入笠牧場その日その時

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   井月のこと少々

2014年08月30日 | 入笠にまつわる歴史

    昭和5年に出版された井月全集
 下では今日、行脚・行乞の俳人井月にちなむ催しが行われている。近年井月は映画にもなり、多くの人に知られるようになった。
 にもかかわらず、この人物については出自、生い立ちなど今に至るも謎のままである。長岡藩の武士だったとか、江戸で学んだとかの巷説は聞くが、確かなことは、彼が伊那谷に現れた36,7歳ごろから66歳で没するまでの、この地で暮らした約30年間のことだけである。
 芥川龍之介に彼の書が「入神に至る」とまで言われたとか、どこで知ったのかつげ義春が彼のことを漫画で描いたり、また映画にもなったりするほどだから、彼のことを研究する人は多い。だからここで牛守が、何か彼について書こうなどとは思わない。


    同書にある「井月の面影」
 伊那市や同商工会議所などが二つの実行委員会を立ち上げ、識者を呼んで講演会を開いたり、俳句大会も行われて、今やこの地域の文化の”活性化”とやらに井月は貢献している。
 そこで思う。今ごろになってもてはやされている井月だが、生前のこの俳人に対し地域の人たちはどんな風な接触の仕方をし、評価をしていただろうか、と。家にも彼の書いた物が残っている。俳句好きが集まって句会を開き、それらの句を
「入神の域」の人に改めて書いてもらった物とか、酒を求めた句とかがある。厚遇とまではいかぬも、それなりの対応をしていたのだろうか。さもなくんば、異郷に職もなく30年を送るということはできなかったかも知れない。
 そう思いながらも、あまり関係のない人たちまでもが「井月、井月」と言うのを耳にする昨今、草場の陰で俳人はどう感じているだろうかと思ってしまう。
 もう一つ、果たして本当に井月は長岡の産だったのだろうか。長岡藩は大きな藩だが、それでもこれだけの人物の消息が今も知れぬことを考えると、あるいは、と。
 TDS君、このくらい抑えて書けば、可? クク。


 大正10年10月2日付の同書に寄せた芥川龍之介の跋
 F/C:Nさん、すいません気が付かず。なかなかです。今後もよろしくお願いします。

 山小屋「農協ハウス」とキャンプ場の営業に関しましては7月9,13日のブログをご覧ください。
 
 
コメント
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