★今日は日曜日
二週間ぶりの休暇。定例学習相談会が半分終えて残り一週間は明日からまた始まりますが冬期講習もそれぞれ受付が始まります。先日からチラシがチラホラ新聞の折込に入ってきましたが私どもは納得のいく教材で志望校を第一希望に導いていきたいと思います。
今日はほぼ何もする気がなくぼんやりと一日を過ごしていますが本を読むでなくパソコンで色々見てみるなど非常に目的のないだらしない一日を過ごしています。気分転換は本来は角度を変えて違った方がいいのでしょうが私は今日は何もする気にならないのです。来週には冬期講習の概要をお話しできると思いますが現在でもAkamonゼミナールではそれなりに書いてはあります。時間があれば目を通してみてください。
この様に出してはいますがまだ未完成の部分がありますので表立っては表示できないのですが少し空白が多くなって直してもらう必要があるのですが今の私の能力では少し無理なようです。
今日は私が小説を書いていくことについて書き留めておきたいと思います。私自身は最初に小説を書いたのが小学6年生のことです。実物の「土俵の鬼若乃花」という自伝物を書きました。それが最初ですがこの物語をみんなの前で発表すると感極極まって泣いてしまいました。非常に感受性が強く自分なりに呆れるほどです。それから高校に入って殆んど勉強はしませんでした。当時は私立大学全盛の時代でしたので私はW大学に最初から行くつもりでした。それは高校一年で亡くなった母親との約束でした。私は四国の山村で生まれましたが塾などはありませんでしたが今でいう習い事をたくさん致しました。それほど家庭的に裕福だとは思わなかったのですが看護師ということでしたが私が高校に入ってから務めていたような気が致します。それは兎も角書道、ソロバン、英語の勉強は習いに行かされました。たまたま伯父さんが教師ということもあって内緒で頼み込んだようです。書道も小学3年から中学3年まで習いました。そう言う環境でその他の科目は母親から指導してもらっていたと思います。どちらにしても母親との約束はW大学だったのです。高校に入ってすぐに五校合同テストがあります。これは愛媛県の進学校5校が持ち回りで問題作成をするのですが大変難しい問題でした。学校の実力テストは私は点数は良くて廊下に張り出されるのですが学年9位という素晴らしい成績で意気揚々としていたのですが母親が高校1年の1月に交通事故で不慮の死を遂げてしまいそれまで親子は頑張っていましたが、その後勉強は投げてしまい日本史、国語、英語の三科目ですのでまあ大丈夫と思い勉強もせず小説まかり書いていました。最初は石川啄木に惹かれて彼の歌ばかり眺めていました。悲しいかな私の好きな歌は
故郷の山に向かいていうことなし
思い出の山は
有難きかな
この歌が何と言っても故郷に帰った時いつも思い出します。我が家から真正面に見える阿讃山脈の黒森山、そして修行僧が行かれる笹ヶ峰、西日本で一番高い石鎚山などはその故郷そのものなのです。啄木の小説に「二筋の血」という小説があります。有名なのは「雲は天才である」ですが私はこの小説の方が好きでしたしその主人公の名前をペンネームにして大学時代まで過ごしました。高校時代はそう言うことでしたので雑誌に投稿ばかりしていました。学校から帰って食事をして12時ごろまで寝てそれから朝まで起きていたのです。大学受験はほぼ8割出来ましたので合格は大丈夫と思っていましたが何故か落ちてしまいました。彼女が学校を早退して私の部屋に入り「大学通知来たの?」といっていましたが私は黙って天井を見ていました。寒い冬ですので炬燵の中に足を突っ込んで天井の板を焦点の定まらない眼で眺めていたのです。彼女はワッと泣き私の胸に飛び込んできました。どのくらいの時間が経ったのでしょうか。私たちは炬燵の中で手を握り合ってじっとしていました。それは随分と長い時間のような気が致しました。
彼女とは大学2年の時に別れました。このことは私の小説「グッドバイFURUSATO」に書いています。この事件はどうしても私には20歳の区切りだったのです。その彼女の誕生日は11月24日、この日に私は死のうとさえ思っていました。何と言っても彼女との付き合いは小学校6年の頃からだったのですから初恋と言えば言えるのでしょうが苦い思い出になってしまいました。ただ私は人生の節目に全てを残しておきたいと思い小説を書いていました。大学時代は菊池寛賞の候補にもなりましたが賞には縁がありませんでした。
大学時代は付き合って結婚しようと思った彼女はいました。実は女性と付き合うのが当時は面倒だったったのですがそれでも押し切られ下宿も近くであったということで部屋によく遊びに来ていました。家庭麻雀が出来るということで私がやってるところに割り込みよく遊んでいたのを想いだします。彼女は私の小説のよき理解者でしたが卒業と同時に別れることになりました。卒業をして四国の住宅メーカーに就職した私の元に半年後彼女はやってきました。私たちは大垣城で別れたはずでしたが互いに電話などでは繋がっていたのです。しかし、ここでは私は「瀬戸内文学」という同人誌に入っていました。琴平高校の門脇先生主幹で進められていました。私も何編かの小説を発表させて頂きましたが文学界同人誌評の小松伸六先生の「中間小説のツボを心得た面白い作品」と評していただき誉めてはくれたのですが私は飽くまで純文学を求めていたのです。当時の雑誌社から「書かないか?」とわざわざお電話を頂いたこともありましたし小松先生が一度東京に来ないかと言われてかなり心が揺れたのは事実ですが当時は純文学と大衆小説に分類されていました。私は大衆小説しか書けないのかと非常に落ち込み結局この歳になるまで原稿用紙に向かうことはありませんでした。人生最大の我儘でした。
小説って何なのでしょうか。その世界に入るとみんな世界が違うのです。今私が読んでいる作家は平野啓一郎、村上春樹、綿矢りさ、島本理生、川上未映子などですがやはり第三の小説家吉行淳之介や遠藤周作、それに故郷の先輩大江健三郎の作品を何度も読んでいます。しかし、本の世界にはその独自の世界があります。何故?ってことが純文学なのです。う~~ん、考えます。ところが面白かった、よかったそれもいいのですがそれは純文学ではなくファンタジー、ホラー、ライトノベルなど色々ですし将に多様化ですが飽くまで私は「私小説」に拘っています。
一つ一つ足跡を残し図書館に寄贈し残していきたいと妙なことばかり考えています。たかが私の人生など2000年の中では針の穴より小さなことです。でも結果を残すことは大事かと思い商売度外視して書いています。それでも印税が振り込まれてくると何故か嬉しいのです。全く矛盾しているのですがそう思いながら今日も書いています。
次週から冬期講習について書いていきます。
<今日の言葉>
「人生で絶対に忘れてはならない人は、憎い人ではなく、好きな人だ。人を憎み続けると気持ちが荒れて自分が傷つく。好きな人のことだけを想って生きるんだ」
ドラマ「愛の不時着」リ・ジョンヒョクのセリフ
さよならぼくのともだち(ライブ盤)
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