
寒い。今朝は9時を過ぎても室内気温が1度だった。今までは薄い炬燵掛け2枚で済ましてきたが、きょうから厚手の炬燵布団をもう1枚加えることにした。大分違うので驚いている。
里がこんなだと、上は6度くらいは低いはずだから氷点下5度くらいか。となれば、外の気温は零下10度近くまで下がったかも知れない。寒くなるのが例年と比べても、かなり早いような気がする。
風は弱く天気が良いので、風呂が沸くまで外で落ち葉焚をすることにした。まだ庭の日陰には先日降った雪が残っているし、剪定したサワラの葉にも薄く雪が積もっていたが、そのせいもあってかコップ半分ほどの石油をかけただけで、あまり大火にもならず程よい加減で燃え出した。
火を扱えるのは人だけである。今では原子の火さえ燃やせる。それでも、何万年もの長きにわたって人類が行ってきた火の扱い方は、つい最近までそれほど変わってはいなかったと言ってもいいだろう。
燃える火を眺めていれば、肉汁の滴るイノシシの肉を想像する人もいれば、焼き芋を思い付く人もいよう。「林間に酒を暖め紅葉を焚」きたくなる人もいるはずだ。
小さいころには囲炉裏があったし、そこで餅を焼いたり、味噌汁を暖めたりしていた。米を研ぐ面倒くさい思いを今でも日々しているが、後は電気釜に任せてしまえばよい。それに比べて、あの頃はそれから火を熾し、薪を燃やし続けて米を炊いたわけで、その労力は今の比ではない。
冬は凍結を怖れて水道の水を一晩中細く水を流し続けていたから、朝はその水が周囲に飛び散って氷り、一体あの氷に塞がれた流し台をどのように片付けていたのか、今では思い出すことができない。
今頃になると、家の南側に冬期用の薪がどっさりと積み上げられたもので、それが、炭とともに、ひと冬の主たる燃料だった。わが家だけではなく、どこの家もそうだった。
子供のころ、毛皮を着て、洞窟に住んでいたわけではない。しかしそれでも、火の扱い方は基本的にはネアンデルタール人とあまり大差がなかったと思う。だから、脳の中の「心的汚染物質」にしっかりとそれが記憶されていて、燃えてる火を見ると表現し難い懐かしさが湧いてきたり、マンモスから辛うじて逃れることができた安堵感を覚えるのだろうか。
牧場のキャンプ場へネアンデルタール人を連れてきても、もしかすればあまり驚かないかも知れない。が、今では時代遅れの山小屋や、管理棟の台所を見せれば腰を抜かすだろう。いや、昭和初期の時代の人でもきっとそうだろう。
火の扱い方が急変したことが人の心にどう影響するのか、結構大きいような気がしている。と、きょうも暇を相手に欠伸の出るような話。
本日はこの辺で。