4月10日に高野山に上った目的は、四国遍路の納経帳の高野山のページに納経印を貰うスタンプラリーに参加する程度の気分であった訳です。 まあ、その他に見所が沢山ある観光地の気分でした。 そしてユースホステルに泊まった翌日、お得な6ケ所の観光チケットを入手して、観光スポット巡りとなりました。その中に大師教会での”受戒”体験チケットも含まれていました。 金剛峰寺、博物館などを見た最後に大師教会に入りました。 受付でチケットをもぎって貰う時に「お受戒は2時からですが、1時45分までには○△にお集まり下さい」と言われ、訳が分からぬまま、それを待ちました。
受戒堂(?)と呼ばれる畳敷きの部屋に導かれた参加者は6グループ・30名を越えていただろうか? その中には多人数の新入社員研修の一団も含まれていました。 堂の周囲の板戸を閉めると内部はかなりの闇になりました。周囲に人が居るのは形で分かりますが、表情などは識別できません。
「阿闍梨様がお出でになるまでお待ち下さい...」と言われて、待つこと暫時、後方の廊下を踏む足音と涼やかな鈴の音が側方に周り、前方へと移動して来ます。 暗闇の中ですから、音に神経は集中しています。 登場した阿闍梨様の顔形も殆んど分かりません。 静寂の中、とても良く透る声で ”おんぼうちしった ぼだはだやみ”の真言や ”南無大師遍照金剛”の御宝号、そして受戒の中心” 不殺生、不悪口、不邪見などの他に漢字変換が困難な十の戒め”を唱えます。 後半では阿闍梨様が若い頃に体験した、小児麻痺の子供から聞いたという逸話を語って下さいました。そのハンディを負った子供の前向きな生き方や考え方に触れ「物事を悪くとるばかりでなく、前向きに考える事の重要性」について語り、 最後に「こうやって皆様が高野山にお参りし、受戒を受けるなど積極的に係わって下さるからこそ、千何百年の伝統が引き継がれて行くのです」とお礼の言葉を述べ、最後は参加グループの代表者に”菩薩戒牒”なるお札を手渡してくれました。 退出の時も、鈴を音を残しながら堂を巡る足音が遠ざかって行きました。
この一連の”受戒”の儀式も、あの暗闇の空間、鍛えられたよく透る声などが其れなりに効果をあげて「真言密教の舞台」を見た気分でした。 だって、小児麻痺の子供の逸話など、明るい場で聞いたら、臭い話にしか聞こえないですもの。
受戒堂(?)と呼ばれる畳敷きの部屋に導かれた参加者は6グループ・30名を越えていただろうか? その中には多人数の新入社員研修の一団も含まれていました。 堂の周囲の板戸を閉めると内部はかなりの闇になりました。周囲に人が居るのは形で分かりますが、表情などは識別できません。
「阿闍梨様がお出でになるまでお待ち下さい...」と言われて、待つこと暫時、後方の廊下を踏む足音と涼やかな鈴の音が側方に周り、前方へと移動して来ます。 暗闇の中ですから、音に神経は集中しています。 登場した阿闍梨様の顔形も殆んど分かりません。 静寂の中、とても良く透る声で ”おんぼうちしった ぼだはだやみ”の真言や ”南無大師遍照金剛”の御宝号、そして受戒の中心” 不殺生、不悪口、不邪見などの他に漢字変換が困難な十の戒め”を唱えます。 後半では阿闍梨様が若い頃に体験した、小児麻痺の子供から聞いたという逸話を語って下さいました。そのハンディを負った子供の前向きな生き方や考え方に触れ「物事を悪くとるばかりでなく、前向きに考える事の重要性」について語り、 最後に「こうやって皆様が高野山にお参りし、受戒を受けるなど積極的に係わって下さるからこそ、千何百年の伝統が引き継がれて行くのです」とお礼の言葉を述べ、最後は参加グループの代表者に”菩薩戒牒”なるお札を手渡してくれました。 退出の時も、鈴を音を残しながら堂を巡る足音が遠ざかって行きました。
この一連の”受戒”の儀式も、あの暗闇の空間、鍛えられたよく透る声などが其れなりに効果をあげて「真言密教の舞台」を見た気分でした。 だって、小児麻痺の子供の逸話など、明るい場で聞いたら、臭い話にしか聞こえないですもの。