
かくして囚われの牛たちはきょう山を下り、里へ帰る。昨日給餌に行ったら、前日の雨のせいだろう、2頭とも泥だらけになっていた。若い方の牛25番は蹄に綱を絡ませもがいていたから外してやり、2頭の牛に牧場では最後になるはずの餌を与えると、何も知らない牛たちは旺盛な食欲を見せた。
今朝、畜産課からは一昨日と同じ課長とS君、それと畜主側から2名、それぞれのトラックで9時半ごろに来た。それからのことは、改めて再現する気にならないくらい疲れ、捕縛からトラックに乗せるまでの一連のことは14年間の牛守生活の中で最も神経と体力を使ったと、そう言えば充分だと思う。あの牛たちは今ごろ、5か月にも及んだ牧場暮らしをどう思っているのか、特に先の短い老牛27番のことが気になる。
それにしても、こういう残留牛の処置について、似たような事例は他の牧場でもあるだろうに、こんなやり方しかないというのではいささか心許ない。鎮静剤を打つとか、麻酔薬を使うとか、もっと科学的な対応があってしかるべきだと思うが、行政も専門家もその期待には応えてくれなかった。肉牛に関して言えば、良質な肉を生産する知識や技術は大いに進んでいるはずだが、今回のような問題に対する蓄積された方策がないとすれば、不思議としか言いようがない。
牛が無事に里に下りると、次には露天風呂の基礎を改良する工事の手伝いが待っていた。その間にはキャンパーの対応や大沢山の工事の打ち合わせも加わり、もう何をする気にもならない。空はよく晴れているものの気温は低く4度しかなく、初冬の趣を強く感じている。明日、水道の水を落とせば、これからは取水場までの水汲みが必要となる。牛もいなくなったことだし、そろそろ暮らしの比重を山から里へ移すべき時が来たということだろう。
一昨日、いつもながら急に思い立って、里に下った。ここではただでさえ遠慮している入浴だが、一安堵した気分も手伝い一風呂浴びようとしたら、なんと知らぬ間にキャンプ場の水道管が寒さのため破裂して、水圧低下でここの風呂は使えなくなっていた。丁度食料も乏しくなっていたから、そのことも山を下る理由にした。そしてその夜は遠路を思い長湯をしたが、お蔭で一度も目覚めず、9時間ぐっすりと眠った。
朝家を出る時、すっかり葉を落とした柿の木にたくさんの赤い実が目に付いた。今年は豊作だというのに、あのまま放置されて椋鳥の餌になるだけかと思えば、柿の木ばかりか主なき陋屋に寂しさを覚え、誰にというわけではなかったが詫びた。
本日はこの辺で。