入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(23)

2022年12月05日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 何もない単調な日々、ゆっくりと時間が過ぎていく。少しの倦怠は甘受し、炬燵の虜囚であることを許している日々、無理して変えようとは思わない。
 かの国の原猿ワオキツネザルは、日が昇ると身体を暖めるため太陽の光を浴びるが、原猿よりか少しはマシなつもりの人間としては、朝起きると身体を暖めるため風呂に入り、朝飯は食べたり食べなかったとその日の腹具合で、昼までは・・・、何をしているのだろう。

 確か昨日は江戸時代へ遊びにいって、少し当時の景色、風俗、人情を見てきた。疲れて、また現代に還り、気晴らしに落ち葉を集めて焚火をした。ビールを飲んだかも知れない。
 昼飯は前夜に作り置いたとろろ汁と焼き魚だった。TDS君と一緒に山形村まで出掛けて求めた長芋は、もう擂鉢で摺りおろすような手間のかかることはせず、手早くおろし金を使う。それでも出汁はちゃんと昆布と鰹節でひくようにしている。
 その後もまた江戸時代へ行き、その合間に少しだけ草むしりをした。夕飯は早めに常夜鍋を作り、ビール1本と酒2合を飲んだ。視力が落ちているので本やテレビは遠避けて、それから眠くなるまでの長い夜をどう過ごすかと思案した。
 
 それで思い付いたのが夜の散歩。小手調べに昨夜は月明かりの中を半分で済ましたが、その代わりに5カ所の墓巡りをして、日ごろの無沙汰を詫びてきた。この5カ所には愛犬小太郎とHALの墓も含まれ、ここともう一カ所の墓はよく訪れるが、他は先祖の墓も含めてただただ啓して遠ざかっているばかりだった。中には後継ぎが絶えてしまった墓もある。わが家もいずれそうなる。
 夜の墓地を訪れ、思うことは多く、深く、そして重い。

 山を下りた牧守の「その日その時」などはこんなもの。文字通り肩の荷を下ろし、きょうすることを考える必要のないこの解放感を、珍しい物でも手にしたように喜び、玩んでいる。
 上でも特に管理されたり、束縛されてはいないだろうと言われればそうだが、ただし、労働の対価を貰う以上は、指図されることはなくても、自己管理しつつ働かねばならない。時にはこの自己管理と自己評価が他人よりか厳しく、重く肩にのしかかってくることもある。しかし、今はそれからも自由だ。有難い。

 昨今脚光を浴びているIT産業などと比べ、畜産業も含め農業は収益が少ない。しかし、一人社長の自営農者は誰彼からも指図されず、自分の思うようにできる自由がある。これは大きいと思う。それに丹精込めて育て、収穫する喜び、これは工夫、努力、創造に結びつく。
 「荒を南野の際に開ひらかんと」都会を捨てて田舎や地方に移り、自然や動物を相手に暮らす生き方を選ぶ人が増えていると聞く。ありきたりの立身出世など夢見ず、それもいいと思う。
 
 本日はこの辺で。
 


 
 


 
コメント
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