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救急到着前に住民が手当て 島根・出雲市、AED活用

2014年06月23日 11時58分19秒 | 
救急到着前に住民が手当て 島根・出雲市、AED活用
共同通信社 2014年6月19日(木) 配信


 救急車の到着に20分以上かかる中山間地域で心肺停止患者の救命率を高めようと、島根県の出雲市消防本部は、住民が現場に駆け付け応急手当てをする「ファーストレスポンダー(FR)」制度の運用を始めた。消防本部によると、石川県加賀市塩屋町で導入例があるが、全国的にも珍しい取り組みという。

 FR制度を始めたのは、出雲市多伎町の奥田儀地区。自動体外式除細動器(AED)を使う救命講習を受けた住民25人が、FRとして登録した。

 地区内の誰かが心肺停止となった場合、119番を受けた消防本部が、登録者全員の携帯電話にメールで場所を一斉送信し、急行可能なFRが集会所にあるAEDを持ち出し現場に向かう。

 消防本部の竹田豊(たけだ・ゆたか)救急救命センター長(51)は「一刻を争う事態にできるだけたくさんの人に現場に行ってもらい、救急隊にバトンタッチしてほしい」と話す。今後はさらに導入地区を増やしたい考えだ。

 奥田儀地区には約60世帯150人が暮らすが、人口の約45%が65歳以上。同地区で民生委員も務める錦織幸治(にしこおり・こうじ)自治会長(68)は「手を挙げるか最初は不安だった」と話したが、「高齢化も進み地域の触れあいをもつことが大事になってくる。駄目だったらやめたらいい」と導入を決意した。

 5月下旬、消防本部は奥田儀地区の住民にAEDの操作や心臓マッサージの仕方などを指導し、FR認定書を交付した。登録者のうち、8人が消防団員だ。主婦の高橋八生(たかはし・やよい)さん(63)は「1人だと負担も重いが、みんなでやるならできそうだ。地域のためにやれることはやりたい」と話した。


AEDが来るまでも、大切。
○ 胸骨圧迫 30回 と 人工呼吸 2回 を繰り返す。

☆ AEDが届くまで!救急車が来るまで!続ける ☆

※ 救助者が2人以上いる場合は、疲れるので2分間(5サイクル)程度 を目安として、交代して、絶え間なく続けることが大切!
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今年の夏は冷夏?

2014年06月23日 02時23分19秒 | 私自身や健康
「今年の夏は冷夏?」と耳にしました。
寒い梅雨と感じていたので、「やっぱり~?」と思いました。
温かめの上着や、スカーフのようなものをいつも持たねば、屋内での研修は寒いですね。
今日も日赤で糖尿病の研修に行ってきましたが、やはり、寒く、
下半身が冷えました。
首は覆っていて、寒くは感じませんでしたが
それでも、ぐんぐん首筋は固くなり、ペンで時々指圧して、やっと、切り抜けました。

去年の夏の一畑ホテルにて、夜の研修出席時、どんどん冷えて、首がかちかちになり、
その時は、急性の頸肩腕症候群のようになりましたが、
握力もかなりおちて、自分で肩筋をもんだりできなくなっていました。
それがやっとこの頃できるようになり、
板のようになっている背中の筋肉をやっとつまめるようになって、
これから、少しずつ、ほぐれていくように感じます。

按摩さんに行かなくても、私は自分で揉んで軽くするんです。
それが、やっと、できるようになりました。

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夕映えの中に深くつつまれて♪

2014年06月23日 01時27分22秒 | 
テレビを見ていたら、こんな歌を、ソプラノ歌手が歌っていた。

いいな~と感じたので、ネットで調べる。

R・シュトラウスは,「4つの最後の歌」の4番目の歌「夕映えの中で」にアイヒェンドルフの次の詩を選びました。
  O weiter, stiller Friede! So tief im Abendrot.
  Wie sind wir wandermude-iset dies etwa der Tod?
  おお,広々とした、静かな平和よ!
  夕映えの中に深くつつまれて
  私たちはさすらうことに疲れたのだ
  これが死というものなのだろうか?

ヒトラーの時代、息子の嫁がユダヤ人のシュトラウスだったそうです。
その彼女の祖母が収容所に入れられ、面会にいても会わせてもらえず、
ただのへんな老人と扱われていた。

Wikipediaの記事より
リヒャルト・ゲオルク・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864年6月11日 - 1949年9月8日)はドイツの後期ロマン派を代表する作曲家。交響詩とオペラの作曲で知られ、また、指揮者としても活躍した。ウィーンのヨハン・シュトラウス一族とは血縁関係はない。


そして、こんな記事も見つかりました。

ナチス「が」ユダヤ人を迫害したのではなく
ナチス「も」ユダヤ人を迫害したのです。
ユダヤ人に対する迫害は千年以上昔からヨーロッパで行なわれてきたことです。
ドイツでも迫害はあったけれど、他の国より程度が軽かったので、ドイツにユダヤ人が増えました。
ドイツが第一次大戦に負けたとき
「ユダヤ人なんかのさばらせておくからこんなことになったんだ」という声が大きくなりました。
それで「ユダヤ人のいないドイツにする」という主張をすると選挙に有利だったのです。
そしてヒトラーは選挙公約を実行したのです。


戦争殺人が、ただがこんなことでと思うと叫びたくなってきます。
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