松田青子著「英子の森」を読んだ。
「青子」は訓読み、歌手名と違うのね。
ツイッターのところには mathudaoko とあった。青子がいるなら、daokoもいるのだろうか。
「英子の森」を読んでいると 懐かしい切なさが ひたひたとやってきた。
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学校の頃 勉強しても成績の上がらない科目に 英語があった。
まわりについていけない、というようなレベル以前の
何が分からないのかが分からない、
分かろうと時間は過ぎるが一つひとつの達成感がない、砂の城状態。
(今思えば 分からなければ分かるところまで降りていって学習すればいいようにも思えるのだが、
それは 今思うからなのか。それにそもそも 分かる分からないの前に覚えたかそうでないか、
そういうことじゃないのか。
と 現在の私が淡々と思い、その当時の私が
そうだよねソウダヨネ と 力なく答える。
で 今はどうなっているのかな、なんて 当時の私がついでのように聞くものだから
えっ、それを聞くか。そんなに変わってはいないんだよ、ワトスン君。などと
現在の私は慌てふためく。
繰り返して繰り返して そして進まない渡し舟。 ♪ 「つれて逃げてよ・・・」 )
けれど好きなのであった。言葉が。
片思いとは 本当に切ないものである。
あれ?そういう切なさに回ろうとしていたのではなくて、
「英子の森」の懐かしい切なさについてなのだが。
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懐かしさを感じたのは 英子のまわりの会話の中にだった。
かといって 自分が過去や現在にあって あんな風な弾み方のやり取りをしていたとも思えず、
では どうやって懐かしむことができたのか。
しかも切ない、のだ。
記憶には霧がかかっていて 確信することはできないが、
鈍くそしてどうしてだか温かいその切なさに ため息をつく一冊だった。