★『語りかける風景』と田中英光
以前から行きたいと思っていましたが夏期講習やその後の処理などで延び延びになっていましたがやっとの思いで今日県立美術館に行くことが出来ました。
美術館ではコロー、モネ、シスレー、ピカソなどの絵が掛けられていました。私はこの中で興味があったのはモネの『ひなげしの咲く麦畑』の油彩でした。勿論他の画家の作品も興味はあったのですがこのモネの絵が以前から好きでしたので行きたかったのです。元々絵画は抽象画の方が好きでして長良福光教室の入り口にはピカソの絵を掛けています。しかしピカソはどちらかと云いますと『青の時代』と云われる初期の方が好きでしたがこのモネの絵は風景画ですが何故か魅かれます。このひなげしの花の絵は5点ほどありますが1870年普仏戦争の間ロンドンに一時住んで描いたものだそうです。友人のセザンヌは「モネは単なる眼に過ぎない」といっています。そして「だが何と素晴らしい眼だろう」と続けています。印象派ですので写実的ではありますが驚きの感動を頂きました。
また一方昔読んだ本が気になり最近読みなおしましたが田中英光と云う作家をご存知でしょうか・・・仮に知っていたならかなり太宰治が好きな方だと思います。田中英光(1913-1949)は文学界に太宰治が審査員の河上徹太郎に推奨した作品です。『オリンポスの果実』と云う作品で池谷信二郎賞を受賞しています。ロスアンゼルスオリンピックの漕艇選手だった彼が船上での出来事を書いた作品です。原文を少し拾いますと
秋ちゃん。
と呼ぶのももう可笑しいようになりました。熊本秋子さん。あなたもたしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく二十八歳。すでに女房ももらい子供も一人できた。あなたは九州で女学校の体操教師をしていると近頃風の便りに聞きました・・・と云う文章で始まります。
そして最後は「あなたは、いったいぼくが好きだったのでしょうか」と云う言葉で終わるのです。
原稿200枚が甘ったるい珍しい文章で綴られています。かれは太宰が自殺をした翌年三鷹市禅林寺にある太宰の墓前で手首を切って死を選びました。1949年11月3日、享年36歳でした。かなりデカダン的なハチャメチャな生活でしたがこの小説が200枚の原稿の中で最初から最後まで愛の問いかけで終わっているのです。そして未だに新潮社から発刊されています。
何故このモネの作品と田中英光の作品がどう繋がるのでしょうか・・・私も分かりません。確かに同時期に私がまだ若い時期に飛び込んできたからかもしれません。モネの作品は印象派と呼ばれますがこの後ゴーギャン、スーラ、シニャック等は後期印象派と呼ばれています。従って私はこの印象派の絵画はあまり好きではないのですがこのモネのひなげしの花が好きなのです。アグネス.チャンが歌いましたがとても魂を揺さぶるような作品です。
私は今日モネの作品の前にずっと立っていました。そして後ろに椅子がありましたのでそこで座って1時間ほどモネの作品ばかり眺めていたのです。そうすると若い時代に文学に燃えていた頃のの自分にタイムスリップしているのです。自然と悲しくもないのに涙が流れてきました。そして止め度となく流れてくるのです。思い起こせば田中英光でした。彼の作品はオリンピックに参加した時のことですが最初から最後まで彼女のことで終始します。呆れるほどなのですがその中に流れる情熱と云いますか執念のようなものさえ感じるのです。時にこの二つの作品を見、読んだのは20歳の時でした。
多分上手く小説が書けず其の時にモネのひなげしの花を見て驚く感動を覚えたのだろうと思います。何年経っても感動は忘れないものです。最近は新しい作品を読まずに若い時期に読んだ本をまた読み直しています。三木清という哲学者の「人生論ノート」や大江健三郎の全集などや安部公房の本を暇があれば読んでいます。また絵画もしかりで全集など埃が被っているカビ臭い匂いを押しのけて読んでいるのです。昨年までは古文書に魅かれ読んでいましたが兎に角片っ端から読み書きしています。
どうしてこんなことをブログに書いたのでしょうか・・・日記もカテゴリーにありますので雑文として書いています。しかし私は今この高揚した気持ちを書くことで押さえています。若い時代に勉強したことは必ず役に立ちます。
一生余り勉強をしないでも生きていくことは可能です。逆に一生懸命頑張って生涯勉強しても同じです。しかしその時その時は過ぎていきます。今を大事にしておけばどこかで活きて助かる時が来ます。それは勉強であれスポーツであれ精一杯頑張って欲しいと思います。そこには感動が必ずあります。若い時は怖いもの知らずで自分中心で世の中が回ってるような気がする時さえあります。でもいつか躓く時があります。その時若い時に勉強したことが生きてくると思うのです。昨今では難しいことには目をそらし見て見ぬ振りをする風潮があります。楽な方に行きたいこともあります。高校や大学の進学も第1志望から第2志望に落とせば楽です。きっと合格するでしょう。しかし簡単な方にまだ頑張りもしないで舵を切ったらそれで終わりです。人生は何でも逃げてしまうことになるでしょう。難しい壁に向かっていきましょう。その結果第2志望に落とされることは仕方がないのですが最初から諦めるのは早すぎるのです。また弱い自立が出来ない大人になってしまうのです。
そんなことでつまらない私の若かりし時代のモネのひなげしの花と田中英光の「オリンポスの果実」を書いてみました。
『過去の歴史は遠ざかるほど客観的に見えてくる』
ロシアのナボコフ1等書記官
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長良福光教室&芥見教室HP http://mm.visia.jp/dozan/
長良福光教室 058-244-0170
芥見教室 058-244-0170
以前から行きたいと思っていましたが夏期講習やその後の処理などで延び延びになっていましたがやっとの思いで今日県立美術館に行くことが出来ました。
美術館ではコロー、モネ、シスレー、ピカソなどの絵が掛けられていました。私はこの中で興味があったのはモネの『ひなげしの咲く麦畑』の油彩でした。勿論他の画家の作品も興味はあったのですがこのモネの絵が以前から好きでしたので行きたかったのです。元々絵画は抽象画の方が好きでして長良福光教室の入り口にはピカソの絵を掛けています。しかしピカソはどちらかと云いますと『青の時代』と云われる初期の方が好きでしたがこのモネの絵は風景画ですが何故か魅かれます。このひなげしの花の絵は5点ほどありますが1870年普仏戦争の間ロンドンに一時住んで描いたものだそうです。友人のセザンヌは「モネは単なる眼に過ぎない」といっています。そして「だが何と素晴らしい眼だろう」と続けています。印象派ですので写実的ではありますが驚きの感動を頂きました。
また一方昔読んだ本が気になり最近読みなおしましたが田中英光と云う作家をご存知でしょうか・・・仮に知っていたならかなり太宰治が好きな方だと思います。田中英光(1913-1949)は文学界に太宰治が審査員の河上徹太郎に推奨した作品です。『オリンポスの果実』と云う作品で池谷信二郎賞を受賞しています。ロスアンゼルスオリンピックの漕艇選手だった彼が船上での出来事を書いた作品です。原文を少し拾いますと
秋ちゃん。
と呼ぶのももう可笑しいようになりました。熊本秋子さん。あなたもたしか、三十に間近い筈だ。ぼくも同じく二十八歳。すでに女房ももらい子供も一人できた。あなたは九州で女学校の体操教師をしていると近頃風の便りに聞きました・・・と云う文章で始まります。
そして最後は「あなたは、いったいぼくが好きだったのでしょうか」と云う言葉で終わるのです。
原稿200枚が甘ったるい珍しい文章で綴られています。かれは太宰が自殺をした翌年三鷹市禅林寺にある太宰の墓前で手首を切って死を選びました。1949年11月3日、享年36歳でした。かなりデカダン的なハチャメチャな生活でしたがこの小説が200枚の原稿の中で最初から最後まで愛の問いかけで終わっているのです。そして未だに新潮社から発刊されています。
何故このモネの作品と田中英光の作品がどう繋がるのでしょうか・・・私も分かりません。確かに同時期に私がまだ若い時期に飛び込んできたからかもしれません。モネの作品は印象派と呼ばれますがこの後ゴーギャン、スーラ、シニャック等は後期印象派と呼ばれています。従って私はこの印象派の絵画はあまり好きではないのですがこのモネのひなげしの花が好きなのです。アグネス.チャンが歌いましたがとても魂を揺さぶるような作品です。
私は今日モネの作品の前にずっと立っていました。そして後ろに椅子がありましたのでそこで座って1時間ほどモネの作品ばかり眺めていたのです。そうすると若い時代に文学に燃えていた頃のの自分にタイムスリップしているのです。自然と悲しくもないのに涙が流れてきました。そして止め度となく流れてくるのです。思い起こせば田中英光でした。彼の作品はオリンピックに参加した時のことですが最初から最後まで彼女のことで終始します。呆れるほどなのですがその中に流れる情熱と云いますか執念のようなものさえ感じるのです。時にこの二つの作品を見、読んだのは20歳の時でした。
多分上手く小説が書けず其の時にモネのひなげしの花を見て驚く感動を覚えたのだろうと思います。何年経っても感動は忘れないものです。最近は新しい作品を読まずに若い時期に読んだ本をまた読み直しています。三木清という哲学者の「人生論ノート」や大江健三郎の全集などや安部公房の本を暇があれば読んでいます。また絵画もしかりで全集など埃が被っているカビ臭い匂いを押しのけて読んでいるのです。昨年までは古文書に魅かれ読んでいましたが兎に角片っ端から読み書きしています。
どうしてこんなことをブログに書いたのでしょうか・・・日記もカテゴリーにありますので雑文として書いています。しかし私は今この高揚した気持ちを書くことで押さえています。若い時代に勉強したことは必ず役に立ちます。
一生余り勉強をしないでも生きていくことは可能です。逆に一生懸命頑張って生涯勉強しても同じです。しかしその時その時は過ぎていきます。今を大事にしておけばどこかで活きて助かる時が来ます。それは勉強であれスポーツであれ精一杯頑張って欲しいと思います。そこには感動が必ずあります。若い時は怖いもの知らずで自分中心で世の中が回ってるような気がする時さえあります。でもいつか躓く時があります。その時若い時に勉強したことが生きてくると思うのです。昨今では難しいことには目をそらし見て見ぬ振りをする風潮があります。楽な方に行きたいこともあります。高校や大学の進学も第1志望から第2志望に落とせば楽です。きっと合格するでしょう。しかし簡単な方にまだ頑張りもしないで舵を切ったらそれで終わりです。人生は何でも逃げてしまうことになるでしょう。難しい壁に向かっていきましょう。その結果第2志望に落とされることは仕方がないのですが最初から諦めるのは早すぎるのです。また弱い自立が出来ない大人になってしまうのです。
そんなことでつまらない私の若かりし時代のモネのひなげしの花と田中英光の「オリンポスの果実」を書いてみました。
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ロシアのナボコフ1等書記官
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