
きょうはこれからどこまで行けるか分からないが、上の雪の状況を調べに出掛けることにした。スコップ、山靴、スノーシューズも念のために用意した。(12月21日記)
昨日、急に思い立って、林道の雪の状態を見に行ってきた。出発したのは9時をとっくに過ぎていたはずで、今回は軽トラではなくそれより自重のある自分の車(中古のジムニー)にした。
下手をすればオオダオ(芝平峠)どころか枯木橋の辺りで追い返されるかと覚悟して行ったが、積雪は確かに増えていたものの1週間前とそれほど大きくは変わらず、峠まで来てしまった。先行する轍がかなりあって、それらに誘われるようにさらに上に進むことにした。
池の平まできて、それまで2速、たまに1速で走り続けていたギアをようやくここで初めて3速に変えられ、焼き合わせまで来た。引き返した車の跡は見なかったが、そこからは轍の本数が急に少なくなったのに気が付いた。
一瞬、ここまでにしようかと迷い、しかし身体は前進を勝手に決めていたようで、無意識の判断と計算に任せることにして進んだ。それが災いの原因になることもあるが、山ではこういうことがよくある。経験と勘とでも言うのだろうか。
焼き合わせから大沢山を左に巻いて入笠湿原に至る未舗装の山道があり、そこにも古い轍が残っていて驚く。こんな時期にこんな山道に入るとすれば、猟師だろう。
芝平からずっと雪道に残っていたチェーンを付けた轍はまだ続くようだった。焼き合わせから200㍍ほど行くと、大きく右折する曲道が2カ所続き、ここで雪に阻まれ動けなくなったこともあるし、そういう車を助けたこともあった。今回もこの2カ所の積雪量はやはりかなりあり、先行者の車体の底が接触した跡が雪の上に残っていた。どうもこの車は普通乗用車のようだった。
来る前から、最大の関門ド日陰の大曲がりをもし無事に通過できたら、歩いてでも牧場小屋まで行こうと、身体が勝手な判断を下してくれそうなのを怖れて来た。ほぼ例年、仕事始めはここで雪に邪魔され、車を捨てて歩くのが決まりのようになっていて、芽吹き始めた残雪の山道を小鳥の声を聞きながら歩くのが愉しみだった。確か16年の牧守稼業の中で、車でここを通過できたのは2,3回しかない。
有難いことに、この難所も無事通過できた。となると、牧場の小屋が俄然近くなってきた。北門のテキサスゲートを超えて牧場へ入れば、もう1カ所、貴婦人の丘の前の強風による雪の吹きだまりだけで、もうそこからは2キロほど、歩いても問題ではなくなった。(つづく)
昨日撮ったPH、その必要もあって上に行ったわけだが、なぜかiCloudに入っていない。きょうのPHは前回行った時のもの。
本日はこの辺で。