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これどうしようかな・・・どうしようか考えてみます。

「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

2015-05-09 | _よむ__

“「疑う」は哲学で 哲学は人生か。
ポール・オースターぐるぐるに着いていく、私も探偵になっていました(^_^)/。”
ほっぷ 「幽霊たち」から すてっぷ 鴻巣 友季子に流れ着き、あんどじゃんぷ 「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んだ。

村上春樹、久しぶり。
“村上春樹は好きだったので よく読んでいた。”と書いておいて どこら辺まで読んだんだっけ、と 年表のようなところへいったら
ハードボイルド辺りで途切れているような気がするのだ。
その後の年表の長さに驚いて、 「“よく読んでいた。”なんて書いておきながらそんなに読んでいないではないか。」「いやいや、私としてはよく読んでいた方なのだよ。『風の歌…』って本があるよって教えてもらって。。。誰に教えてもらったんだったかなあ。」おいおい、誰と話しているんだい?の自問自答状態となった。

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十年くらい前に読んだ本のあとがきに
「人生に必要なのは『仕事と友情』だ。」 ( 『森まゆみの大阪不案内』 ) 
という言葉 * があった。

主人公・多崎つくる には 天職のような仕事と 途切れた友情があって、その友情の途切れ方というのが凄まじかった。断ち切られたのである。
森まゆみの「友情」はライブなものであって、というか 友情、と言う時のそのほとんどはライブなのであろう。そうではない、すでに途切れた、断ち切られた友情。友情は無くなったのに 存在したという過去と 断ち切られたという大きな傷口は つくる の中に今もあった。なぜ断ち切られたのか、その理由すら つくる には分からなかった。そこから つくる がどう生きてきたのか。いくつかの言葉が繰り返し出てきて、その様子を伝えている。
「洗濯と入浴と歯磨き。」「プール。」
清潔と 重力からのちょっとした解放。
その「育てている」感に 気を引かれながら読んでいった。

 


その言葉がずいぶん気になった私は、読後ノートに書き写していた。けれど このノートはあまり続いていない。ご六フレーズくらいしか書き込まれていないのだ。あ、こんなノート作ったんだったと時々見返すのだが、そのせいだろうか そのご六個の言葉がその時の感動以上の強調となってノートに眠っている><。

 

 

コメント
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