入笠牧場その日その時

入笠牧場の花.星.動物

     ’22年「冬」(35)

2022年12月23日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など
 

 やはり、案じていたように貴婦人の丘の前にはすでに吹き溜まりができていた。強行すれば突破できなくもなかったが、敢えてそこで車を停めることに決めた。もしこの場所を通る車があれば、その強行突破した轍を頼りにしようとするはずで、しかし仮にそこを通れたとしても遅かれ早かれ引き返すか、そうでなければ雪に捕まることは間違いない。
 どんな目的で来たにしても、ここで諦めて引き返すのが最も無難な選択だろうと、そう思って見れば、先行した車もそこでかなり苦労を繰り返した末に引き返した跡が残っていた。そして、その先の新しく降った雪の上にはもう轍はなかった。

 山靴に履き替え、スノーシューズを履き、羽毛服を左手で抱え、可能性ゼロと見立てた上で車に乗せてきた長芋を右手に持った。そもそもザックを持ってこなかったのが手落ちだったが、日本酒1升はともかく、ストックまでも忘れるとは軽率としか言いようがない。
 それでも、ベルトを紐に変えたスノーシューズは靴とよく馴染んでくれて、さほどの困難もなく進むことができた。初の沢の大曲を過ぎて緩やかな登りにかかると、少しでも楽をして歩こうとあれこれ考えるのはいつものこと、結局は林道を行くのが最善だという結論になり、今回もそれに従った。

 遠くから見ると、2週間ぶりの小屋は年老いた老人さながらすっかり寂れて見えた。あそこで春から秋までの大半を一人で過ごしたのかと思うと、過ぎた時間がこの上もなく切なく思えてきた。
 林道から離れ、雪原を小屋まで進むと、今回も入り口にはいい日溜りが待っていてくれた。しかし、日帰りのため、ドロドロのウイスキーを飲むのはまたしても諦めるしかなかった。
 小屋には1時間ほどもいただろうか。部屋はなかなか暖かくならず、まるで他人の部屋に勝手に入り込んでいるような気がして落ち着かなかった。山に暮らしていれば里の家がそう思え、里に暮らせば牧場の小屋がそう思えるもので、自宅と愛人宅を行き来していたあの人にも、同じような思いがしていたのだろうか。クク。
 
 午後1時を少し回ったのを見計らい帰りかけると、空には雪雲が出て日の光は乏しく、冬山の寂しさがひしひしと迫ってきた。この感覚はいつものこと、背中を押されるようにして自分の残した足跡を辿ることに専念しようとた。
 帰りの道中に考えたことは、こういう林道はスノーシューズではなく山スキーを滑らせながら進む方が快調だろうということ、また越年には車を芝平の諏訪神社に置いて、法華道を行くしかないだろうという程度のことにしておいて、本当はもっといろいろ考えたり、悶えたりもしたのだが、それは呟かないことにする。
 
 相変わらず、iPhonで写したPHがi-cloudに取り込めない。本日はこの辺で。
 
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     ’22年「冬」(34)

2022年12月21日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 きょうはこれからどこまで行けるか分からないが、上の雪の状況を調べに出掛けることにした。スコップ、山靴、スノーシューズも念のために用意した。(12月21日記)

 昨日、急に思い立って、林道の雪の状態を見に行ってきた。出発したのは9時をとっくに過ぎていたはずで、今回は軽トラではなくそれより自重のある自分の車(中古のジムニー)にした。
 下手をすればオオダオ(芝平峠)どころか枯木橋の辺りで追い返されるかと覚悟して行ったが、積雪は確かに増えていたものの1週間前とそれほど大きくは変わらず、峠まで来てしまった。先行する轍がかなりあって、それらに誘われるようにさらに上に進むことにした。
 
 池の平まできて、それまで2速、たまに1速で走り続けていたギアをようやくここで初めて3速に変えられ、焼き合わせまで来た。引き返した車の跡は見なかったが、そこからは轍の本数が急に少なくなったのに気が付いた。
 一瞬、ここまでにしようかと迷い、しかし身体は前進を勝手に決めていたようで、無意識の判断と計算に任せることにして進んだ。それが災いの原因になることもあるが、山ではこういうことがよくある。経験と勘とでも言うのだろうか。
 
 焼き合わせから大沢山を左に巻いて入笠湿原に至る未舗装の山道があり、そこにも古い轍が残っていて驚く。こんな時期にこんな山道に入るとすれば、猟師だろう。
 芝平からずっと雪道に残っていたチェーンを付けた轍はまだ続くようだった。焼き合わせから200㍍ほど行くと、大きく右折する曲道が2カ所続き、ここで雪に阻まれ動けなくなったこともあるし、そういう車を助けたこともあった。今回もこの2カ所の積雪量はやはりかなりあり、先行者の車体の底が接触した跡が雪の上に残っていた。どうもこの車は普通乗用車のようだった。
 
 来る前から、最大の関門ド日陰の大曲がりをもし無事に通過できたら、歩いてでも牧場小屋まで行こうと、身体が勝手な判断を下してくれそうなのを怖れて来た。ほぼ例年、仕事始めはここで雪に邪魔され、車を捨てて歩くのが決まりのようになっていて、芽吹き始めた残雪の山道を小鳥の声を聞きながら歩くのが愉しみだった。確か16年の牧守稼業の中で、車でここを通過できたのは2,3回しかない。
 
 有難いことに、この難所も無事通過できた。となると、牧場の小屋が俄然近くなってきた。北門のテキサスゲートを超えて牧場へ入れば、もう1カ所、貴婦人の丘の前の強風による雪の吹きだまりだけで、もうそこからは2キロほど、歩いても問題ではなくなった。(つづく)

 昨日撮ったPH、その必要もあって上に行ったわけだが、なぜかiCloudに入っていない。きょうのPHは前回行った時のもの。
 本日はこの辺で。
 
 
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     ’22年「冬」(33)

2022年12月20日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 寒い。今朝は9時を過ぎても室内気温が1度だった。今までは薄い炬燵掛け2枚で済ましてきたが、きょうから厚手の炬燵布団をもう1枚加えることにした。大分違うので驚いている。
 里がこんなだと、上は6度くらいは低いはずだから氷点下5度くらいか。となれば、外の気温は零下10度近くまで下がったかも知れない。寒くなるのが例年と比べても、かなり早いような気がする。

 風は弱く天気が良いので、風呂が沸くまで外で落ち葉焚をすることにした。まだ庭の日陰には先日降った雪が残っているし、剪定したサワラの葉にも薄く雪が積もっていたが、そのせいもあってかコップ半分ほどの石油をかけただけで、あまり大火にもならず程よい加減で燃え出した。
 火を扱えるのは人だけである。今では原子の火さえ燃やせる。それでも、何万年もの長きにわたって人類が行ってきた火の扱い方は、つい最近までそれほど変わってはいなかったと言ってもいいだろう。
 
 燃える火を眺めていれば、肉汁の滴るイノシシの肉を想像する人もいれば、焼き芋を思い付く人もいよう。「林間に酒を暖め紅葉を焚」きたくなる人もいるはずだ。
 小さいころには囲炉裏があったし、そこで餅を焼いたり、味噌汁を暖めたりしていた。米を研ぐ面倒くさい思いを今でも日々しているが、後は電気釜に任せてしまえばよい。それに比べて、あの頃はそれから火を熾し、薪を燃やし続けて米を炊いたわけで、その労力は今の比ではない。
 冬は凍結を怖れて水道の水を一晩中細く水を流し続けていたから、朝はその水が周囲に飛び散って氷り、一体あの氷に塞がれた流し台をどのように片付けていたのか、今では思い出すことができない。
 今頃になると、家の南側に冬期用の薪がどっさりと積み上げられたもので、それが、炭とともに、ひと冬の主たる燃料だった。わが家だけではなく、どこの家もそうだった。

 子供のころ、毛皮を着て、洞窟に住んでいたわけではない。しかしそれでも、火の扱い方は基本的にはネアンデルタール人とあまり大差がなかったと思う。だから、脳の中の「心的汚染物質」にしっかりとそれが記憶されていて、燃えてる火を見ると表現し難い懐かしさが湧いてきたり、マンモスから辛うじて逃れることができた安堵感を覚えるのだろうか。
 牧場のキャンプ場へネアンデルタール人を連れてきても、もしかすればあまり驚かないかも知れない。が、今では時代遅れの山小屋や、管理棟の台所を見せれば腰を抜かすだろう。いや、昭和初期の時代の人でもきっとそうだろう。
 火の扱い方が急変したことが人の心にどう影響するのか、結構大きいような気がしている。と、きょうも暇を相手に欠伸の出るような話。

 本日はこの辺で。
 
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     ’22年「冬」(32)

2022年12月19日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 この狭い谷間の集落が「山室」で、今は芝平、荊口を加えて「三義」と言う地名になっている。最奥の芝平まではおよそ8キロほどの距離があって、それぞれの集落の交流は容易ではなかっただろう。それゆえにか、かつては諍いのあった三つの村が「義」を大切にして結束しようというのが、村名の趣旨だと聞く。

 長野県の人口は約200万人、昨年の県下で発生した交通事故は4千772件、その中で負傷者は5千
696人、死亡事故は45人と発表されている(県警本部交通企画課)。もちろん、事故のすべてを長野県人が起こしたわけではないが、これをおよその目安にして呟いてみたい。
 多分、車の所有者は自賠責(強制)保険に加えて任意保険にも大方が入っていると思う。それも対人の死亡事故については、補償額無制限の保険を掛けている人が多いだろう。死亡事故が起きればまず強制保険(最高額3000万円)が適用され、それで不足した場合に任意保険の出番となるはずだ。因みに自賠責保険だけでも車検時に普通車2万10円、軽自動車1万9730円の保険料がかかる。
 それでも安心のために、自動車保険ばかりではない。医療保険、がん保険、その他各種の生命保険に加入している人や団体、組織は非常に多い。その保険料金額は相当の負担になっているはずだ。

 ところで国の防衛については、文民統制の縛りの中で自衛隊がその役割を担う。その防衛力を維持するための防衛費・保険料は国の安全のため、国民の間ではほぼ合意が形成されつつあるようだ。頻発する自然災害への自衛隊の役割、対応が評価されるようになった面も大きいだろう。
 今回その防衛費の額がGDP比1%から2%を目途に増額されることが決まった。いわばこれは、補償のではなく「保障」のための保険ということだろう。
 これについては、いつものように増税なら反対だという「市民の声」を、報道は待っていたかのように伝えた。応えた人は食品の値段とでも混同しているのだろうが、それはそれでいい。
 しかし、日本国の政治家たる者が有権者におもねり、同じような言動をテレビカメラの前で声高に発言するというのは、はっきりと言うが情けない。増税などと口にすればたちどころに大放言扱いされ、次の選挙で痛い目に遭うことを怖れてなのだろうが、まさに身を守るための保険的発言で、視聴者の反応を気にする報道にも似たようなところが伺える。
 
 2%について、しかし、その財源を国債発行で誤魔化す理由が政治家の保身のためだというなら、多分そうだが、日本国の政治家の羊のような気弱さを世界に晒すようなものではないのか。こんな国を畏れることはないと、ある国やあの人から侮られはしないかと心配になる。「消費税を上げてでも」くらいの発言をして、肝っ玉のあるところを見せる選ばれた人はいないのだろうか。いた?。
 
 本日はこの辺で。
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     ’22年「冬」(31)

2022年12月16日 | キャンプ場および宿泊施設の案内など


 最近、各地での大雪の状況が伝えられている。西山(中ア)の経ヶ岳や西駒の降雪もいよいよ本格的になってきて、それが今冬は例年よりか早いような気がする。時折、この辺りにも風に乗って雪が舞うようになってきた。
 
 昨日も呟いたように入笠も、1月の初旬くらいまでなら車で行けるはずだが、この冬はどうもそれが怪しくなってきた。もう少し若ければ、Mさんが助言してくれたように途中からスノーモービルという手もあるかも知れないが、もうそこまでする気にはならない。ただし、ゴンドラの山頂駅からなら、牧場の小屋までは1時間もかからずに行けるからカンラカラカラ、ご心配なく。

 また、荷揚げについては越年や新年の料理のことを考えて心配しているだけで、普段の山行程度の物で済ますなら米、味噌、から酒に至るまで全て備蓄してある。冷凍庫にはマツタケも鹿肉もあるし、確かブタや鶏肉も探せばまだあるだろう。餅さえあれば、雑煮を作るくらいの食材はザックの隅に納まるはずだ。
 ところで、それらを誰が食べるのかということだが、今のところ越年が決まっているのは1名だけで、年が明けてから2人になるのかさらに増えるのか、まだ確定していない。というのも、まだcovidー19のこともあって表向きには越年営業はやらないことにし、正式には誘客していないからだ。

 そんなわけで、荷揚げと言っても餅と肉、それに野菜程度で、車に頼ろうと思わなければ厳冬期と同じように歩けばいいだけのことだ。スノーシューズの破断したゴムのベルトはすでにビニロン製の紐に交換したし、山スキーなら昨シーズンから物置に放り込んだままで埃をかぶっているだろうが、まず大丈夫だろう。後で見ておく。
 こんなことを呟いていると、段々その気になってきた。

 昨日は珍しく昼間の明るいうちに散歩をした。ふたご座流星群を見ながら歩くつもりが天気が期待できず、1時間50分ばかりかけていつもの順路を歩いた。一息入れた高台からは眺めた冬枯れの野や山が侘しく、むしろ、夜空の星や街の灯りの方が饒舌で、生き生きとしているように思えた。
 その前、風呂の中では何もせずにじっとしていられない者が、瞑想は55分間一度も時計を見ずに続けることができた。主体的に無為なる時間、空白を作ることができたことて一応満足した。もちろん、その間に押し寄せる雑念は牛の背中にたかるアブ、カのようで、尾っぽの代わりに鼻呼吸でそれを追いやった。

 本日はこの辺で。
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