入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’20年「冬」(9)

2020年11月13日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 山から少しづつ里の暮らしに移行しつつある。そんな中で分かったことは、片道38キロ、1時間15分の通勤はやはり、今の生活にとってはかなり重要な部分を占めていたということだった。合計にすれば2時間半から時には3時間、この非生産的に思える時間が、存外タンパク質やビタミンのような栄養食物に似た物だったと知った。
 牧にも素晴らしい自然がある。それは充分過ぎるほど感じている。それでも、特に山室川に沿って上がってくる際、季節とともにゆっくりと変化する美しい自然に触れることは、何にも勝る栄養剤だと、愚かにもそれが切れかけて知った。
 もっとも、道中で感じたり、思ったりすることなど他愛ないことばかりで仕方なく、句も歌も詩も生まれたためしがない。作る気さえしない。それでいて決してその間が無益ではなく、むしろ必要だと感ずるのは、それこそこうして自然の実力を再認識したからだろう。
 この通勤の時間が無くなれば、余裕はできる。できるが、さりとてせいぜいできることといったらそれを持て余すくらいのことで、瞑想でもすればよいと思うのだが、なかなかそこまで人間度が熟し切れていない。であれば、今年はもうすぐ牧を閉じるが、残された日々を愚直に通うだけだ。
 今は落葉が進んで、深い谷や遠くの景色がこれまでと違った風貌を見せるようになってきた。いよいよ山は厳しい季節に入っていく。ただ、絢爛が終息し、大気が張りつめた今こそが見逃せない貴重な時ではある。きょうも素晴らしい好天になった。



 昨日帰る途中の山室の集落で久しぶりに馬耕に励むY君に会った。何かの話から柿が話題になって、彼は今年は不作だと言う。それで、我が家の放ったらかしたままの柿の実のことを話した。欲しければ採りに来いとも。彼はすっかりその気になった。
 ところが今朝見てみると、葉の落ちつくした木に残る柿の実は熟し、干し柿にするにはすでに遅かった。折角たわわに実った柿の実は、また椋鳥の餌になるか、ぼたぼたと落ちて辺りを汚すだけで終わるだろう。この柿の実は大きくて干し柿にはうってつけだが、こういう結果にしかならないなら冬の間に伐ってしまった方がいいかも知れない。
 本日はこの辺で。K山君、それは大変に残念だが、お大事に。



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