大牟田・オープンシャッター・サロン茶塘

商店街の活性化を目指して、大牟田市新栄町の空き店舗を改装、サロン茶塘が開設された。茶塘や商店街のイベントを紹介します。

お食事広場―折り紙体験

2013年04月23日 21時30分34秒 | 日記
本日は火曜日。
「火曜日は○○○が安い、~~」のコマーシャルにせかされ、
買い物に出かけました。
いつもより、20、30円安い物を選んで儲かった気になってついつい、、、。
いつの間にか、1870歩も歩いていました。
外国では高齢者のショッピングモール散歩が流行していると
聞いたことがありますが、
なるほど。
ショッピングカートを押して歩けばかなり歩けます。
凸凹道もないし、暑さ寒さ、雨も気にしなくていいし。
でもここに来るにはバスの便は悪いし、
車で来なくてはいけないし、毎日は来れません。
 ちょっと一休み。お食事広場で休憩。
お昼時間からずれていたせいか、食事をしている人は少なく、
本を読んでる人、勉強している学生、おしゃべりしている女性達。
えっ! 手元の可愛いものは? もしかして、折り紙?

(3枚の折り紙で箱を作り、中にカーネーションの折り紙を入れ、キャンデーやチョコを入れたりする)

つい、可愛いですね。色の組み合わせが綺麗ですね。と話しかけると、
かわいいでしょ。母の日の折り紙ですよ。とのお答え。
えーっそうなんですか、愛らしいですね。と、
先生らしい方のとなりに椅子を持って行き坐り込み、
織り方を習ってきました。
手つきが良いですね。してあったでしょ。
(ほめ上手です。)
いいえ、いいえ、以前病気で入院してた時
ちょっと小さな箱を重ねて形を作っていくのを習ったことがあるくらいです。
腱鞘炎で指が良く曲がらないんですが、、、。
毎週されているんですか?
いいえ、月1回なんですが、、。
私のつごうが悪い時はお休みです。やる時は電話しますよ。
と言う事でアドレス交換して来ました。
ショッピングモールはコミニュティ広場にもなっています。
商店街のシャッター通りはどういった役割があるのでしょうか?


茶塘の打ち(内)掛け

2013年04月22日 13時59分45秒 | 日記
茶塘に飾った内掛けを説明します。
内掛けは打ち掛けと書くのが正確と言えます。
内側に着るものではなく、
上にひっ掛けると言うところから名づけられたものだからです。

現在、飾ってある打ち掛けは、赤地に銀金糸で刺繍がされています。
雲取りのなかに図案化された扇と御所車、梅が散してあります。
梅は高貴の香り、扇は末広がりと言われる前途の幸せを表し、
御所車は幸せを一杯運んでくるのです。
霞がかかったような雲が配置される事で
雲の切れ間に吉祥デザインが垣間見えるような
動きを感じさせ、立体感が増します。

花嫁や家族の夢と希望が満ちみちていますね。

どうぞ、手にとって触って羽織って見てください。

大牟田の花ーヤブツバキ

2013年04月22日 10時04分24秒 | 日記

大牟田散歩をぼちぼちやってます。
歳のせいか、ついつい下ばかり見ています。
姿勢が悪いと散歩の効果は半減でしょう。
でも、又、発見もあります。
道路が疲弊して、モダンな切れ目があったり、
歩道が色煉瓦で敷き詰められていたり、
マンホールのふたにもデザインにもいろいろあるのに気付きました。

このマンホールは大牟田の市の花「やぶつばき」。
踏んでいくのには勿体ない
と、つい思ってしまいました。
ヤブツバキが市の花に決まった頃、
「何でヤブツバキが?大牟田市の花になったっちゃろか?」
「大牟田市じゃ、首切りが多かけんやろだい。ヤブツバキはポロッと花が散るやろが」
と言った話もありました。
ところで、大牟田のヤブツバキはどこに咲くのでしょうか?

朝日新聞の4月19日「ひととき」欄に
大分県豊後高田市の方が、
氏神様の社で落ちツバキを拾ってきて
「ヤブツバキのジャム」作りをしていると書かれています。
「深紅のジャム」が出来るそうで、驚きです。

「ヤブツバキのジャム」の作り方も詳しく紹介されています。

その方は「フランス料理にもいかせないかなあ。」
と結んであります。

私は「大牟田スウィーツ」に活かせないかと思いましたが、
どうでしょうか?








茶塘の財産?

2013年04月19日 16時48分05秒 | 日記

茶塘は元、貸衣装店でした。
跡継ぎがなくて、貸店舗となっていました。
その後、貸衣装のうち紳士者礼服や袴、長着、喪服等は寄付や処分をしましたが、
打ち掛け、留袖や帯は大切に保管されていました。
が、、永い年月を経ています。
今回の改装をきっかけに保管されていた貸衣装を見てみますと、
結構、見事なものもあります。

東京の西多摩「日の出太陽の家」に打ち掛け6枚を寄付しました。
ここは武家文化の伝承をする施設。
外国の方が来られた時、日本の伝統文化の紹介に
婚礼衣装を羽織って体験するのはどうか?

マネがジャポニスムにあこがれ、
奥様に打ち掛けを着せ、描いたようなスタイルで
写真をとったら良い記念になりますよ、、と、話しました。
送った打ち掛けは
館長さんが一つづつ
フェィスブックに掲載され、紹介されましたところ
多くの人から問い合わせがあったとのこと。
とても喜んでいただきました。

結婚式はウエディングが主流で
打ち掛けを着る人が少なくなっている日本の昨今、
思いがけない反響に嬉しくなりました。

そこで、こうしたお話をするためにも
茶塘内に赤の打ち掛けを飾りました。
茶塘の財産は話の種が豊富なところです。

他にも、いろいろと、リサイクル等勧められています。
そして高巣設計の李さんが帯のリサイクルに挑戦。
出来上がったのがこのテーブルセンターです。
皆さんから綺麗ね―、いいね!どうしてあるの?
と評判となっています。

茶塘が持っているのは貸衣装だったもの。
手にとってみたり、羽織ってみたり、
リサイクルとして切ったり、縫ったり加工するには手頃です。
これからも新作品が生まれるのを期待しています。



大牟田散歩ー大牟田川

2013年04月19日 14時44分38秒 | 日記
伊能忠敬が記録した「大牟田川 土橋 六間」が気になります。
1間は約1.8メートルだから、六間だと10メートルを超えます。
200年昔としては、結構長い橋です。
大牟田川を眺めてみますと、
忠敬が量った当時の川幅と変わっていないのかもしれません。
流れを変えられたり、埋められたりした川もあったでしょうに、
よう頑張って来たと言えます。

 <写真左から「伊能忠敬実測之地碑」、大牟田川コンクリート覆底の状況1→2→3>

大牟田川は高度成長期は七色川とも言われていました。
上流の工場から流される排水で汚染され川の水が七変化していたのです。
川べりの子供であった私は近所の子供たちと、その水を瓶に汲んで「水屋さんごっこ」などしていました。体に悪いと言われ、お母ちゃんに叱られても、こっそり汲んで面白がっていたものです。子供のすることは危ないですね。
川にはだんだんと汚染土が堆積し、流れはコールタールが浮いたような状態になって、
悪臭もすごく、鼻が曲がる、息が苦しい、のどが痛い、、、
生活のしにくいところになって行きました。
いつの間にか、大牟田川は大牟田公害の象徴的な川になってしまったのです。
徐々に、各方面からの取り組みがなされ、
工場廃水対策、川の浄化の工事がなされました。
排水の溝管は川側に埋設され、川底はコンクリート護岸がされています。
今では、汚れきっていた川の姿はすっかり消えて、
白鷺が三羽、餌をあさってました。
目を凝らして見ても魚の姿は見えなかったのですが、、、。

伊能忠敬も少しは安心してるかもしれません。