新春トーク番組の一つに世界の経済界ないしは経済学の分野で活躍するメンバーがコメントを寄せる番組があった。 その中で「貨幣は物々交換での物の移動の不便さを解消する便利な物として使われ始めたが、 今ではそれを蓄える事が目的化している」 そんな話題があった。
そうなのだ、 僕を含めて今の年寄りの多くはなにがしかの蓄えを持っているのが普通かもしれない。 使いみちに困っている年寄りは”オレオレ詐欺”や”投資話”に引っかかって蓄えを消費している。 まあ身内を助けるつもりであったり、 還付金を貰えるとか、 有利な投資話に耳を傾けて自分で勝手に金を騙し取られるのだから、 それはそれだけの個人的な被害の話し。 もっともそれで生活に困って生活保護世帯になんかになられたら、 間接的に社会全般に被害は及ぶから、 放って置くわけにはいかないのも事実。
そんな個人的な被害よりも、 国が流通している貨幣の価値に影響を与えることの方が恐ろしい。 古くは日本の戦後に行われたインフレ対応としての新円切り替え、 去年インドで行われたばかりの流通中の高額紙幣の流通停止(新しい紙幣への交換がスムーズに行われない混乱)など、 「現金を保有していれば安心」そんな事は無いのが世の中だと言うこと。
そして新春から日経新聞の朝刊に連載されている、 カルロス・ゴーン氏の”私の履歴書” にあった様な年率1000%を超えるブラジルでのハイパーインフレなんてのが襲ってきたら、 現金の保有や銀行預金なんて消し飛んでしまいますね。
日本政府ないしは日銀が目指す「2%程度のインフレ」なんて可愛い話と感じるかもだが、 1000兆円を超える国債残高となっている日本国家の財政事情を考えれば、 「インフレを起こしてチャラにする」そんな誘惑に駆られる為政者や行政官僚がいても不思議じゃ無いだろうと想ってしまうのだ。 それをあからさまに言う奴がいて「へー!」と想ったこともありました。
こんな想いに囚われるのも、 僕の幼い頃の記憶の中には駄菓子を買うために与えられた五十銭札や二宮尊徳の描かれた一円札があるからだ。 以前にブログ記事で触れた事もあるけれど、 仏壇の引き出しにあった一枚の戦時国債の紙切れもそこに記載された金額的な価値は消し飛んで、 引き出しに仕舞われたまま放置されていたのです。
お金は便利に使うための道具、 一時的に将来の安心感を与えれくれるとしても、 現金の保有だけでは決して将来の安心を保証して呉れる物では無い事を肝に銘じて置きましょう。
そうなのだ、 僕を含めて今の年寄りの多くはなにがしかの蓄えを持っているのが普通かもしれない。 使いみちに困っている年寄りは”オレオレ詐欺”や”投資話”に引っかかって蓄えを消費している。 まあ身内を助けるつもりであったり、 還付金を貰えるとか、 有利な投資話に耳を傾けて自分で勝手に金を騙し取られるのだから、 それはそれだけの個人的な被害の話し。 もっともそれで生活に困って生活保護世帯になんかになられたら、 間接的に社会全般に被害は及ぶから、 放って置くわけにはいかないのも事実。
そんな個人的な被害よりも、 国が流通している貨幣の価値に影響を与えることの方が恐ろしい。 古くは日本の戦後に行われたインフレ対応としての新円切り替え、 去年インドで行われたばかりの流通中の高額紙幣の流通停止(新しい紙幣への交換がスムーズに行われない混乱)など、 「現金を保有していれば安心」そんな事は無いのが世の中だと言うこと。
そして新春から日経新聞の朝刊に連載されている、 カルロス・ゴーン氏の”私の履歴書” にあった様な年率1000%を超えるブラジルでのハイパーインフレなんてのが襲ってきたら、 現金の保有や銀行預金なんて消し飛んでしまいますね。
日本政府ないしは日銀が目指す「2%程度のインフレ」なんて可愛い話と感じるかもだが、 1000兆円を超える国債残高となっている日本国家の財政事情を考えれば、 「インフレを起こしてチャラにする」そんな誘惑に駆られる為政者や行政官僚がいても不思議じゃ無いだろうと想ってしまうのだ。 それをあからさまに言う奴がいて「へー!」と想ったこともありました。
こんな想いに囚われるのも、 僕の幼い頃の記憶の中には駄菓子を買うために与えられた五十銭札や二宮尊徳の描かれた一円札があるからだ。 以前にブログ記事で触れた事もあるけれど、 仏壇の引き出しにあった一枚の戦時国債の紙切れもそこに記載された金額的な価値は消し飛んで、 引き出しに仕舞われたまま放置されていたのです。
お金は便利に使うための道具、 一時的に将来の安心感を与えれくれるとしても、 現金の保有だけでは決して将来の安心を保証して呉れる物では無い事を肝に銘じて置きましょう。