜を売りにしている当店では扱えないものが増えて、必要な商品を揃えられないとのこと。
そこで先日、店を訪れて詳しく訊いてみた。冒頭に書いたように、本来蜂蜜は微量にしか採取できない。特に品質の良い蜂蜜は、量が限定される。ところが、近年出荷量が異様に多い。そんなに採れるはずがないので、調べてみたら砂糖水から作られた蜂蜜が混じっているようなのだ。
蜂蜜といえば花から採るものだと思い込みがちだが、実はいろんなものから採れる。なかでも困るのは、公園などで人間が捨てる甘味のお菓子だ。特にチョコレートにミツバチが集いがちで、その結果色の濁った蜂蜜が巣箱に出現することになる。これは売り物にならない。
また冬場など花の少ない時期は、養蜂家みずから蜂に砂糖水を与えて、蜂を元気づけることもある。これは昔からあったことで、短期間ならば問題ないらしい。
しかし、店主が言うのは、この砂糖水等から作られたと思しき蜂蜜の量が以前よりも格段に増えているようなのだ。ブランド名は教えてもらえなかったが、ある国で採取される人気の蜂蜜は、その花の量自体が少なく年間で400トン程度の蜂蜜が出荷されるはず。ところが実際には1500トン以上の蜂蜜が出荷されていることが露呈した。
この明らかに水増しされた有名な蜂蜜は、その国の業界で問題となり、現在内部調査がされているらしい。その蜂蜜のブランド化には、相当な苦労があっただけに、その価値を貶める水増し問題は、その国では看過できぬこととなり、その情報が公開されたわけだ。
やばい、私も買ったことあるぞ。値段は高いが、たしかに美味しい蜂蜜なんだよね。でも、今年は入荷しないそうだ。
結局、私は国内の養蜂農家直卸のアカシアの蜂蜜を予約して、その店を後にした。
余談だが、現在の日本の大手食品会社の販売する蜂蜜は、シナの蜂蜜を主体にしたものが多い。件の店主は「うちはシナからの蜂蜜は絶対売りません」と断言していた。
シナの蜂蜜は昔は伝統的な良い味であったそうだが、経済発展が進んでからは、その品質に疑問が生じて一切仕入れなくなったそうだ。特にミツバチの集団失踪事件以降、シナでも蜂蜜不足が生じたのは事実。にもかかわらず、以前よりも出荷量が増えている。これを怪しまないほうがおかしい。
いや、日本国内でも実際に水増しは増えていると考えるほうが自然だと思う。まァ有害物質が混入している訳ではないけど、やはり嫌な気分ですね。
長年疑問に思っていた。
ジェームズ・エルロイがアメリカ・ミステリー界の最北端だとの評は良い。サイコ・ミステリーの書き手はそう多くないが、その中でもエルロイの作品から漂う残虐さ、無慈悲さは群を抜いているからだ。あまりにきつくて、私など読むのは年に一回と決めているぐらいだ。
しかし、私が分からなかったのがエルロイを評してアメリカ文学界の狂犬だとされていることだ。文学?エルロイが文学の範疇に入るのか?
最近になってだが、ようやくエルロイがアメリカ文学界で評価される理由が分かってきた気がする。
エルロイはアメリカの司法を信じていない。警察の不正、検察の不作為、そして裁判の不公正さを犯罪者の一人として実際に看てきたが故に、アメリカの正義を信じられなくなっている。
その正義の体面を守るため、数多くの犯罪が隠蔽され、犯罪者が野放しにされ、それをやってのけた人間が出世して司法組織を守っている。守られるべき善良なる市民は踏みにじられ、蹂躙され、最後は社会から抹殺される。
これほどまで苛烈にアメリカの正義を突き放した作家が他にいるだろうか。彼はジャーナリストでもなく、元警察官でもない。検事でもなく裁判官でもない。
母親を殺され、アル中の父親のもとに置かれ、まっとうに育つことなく犯罪者の予備軍として街をうろつき、何度も捕まりながらも決して更正することなく、犯罪を繰り返してきた。
ただ知能が高く、その強烈な自我ゆえに自らの置かれた状況を甘受できず、武器をナイフからペンに変えて、犯罪者でなければ書けないミステリーを書いて世に出た異能の作家である。
ただの元・犯罪者ではない。心の奥底に、正義を看板にするアメリカ社会への痛烈な怒りを秘めた作家である。
表題の作品では、主人公たちは皆警察官ではあるが、誰一人犯罪に手を染めていない者はいない。それでも正義を実現しようと奮闘し、遂には踏みつぶされた警官たちである。
彼らが追い求めた正義と、彼らを踏みにじった正義。怒りの置き場をどこにもっていけばよいのか。どこにもない!
そんなエルロイの怒りが聞こえてくる逸品です。読み手を選ぶとは思いますが、興味がありましたら是非ご一読を。