
赤い実を付けたマユミの木も、すっかり寒々とした冬の様相に変わってしまった。今に雪でも降れば、この大曲の先は根雪となって春まで融けることはない。
ここから数百メートルは、車なら全く気にならないが緩やかな上りが続き、雪道を歩いて登って来た時はスノーシューズであれ山スキーであれ、一時も早く小屋に着きたくて気の急く所だ。この冬も、そんな思いをしながら歩くことになるだろう。
夜も大分経ってから暗い山の中を歩いたり、墓地などを訪ねるのは不安だったり、不気味ではないかと聞かれることがある。それどころか、夜の墓巡りなど非常識だし、もし人が見たら腰を抜かすかもしれないと注意し、叱る人もいる。
もうこの年齢になれば、化物、幽霊の類の超常現象などは信じないから気味が悪いとは思わない。それに、オロクが埋葬されていればまだしも、遺骨では化けて出ることもできないだろう。
また、それらの墓は一カ所を省き人家から離れているが、それでも人に見られないよう気を付けて、当然灯りは消し、足音を忍ばせ、手を合わせて一礼すれば早々にその場を立ち去るようにしている。
しかし、そうは言っても、もしそんな時間、そんな場所で誰か人と会ったら、もちろんこっちも肝を潰すこと間違いなしだし、そう考えて夜の墓訪問はもう当分しないことにする。ただし、夜の散歩を止めるつもりはない。
確か山頭火は歩くことを「歩行禅」と言って、僧衣を纏い、地下足袋を履き、ひたすら歩き続けた。秋葉街道を通って伊那にも来ているが、その目的が彼と似たような境涯の俳人、井月の墓に詣でることだった。その時の句、
お墓親しくお酒を注ぐ
彼の気持ちであって、実際にこうしたわけではない。
山頭火は旅先で自由律俳句を作り、自らの不甲斐なさを嘆き、叱り、反省の止まぬまま行先々で大酒をくらい、相当顰蹙も買っている。それでも歩いて歩いて歩き続けた。
禅のことなど知らないが、座禅によって無心になるということは聞いている。だからと言って、残されたたくさんの句から、山頭火が歩行することで無心になれたかまでは分からない。分からないが、歩くことが、旅をすることが、彼の求めた救いではなかったかと思う。
月を仰ぎ、星々を眺めていれば、思い出すこと、考えることが深まる。暗い山道を歩き、広い畑を横切り、渓の底から聞こえてくる川音を聞く。寝静まった集落を抜けて峠を越え、いつしか伊那谷が一望できる高台に立つ。広大な闇と無数の光の粒、爽快感が湧いてくる。
本日はこの辺で。