1.医師の働き方改革の法律が変わる
「医師の働き方改革」に関する医療法の改正法案が今国会に提出され、審議されています。法案が成立すれば、勤務医の時間外労働の時間に上限が定められるなど大きく医師の働き方のルールが変わります。これまで、医師の使命感を背景とした長時間労働の中で医療を回してきた現場にとっては、大きな変化となります。この医療法改正が国会で可決されれば、今からちょうど3年後の2024年4月にスタートしますので、それまでに医療機関も医師も関係する医療職種も様々な対応をしなければなりません。
勤務医の年間の時間外労働は960時間までとなります。ただし、現状では勤務医の長時間労働を前提に地域医療が賄われているケースもあり、また技術の習得・向上のためには集中的に働く時期が必要なケースもあるので、そうした医療機関は労働時間短縮のための計画を作成し、第三者機関(評価機能と呼んでいます)の評価を受けた上で、都道府県の指定を受ければ、当面は年間最大1860時間までの高い上限を設定することができます。地域医療確保などのために、やむを得ず長時間労働を許容するとしても、医師の健康確保のために、28時間の連続勤務時間規制、9時間のインターバル規制(今日の勤務と明日の勤務の間に一定の時間を空けて休息を確保できるようにするもの)、長時間労働の医師の毎月の医師の面談などが義務づけられます。
2.情報が届いていないのではないか
医療界でも、職能団体や病院団体の役員など厚労省と頻繁に意見交換をしているような方々、つまり医療政策に仕事として関わっている立場の方々は、制度の内容や2024年度までの道筋を理解している一方、個々の医療機関においては、まだまだ何をすればよいのか、なぜ変えなくてはならないのかといった点について、分からない方も多いのではないでしょうか。また、医療者の中でも立場、世代、性別、職種によっても、働き方の意見は違うかもしれません。
3.法律が変わるから、医療が変わるのではない
私は、2019年9月末に厚生労働省を退官しました。といっても定年までいたわけではなく、44歳で医政局総務課医療政策企画官を最後に独立しました。専門は法律なので、医療政策を含めてさまざまな分野の法制度の立案を担当しましたが、最後に担当したのが、「医師の働き方改革に関する検討会」での制度検討でした。現在は、セクターを自由に行き来して民間団体や企業などと一緒に新しい事業に取り組んだり、国の有識者会議の委員をやったりしながら、執筆やメディア出演などを通じて政策の内容やつくり方を伝える活動をしています。医療分野の講演、医師の働き方改革についても携わっています。
法律の立案を長くしてきた身として、間違いなく言えるのは、法律というのはあくまで社会がより良い方向に変わるための「手段」にすぎないということです。
厚労省時代に、法律を変えることで社会を変えることの難しさも、また痛感してきました。人の行動はそんなに簡単には変わりません。でき上がった法律の内容が多くの人に理解され、「この法律は必要だよね」と納得してもらって、現場の方々が自分ごととして取り組めるようになって、初めて変わります。法律が変わっても、現場に届かないのであれば、政治家や官僚の自己満足になってしまいます。だから、現役官僚時代から何とか法制度など政策のことを、政策のプロでない人たちにも分かるように伝えていきたいと思い、10年前から肩書と実名を明らかにして、個人ブログで政策情報の発信をし続けています。そうした活動が高じて、今はメディアなどにも出ていますが、今回この場で連載という形で、多くの医療従事者の皆様にお伝えできる貴重な機会をいただきました。
医師の働き方改革についても、この連載を通じて、誰のためになぜ医師の働き方を変えないといけないのか、どのような法制度になるのか、医療機関では何をしなければならないのか、個々の医療従事者は何をする必要があるのか、医療界の外からどのような力を借りたらよいのか、そういったことを丁寧に解き明かしていきたいと思います。上から押し付けられる働き方改革ではなく、自分ごととして取り組んでいただける一助となれば幸いです。
4.誰のために、医師の働き方改革を行うのか
今日は、第1回なので、そもそも誰のために医師の働き方改革をするのかというお話をしたいと思います。端的に言います。将来の国民・患者のためです。日本は既に人口減少社会に突入しており、2025年に団塊の世代が全員75歳以上になり医療・介護など高齢者向けのサービスの需要が増大していきます。その後は需要の増大は緩やかになりますが、生産年齢人口が大きく減少していきます。つまり、需要が拡大するのに担い手が不足していきます。高齢者数のピークの2040年頃まで、どう乗り越えるかというのが日本の医療が抱える長期的大問題なのです。今のままの医療のあり方は、財政の面だけでなく人材確保という観点でも持続できません。
いえ、医療だけの問題ではありません。全ての業種で人手不足が加速していきます。政府は、一億総活躍といって女性や高齢者にももっと働き手になってもらおうとしています。長時間労働でなくても活躍できる社会を目指しています。もう一つ、大切なことをお伝えしたいです。働き手の人数だけでなく一人ひとりの働き方です。昭和の時代のように「24時間戦えますか」という栄養ドリンクのキャッチコピーを地で行くような働き方を若い人達はできなくなっているということです。子育て世代の女性の就業率は昭和60年頃までは5割強くらいでしたが、今は8割近くにまで上がっています。今、指導的立場にいる方々の若い頃と、今の若い人たちの置かれている環境が大きく変わっているのです。若い人達の感覚が緩くなっているというよりも、24時間365日仕事に時間を使える環境の人が圧倒的に少なくなっています。
もちろん、医療も社会の変化から無縁ではいられません。医師国家試験合格者の女性割合はこの20年、30%を超えています。男性医師も、今は家庭のこともしなくてはなりません。
このように、働き手の頭数は減っていく、一人当たりの労働時間も減らしていかないと社会が成り立たなくなっているという状況の中で、持続的な事業運営のために全ての業種が働き方改革を進めています。少ない人数、少ない時間で成果を上げていこうということです。こうした流れの中で働き方改革の法律が変わり、一般の業種では2019年4月に時間外労働の上限規制(原則月45時間)が導入されました。医療機関でも医師以外の職種には既に適用されています。
もちろん医師も働き方改革を進める必要がありますが、医師については勤務医の4割がいわゆる過労死ラインと言われる月80時間以上の残業をしており、その倍の160時間を超える人も1割いる状況で、それを前提に医療サービスが回っている状況でした。一般の業種と同様の規制を一律に導入すれば、患者が医療を受けられなくなってしまいます。患者が医療を受けられなくなると、国民の命や健康に大きな影響があるので、医師についての労働時間規制については労働だけでなく医療の専門家も交えた場で時間をかけて検討していこうということになりました。それを受けて厚労省に検討会が設置され、その議論を踏まえて現在の医療法改正案に至っています。次回は、制度がどう変わるのかということについてお話ししたいと思います。
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