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横浜田舎物語

サザン、サッカー、ロードバイク
エイジレスばあばのパワフルな日々
をお届けします

いつの間にか

2014-10-14 | 変形性股関節症
術後70日が過ぎました。

気が付くとやってしまっていること、できるようになっていること、増えてきました。

その一つが下着、ズボン(パンツと言ってますが敢えて)はマジックハンドを使って入院中から履いていましたが
膝を曲げ、腿が上がるようになったのでいつの間にかなにも使わなくても普通に履けるようになりました。

昨日は割引情報が入ったので夫のお尻を叩いて車を出させ買い物に行ってきました。

もちろん売り場では別行動、自分の服を買うのに一緒に行くなんてありえない、ユニクロ以外は

先日スカートを買ったときはまだ試着どころではなかったからそのまま買ってきてしまったけど
今回はちゃんと試着しました。

もちろん試着室には椅子をお願いして・・

来月検診に行く時はいて行きたいズボンが・・どうもだめだわ、やっぱりパンツが
20%引きになってました。

このところユニクロやGUで安いのばかり買ってたから普段着ばかり
義姉と出かけるのにあまりみすぼらしいのもとちょっとと思って

ぴったりサイズがあったのでラッキーでしたが、ウエストとヒップはいいのですが
太ももが・・少し余っているのが気になる

若いころは逆だったのに
パツンパツンの太ももに合わせなければならないのでそうするとウエストがゆるゆるなんて時期もありました。

こうなったら鍛えて太ももを立派にするしかないです。
術後、会う人が必ず言います「脚細くなったね」って、細いったって基準が普通じゃないですからそれなりですが
私にとってぜんぜんうれしくない言葉

何よりも「太ももの筋肉すごいね」って言われたい。

ドクターOKが出たらがんばろう、そのためには少し余裕があるくらいがいいのかも

最近、家の中ではたまにしか杖を使っていません。だめかなあ

いつのまにかあんなに悩んでいた腰とお尻の痛みも無くなりましたし
椅子から立ち上がる時も以前のように身構えることはなくなりました。
そう、立つ前に気合を入れないと立てなかったんです。

それと階段です。
片方上がるともう片方をそろえて、また次に片方上げてそろえての繰り返しでしたが
普通の高さなら一段片方ずつ、そうです普通に上り下りできるようになったのです。
まだようやくですけどね

たまに正座をしてみることもあるし、この分ならおふろにも入れる?
こんなに冷えてきたのにまだシャワーだけなんですよ。
私は仕方ないけど夫が可哀想ですね?もったいないからいいって言ってますけど

さて、写真がないのでちょっと前に取り寄せたものをご紹介しましょう

私には静岡に呑ん兵の姪がいますが、彼女がある日Facebookでお酒のつまみにとアップしていたのです。
それがなんともおいしそうで、どこで売っているのか聞こう、なんて思っていたら
新聞にお試し通販の広告が載っていたのです。
早速取り寄せてみました。



確かにスーパーで売っている普通のものより高いけど、食べてみてわかりました。
いままで食べてたものとは明らかに味も質も違うのです。サラダに混ぜてしまうのはもったいない

普通に買うと1缶400円くらいです。

普段の3缶分、やっぱりそうそう買えないなあ
 

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懐かしい風景

2014-10-01 | 変形性股関節症


10月です。

家での生活も1カ月が過ぎ、来訪者も減り、本当の日常生活に戻りつつあるこの頃です。

今や懐かしいところになってしまった大阪の病院、
いまさらですが、入院中の私を癒してくれた景色を紹介しようと思います。





デイルーム(来客があったときなどに使用する部屋)から写した淀川・・大阪市内方面です。
架かっている橋は枚方大橋、先日火野正平さんが秋の新シリーズで渡ってました
このころは台風の影響で川がいつも濁ってましたね。







最後の部屋から見えた淀川、川の向こうに新幹線が見えます

京都と新大阪の中間地点です。

淀川にも走り易そうなサイクリングロードがあり、週末になると多くのローディーさんでにぎわっています。
サークル形のベンチがあります。トイレ休憩に寄る方が多いです。たばこ休憩の方もいるのかな?

写真右側が上流ですが、このまま進むと京都の嵐山、渡月橋につながっているようです。

1度走ってみたいですね 夢のまた夢ですけど

そして









最後の部屋は西日がきつい代わりに、日没ころになるとこんな空を見ることができます。
淀川の対岸に沈む夕日は割と有名なスポットらしいです。

もっとも曇りの日が多くて、この部屋には12泊しましたが、こんなふうに見えたのはほんのわずかな日数でした。

1か月過ぎて、日暮れも早くなったことでしょう。

写真を見てはその時々を思い出しています。辛かった時も、うれしかった時も・・・



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変形性股関節症の手術をためらっているあなたへ

2014-09-22 | 変形性股関節症




これが何かわかりますか?

退院してから我が家に来てくださった皆さんには説明しましたが
何に使うのかわかる前の反応が面白かった

幼児が使うエプロン? 腰に巻くの?等々、発想的には面白かったけど

こうして使うんですよ



股関節を90度以上曲げてはいけないと書きましたが、靴下をはくときはどうしても曲げざるを得ないです。

そこで登場したのがこれ、入院中に作業療法士のイケメンH先生からのプレゼントです。
はい、もちろん全員プレゼントですけどね。

10色くらいの見本パネルを見せてもらって「好きな色をどうぞ」
もちろん即決、即答 オレンジです。

入院中はもちろんのこと、今でも毎日使っています。
この前ストッキングを履いてみましたが、うまくいきました。

11年前同室だったTさんに見せたら驚いてました。
あのころはなかったし、もちろん病院でもらえるなんて考えられなかった。

こうしてどんどん進化してるんですね。

進化と言えば、私が今回受けた人工股関節置換手術

ほんの20年くらい前までは入院期間が3か月と聞きました。
なぜそんなに長期間だったのか、固定するまで時間がかかったとか、そのくらいのことしかわかりませんが
とにかくベッド上での期間が長くて大変だったようです。

もっとも日本にこの手術法が入ってきたのが50年くらい前だと言いますから、歴史としてはまだ浅いのですね。
その昔の人々はどうしていたんだろう・・悪化して、歩けなくなって、結局寝たきりになってしまっていたのだろうか
そんなことを考えると、自分はなんといい時代に生まれ合わせたのだろうかと、これも運命を感じます。

11年前に人工股関節を入れたTさんの時も3週間で退院でした。
そのころから何が進化したのか素人にはよくわかりませんが、少なくとも当時は両脚同時というのは聞いたことがなかった

ナースハルコさんは9年前でした。ですから間もなく始まったのですね。

両脚同時なんて聞いたこともなければ考えたこともありませんでした。

横浜の医師からは「あっそう、今流行ってるんだよ」なんて言われるし
去年あたりからいつ手術と言われてもおかしくはない状態だったから、飯田先生から言われた時も
「来たか~」くらいでしたけど、両脚同時はまさかまさかの展開でした。

私の場合、飯田先生もおっしゃってましたけど「年齢的にも軟骨がなくなってくるのは仕方ないよ」なのです。
つまり、この手術でよく言う年齢に不足はない

人工股関節の耐用年数は一般的に20年と言われています。
しかしこれはあくまでも平均的な話で、活動量の多い人や重労働の人は消耗が激しい分、早く摩耗が進むと言います。

これを自分に置き換えると、今65歳の私が平均を維持したとして85歳、それまで生きているか、生きていたとしても
元気でいられるか、これは自分でもわかりません。
元気なら交換時期が来るかもしれませんが、そんなに心配するほどのことはないと思います。

それより・・今回の入院時にも大勢いました。若い方々、一番若い方で43歳と聞きました。
50歳前後の方も多かった。
その皆さんの話を聞く機会がありました。
夕食が終わって、下膳と言って食器を各々所定の場所に片付けに行くのですが
だいたい時間が一緒になるので、そこで雑談が始まります。

その日はたまたま私以外の若い皆さんが数人廊下に出てきました。
しばらくそこで立ち話をしていたのですが(立ち話といっても全員杖を持っています、中には歩行器の方も)
そのうち、どうせならデイルームに行きましょう。ということになって
テーブルを囲んで賑やかな会議の始まりです。

そこで私が聞いたことは「若いのによくやったわね 決心するのにずいぶん悩んだでしょう」

そしたら中でも一番若い彼女「確かに迷いました。今やると確実に20年後取り替えるようになるし(再手術)
でも、先生から言われたんです。今もこれからも毎日痛いのを我慢して、やりたいこともできなくて20年待つのか
早いかもしれないけど今のうちにやってこの20年を思い通りに過ごすか、20年先のことばかり考えてその間何もできなくていいのかと」

彼女たち、人工にするということは末期症状だったからなのです。

私が11年前にやった棚形成手術はまだ初期段階でなければできない手術、若い方は早くわかればこれがベストなんだけど
皆さん事情はそれぞれでも末期になってしまったのですね。

そして一様に言われるのは「このままではいけない、今やらなければいけないこと、やりたいことが何もできないから」

皆さん前向きです。これは若いからだけでなく、手術を受けた皆さんに共通すること

もちろんこの私もですが、痛い痛いって何もできない、どこにも行けない、そんな生活にピリオドを打つために

世の中にはいろいろな病気があります。

ある人に言われました「あなたの場合、悪いところを取って、代わりのものを入れられるからまだいいのよ」と

どんなに痛くても、動けなくても原因を取り除けない病気を持っている方もいます。
その人に言われて改めて、病気は残念だけど、不幸と思ってはいけないと考え方が変わりました。

何度も書きますが、リスクはあります。
それでも痛みが無くなるだけでなく、いずれは手術したことさえ言わなければわからないほど元気になれるはず

まだ若いから人工になんてと拒否している方、手術は怖い、だから今のままでいいと拒否している方
明るい明日のために思い切りましょうよ。

ips細胞は生まれつき軟骨ができない病気の方にとって光明になろうとしています。
まだこれからですが、希望は持てます。

軟骨と聞いたとき、すぐに思いました。

もしかしたら20年30年後には変形性股関節症の皆さんの光明にもなるのではないか
そしたら今回手術を受けた若い皆さんにも朗報が届くのではないか

医学は日々進歩、進化している  20年先を心配しているあなた、その時はどう進化しているか
それを思ったらなんだか楽しいじゃありませんか。

私も長生きして、20年後もイケイケおばあちゃんでライブに行ったり、自転車に乗っていたり
これが理想なのですが、それがもしもできていたら、交換なんてことになるかもしれない

ipsはもちろんのことあの夢のSTAP細胞も研究が進んでいるかもしれませんね。

術後理学療法士のH先生から「20年後には交換ですね」って言われて
「そんなに長生きしなくていいわ」なんて答えたけど、この先、どんなふうに変わって行くのかを
確認するために生きていてもいいかもしれません。

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退院して3週間

2014-09-21 | 変形性股関節症
入院中はあんなに長かった1か月、退院して3週間が過ぎましたがなんて早いこと

正確に言うと術後48日、2本の杖は必需品だけど、家の中では、特にキッチンの移動では使ってないことが多い

確かに杖がなくても歩けないことはない、ただ、怖いのと、正しくは歩けない

飯田先生からの指示だそうです。杖を使うことによってきれいな歩行ができるようになる。

日常生活も変わってきました。無理は禁物ですが、かなりやれそうなことが増えてきました。

いちいち夫に頼むのがめんどくさいときがあって、これはどうかしらと、ついやってしまうことが増えました。

リハビリのためのウォーキングも、今日はとうとう3000歩越えて3246歩歩きました。
実際は4000歩越えてたかもしれない。

太ももの筋肉も心なしか固くなってきました。

3項目の筋トレはまじめにやってますし、今はとにかくしっかりした下半身を作ること
それが術後3か月の結果につながると思うから

さて今日は映画に行ってきました。

観たいのは他にもあったけど、今回も夫のお付き合いで、





中井貴一、阿部寛、主演の”柘榴坂の仇討”

またチャンバラ映画?と原作を読んでいなかった私は、映画館まで行ったら別の映画を観ようと決めていました。

ところが番宣なのでしょう、中井貴一さんがやたらにテレビで映画の話をしてました。

話を聞いているうちになぜか観てみたいと思うようになってきて、結局観たわけですが

よかったですよ  ぜひ観てもらいたいって久々に思った映画でした。

中井貴一さんが「武士が出てきますけど、チャンバラ映画ではないんですよ、人間愛の話、とにかく観てください」
って言ってましたけど、その通りでした。

退院後3週間目は映画にも行けるようになりました。
少しずつですが、いろんなことに自信がついてきました。
もちろん転倒には十分注意しています。

お酒も術前と変わりなく飲めるようになりましたし(これは関係ない?)

退院時にたくさん処方してもらった痛み止めも湿布薬もまったくといっていいほど使っていません。

そういえば今朝、明け方ですが、自転車に乗っている夢を見ました。
家に帰る途中、坂道をクリアしなくちゃいけない道に出て、そこで目が覚めました。
これが正夢になるかどうかはまだわかりませんが、今日もいいお天気、いい陽気
自転車乗りさんたち大勢見かけました。

今は半分あきらめて、半分う~~んって感じですが、1年2年するうちに乗り始めるような気がします。
術直後は全く考えられなかったけど、約1か月半でこのくらいなら半年経ったら、1年経ったら・・
なんとなく希望が見えてきたような・・・

いまだに手術を悩んでいる方、拒んでいる方に伝えたいことがあります。
このお話はまた改めて・・・

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近況報告

2014-09-17 | 変形性股関節症
退院から半月が過ぎ、時々杖を忘れてしまい慌てることもあるこの頃です。

一昨日の祭日は夫は珍しく一人で自転車で出掛けました。
もうあきらめてるから・・と思いながらもやっぱり悔しい

お互いにどこに行ってきたの?どこに行ってきたよ。の会話もなく、気を遣ってるのでしょうか・・

夕方いつもと違うコースを歩いてみたくて付き合ってもらい、2500歩以上歩くことができました。

痛みは少し出ます。まだ傷口もその周りの皮膚や肉が馴染んでいないのでしょうか
それでも術前のあの痛さとは全く種類が違って、歩くのが辛いなんてことはありません。

この分だとそろそろ最寄駅までは行けるかな?そしたら娘に頼まなくても駅前の銀行には行けそう
転倒は怖いけど、少しずつ自信もついてきました。

退院時に理学療法士から渡された用紙に記入されていた筋トレ3項目

股関節にあまり直接的に負荷のかからない下肢の運動を行いましょう。

・立った状態での膝の曲げ伸ばし(スクワット)

・立った状態での踵上げ運動

・うつ伏せで膝を曲げて大腿前面の筋をストレッチ

スクワットと聞いたときはびっくりしましたが、一般的なスクワットとは違って
お尻を出すのではなく、膝に負担をかけます。
膝が悪いと無理かな?という感じですが、太ももにはかなりじわじわと効いてきます。

術前にさんざんヒアルロン酸をうち続けた左膝、長いこと湿布を張り続けた左膝
今ではまったく痛みはなくなり、あの痛みはやはり左股関節から来ていたものだと
今さらながら、原因を除去しなければどんなに注射したって治るわけがないと納得

相変わらず2,3時間座り続けているとお尻が痛みます。

逆に、立っていたほうが楽、という時間が増えてきました。
これもうれしい変化です。

夕方など知らないうちに1時間近く立ちっぱなしなんてこともあります。

これも術前には考えられなかったこと、

まだ人工関節と周囲が完全になじんでいるわけではないので、軽い筋肉痛のようなものはありますが
なんだか太ももが少し硬くなってきたような、
ほんとにこの分だと、もう少ししたら杖なしで家の中くらい歩いてしまいそうです。ダメですけどね

さて、今日はこれからいちご会のみんなが集まってくれます。
遠慮のいらない仲間、言いたいことが言える仲間、すごく楽しみ

館山のSさん(入院時に付き添ってくれた人です)は8時過ぎのバスに乗ったって、今頃海ほたるあたりを通過してるかしら?

広島から館山に帰るとき、大阪近くになってどうしても気になってと途中下車
術後3日目の私に会いに来てくれました。
それ以来の再会、こんなに元気に歩いている私を見てきっとびっくりするはず
思い切って駅まで迎えに出ようかな?
大勢の人に励まされてここまで来ましたが、元気に歩けること、これも恩返しの一つだと思っています。

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入院後初めての事件?

2014-09-12 | 変形性股関節症


8/9(土)の真夜中の話です。

まったく眠れないので、前夜初めて誘眠剤をもらう、最初だから半分ですって
効いたような効かないような、ウトウトしていたその時
突然大音響が・・・当然飛び起きました

「6階の火災警報器が作動しました。現在調査中です」

院内放送が響く

しばらくすると再び大音響

「ただいまのは誤報でした」 誤報??こんな真夜中に誤報
なんてこと、まだ車いす移動だった私は瞬間、どうやって避難しよう
そういえば緊急避難口調べてなかった、調べたところで自分一人で逃げ出すこともできないし

そんなことを思っていたその時、お隣のベッドあたりでドスン!という鈍い音
そのうち「奥さん、助けて~」
隣の3日前にひざの手術をしたばかりのおばあ様、お向かいのこれから手術する人に助けを求めている

「私無理ですわ、看護師さん呼んで」って言ってる、当たり前だわ
すると「看護師さんに迷惑かけたくないねん、助けて」

もしもし、お向かいのおば様だって手術前と言えども患者さんなのよ

ずっと黙って聞いていた私、もうこれはおせっかいでも何でもないわと思い
「ナースコールしますよ」と言いながらボタンを押す

すぐ飛んできた夜勤看護師、「あらあら、落ちちゃたんですか。私一人じゃ無理ですわ」
と言いながら院内携帯でヘルプを呼んだ、結局3人しかいない夜勤看護師が全員でようやく起こしたみたい
話の様子では、手術したところは大丈夫そうだけど、その下あたりをけがして出血しているって

手当をしてもらってようやく落ち着いたお隣のおばあ様、同室になって5日目、初めてまともにお話しました。

寝たきりだった私のこと、あれこれ言ってくれてたけど、私はそんなに悪い人ではないのよ
やっとわかってくれたみたいで、その日を境にやたらフレンドリー
聞いてもいないことまで話すからちょっとめんどくさいこともあったけど
これも傾聴ボランティアの一環かと、どうせあとわずかのお付き合いなんだからと我慢する。

ところが、予定では術後2週間で退院だったこのおばあ様、転落の時の傷がなかなか治らなくて
結局私より後の退院になってしまったのです。

明るくていい人だった、私が退院するときは最後まで寂しいって言ってくれたし
もう今頃はお家に帰ったことでしょう。

この話からyukikoさんが「赤い札は付けられてる?」って聞いてきた

「赤い札ってバーゲン品のこと?」って切り返したけど、わかってるわよ

”トリアージ”のことですね。

大震災や、大事故の時、誰を真っ先に救命しなければいけないか、
救急隊や医師が判断して救急搬送の目安にするタグのことですね。

その中で赤というのは ”カテゴリーI(最優先治療群)生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置をすべきもの”

つまり真っ先に助けてもらえる人ということ、多分病院側でそれは決まっているんでしょ

yukikoさんならではの視点に感心しましたよ

ま、とにかく誤報でよかった しっかりしてくださいよ、こんなことがなかったらおばあ様も怪我しなかったのだから
そうよ、病院側の責任なんじゃないの、しばらくは怒ってましたね。

日本列島に台風襲来で、関西地方は特に荒れた日の夜中の出来事でした。

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術後2日目、初めてのリハビリ

2014-09-11 | 変形性股関節症


昨日は退院後初めて外食、ついでに買い物にも行ってきました。
もちろん娘が連れて行ってくれたのですが、一人で出掛けるのはまだまだ先のことです。

スーパーでの買い物は杖をはずしてカートにもたれかかっての移動でしたが
もうすっかり杖歩行に体が慣れているらしく、カート移動は疲れます。
杖のほうが姿勢良く歩けるし、心配なはずなのにほっとします。

では続きです。

8月6日(水)

術後2日目、朝から慌ただしく看護師さんが現れる

体中隅々まで清拭してもらう
そして、体中の管が抜けた

ちなみに体中の管というのは、右手甲に抹消点滴、左手首に動脈ライン
両脚傷の横に排液チューブ、排尿チューブ(バルーンカテーテル)
そして背中に痛み止めの硬膜外チューブ

これだけのものが一気にとれてようやく自由に、それと同時に
車いすに乗ってトイレに行かなくてはいけない
片脚の手術なら反対側が使えるけど、両脚だからトイレ移動にはずいぶん気を遣いました。

それでも車いすは11年前にもさんざんお世話になっているので、こういういい方もおかしなものだけど
まさに昔取った杵柄、もうすっかり慣れたものです。

食欲は相変わらずないけど元気です。

午後、ベッド上でウトウトしていると理学療法士の濱田先生登場、

そういえば、2度目の貯血の日の午後、リハビリセンターに行って様々な検査を受けたとき
先生こう言われました。

「術後早い時期にお迎えに行きますから、がんばって手術受けてください」って

ほんとに来ましたよ、まだ2日しか経ってないというのに

「今日は僕が押しますけど、明日からは一人で来てくださいね」

懐かしいリハビリセンターに到着、無事終わってここに来れたことに感謝

確かベッドサイドでリハビリって書いてあったはずだけど、まだ2日目に何をする

まずリハビリ用ベッドに横になると、軽いマッサージ、そして片方ずつ膝を曲げる
こんなに曲げていいのでしょうか?思わず力が入る

続いて車いすで平行棒の前に移動、立ち上がって平行棒を持ち背筋を伸ばす
「はい、そこで両手離して、気を付け!」
えええ~~怖いよう~ 「大丈夫、すぐ掴まっていいから」

なんだかふらふらして落ち着きません。
今日のところはこれで終了、明日はバーを持って歩行開始だそうです。
ほんとに大丈夫かしら?

部屋に戻ってすぐ、今回の最初の見舞客、元同僚のSさんです。
6月に手術をした、私が勝手に戦友って思っているご主人は、術後2か月
最近は車にも乗ってるし、近所の買い物は自転車で行ってるって
すご~~い 大丈夫なの?

戦友も頑張ってる、私も頑張らなくちゃって思いました。

Sさんはこの日から退院するまで6回も来てくれて、1度はご夫婦で寄ってくれました。

習ってきたばかりだけどと言って、目の前で見せてくれたマジック
一人で見るのはもったいなかったわ
どこまでも明るい、たくましい母さんです。もちろん優しさもいっぱいの人です。

夕方熱が出たので解熱剤をもらう、術後はどうしてもね、仕方がないです。

それでも心配してくれてる皆さんにメールを送る
返事には一様に、安心したこと、こんなに早くメールが来るとは思わなかったこと
みなさん驚きの声でした。

まだ寝返りどころか横向きにもなれなかったこの時期、
それでも1日1日元気になっていく事が実感できたころでした。

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手術当日

2014-09-08 | 変形性股関節症
月曜日手術の場合は金曜日に入院する、それが決まりです。

間の(土)(日)は何をするかって、ほとんどやることはない
せいぜい病棟の見学とか、たまに看護師が来て毎度同じことを聞く

そういえば薬剤師も、麻酔科の先生も来たわ  
でもそれほどやることはない

8月4日(月)~8月5日(火)

手術当日を迎えました。始めの話だと朝一の手術予定だったはずなんだけど
急に午後一番だと言われた。

前日の夜から断食なので午後までまたされるということは3食抜きということ
これはきついですよ、水も途中から飲めなくなるし

夫が来ました。今回も新横浜6時発で、なんだ、こんなことならもっとゆっくりでもよかったね
まあ、まだ元気な妻をしばし眺めてくださいな

明日の今頃は術後の苦しみの真っ最中なんだから・・なんて冗談を言ってみる
そうでもしないと落ち着かない、やはり不安はぬぐえない
手術が無事終わったら連絡してほしい人の一覧を書いて渡す。

12時半、看護師が迎えに来る、<よっし、行くぞ>言葉にはしなかったけど気合を入れた

歩いても行けそうだったけど一応車いすを押してもらう

関係者用のエレベーターで4階へ

車いすを押してくれてた看護師さん、のちにお気に入りの看護師の一人となるFさんでしたが
とにかく明るい人なので、私の気持ちを盛り上げてくれるような話をしてくれる
内容はあまり覚えてないけどね

しばらく待たされて名前の確認、そして手術室へ、

夫とはここでバイバイ、家族の控室があるのでそこで待機するそうです。
予定は6時間、その間緊急事態が起こらないとも限らないので、必ず待機していなければいけません

そんなピリピリした空気なのに
なんと手術室に入ろうとする私を写メ撮ってる、元気な姿を見るのが最後か?って、まさかね

私のド近眼さは度々書いてきましたが、メガネをかけてないし、もちろんコンタクトも入れてないから
ぜ~~んぶぼぉ~っとしてて、これが助かった

それでも雰囲気はわかります。、機械がいっぱい、手術台があって、その上にはギラギラのライト
促されて自ら手術台に乗ります。

ここで上半身裸になります。もちろん看護師さんのフォローあり
肩の下あたりになにかペタペタ付けられました。心電図のあれかな?

次に右を下にして横になる。顔はお腹を見る感じで膝を曲げ、背中を丸める
これから背中に硬膜外チューブという痛み止めを送る針を刺します。

これが一番痛い、と言った人がいる、しかし思ったより全然痛くない、お上手

仰向けになって酸素マスクを付けられた、と思ったらそこからまったく記憶がない


「終わりましたよ」 U医師の声、横に夫がいる。

まだ意識はもうろうとしていたけど成功はしたようだ。

その上、6時間の予定が5時間で終わったって、これは大きい
1時間少ないということはそれだけ負担も少ないということ
術後の回復に大きな影響があるはず
夫がレントゲン写真のコピーを見せてくれた。

なんと言ったらいいのか、瞬間思ったのは、なんて美しく、左右対称に寸分の違いもなく
これからの一生の友が入った、よかった~、安心しました。

その時点ですでにGICUのベッド上だった

★ GICU・・General Intensive Care Unit の頭文字を取った言葉、日本語では総合集中治療室

知らない間に体中管だらけ、両太ももはこれでもかってくらい太巻きになっている。
まるで解剖される前のカエルみたいに身動きができないのだ。

傷の痛みは・・・正直まったくってほどない
だけど、なにが大変だったかって腰が異様に痛む

GICUは術後の重症患者が過ごす場所なので、看護師は2時間おきに回ってくることになっている
その都度体位を変えてくれるのだが、私の場合両脚なので変えようがないというのが現実
腰の下に枕を入れてくれたり、バスタオルを入れてくれたりするのだが、一瞬は楽になっても
すぐ我慢できないほどの痛さが襲ってくる

傷が痛いならなんとかなるけど、これだけはどうしようもない

手術終わったらぐっすり寝ようなんて甘い考えはぶっ飛び、ぼんやりした目で
真っ暗な外を見てはひたすら早く夜が明けないかを待つ

それでもナースコールをするとすぐ来てくれる看護師さん、何度も何度もごめんなさい
間にお水も飲ませてもらいました。

こんなことでほとんど眠れないまま最初の夜がようやく明けました。

腰は際限なく痛い、ただそれだけ

体中がんじがらめだというのに、現実は・・・朝食が出る
ベッドを起こしてもらい、少し人間に戻ったか?

下半身はそのままだけど、頭の位置が違っただけで世界観が変わるような気がした

朝食はおかゆと、それにかけるふりかけパック、味噌汁

ナースハルコさんも書いてたけど、おかゆにふりかけ?やっぱり梅干しでしょう
その上おかゆの量が、ご飯1杯分をおかゆにしてしまったっていうくらい大量
だれがこんな時にこんなに食べるのよ
食べなくちゃ、体力付けなくちゃ、なんて少し思ったけど、あんなにお腹空いてるはずなのに
まったく食欲がない、2口、3口、味噌汁もそんなもの、で、ごちそうさま

食べ終わったころ夫が来る、どう?って聞かれたけど、どうもこうも腰が痛いだけ
結局、この腰からお尻の痛みは当時より緩和したものの退院した今も続いている。

ただ、今回救われたのは人工呼吸器の管の問題、前回の倍以上の時間だったにも関わらず
まったく違和感が残らなかったこと

麻酔科の先生の話では、管がなかなか入らなくて大変だったとのこと
術前に何度も訴えていたので一番細い管を使うようにしますと言ってくれてたから
入りにくかったのかな?
私は夢の中でしたから何をされても痛くもかゆくもなかったけど
だた、麻酔が覚めるころだったのか、喉から管が出て行くのをなんとなく感じました。
もしかして夢だったのか、現実だったのか、それも定かではありませんが

準備が整い次第順番に一般病棟に移動ですが、その前に肺のレントゲンを撮りました。
もちろん寝たままです。

人工呼吸器を付けてましたから心肺機能が戻っているか見るのでしょうか?

この時まだ酸素マスクを付けていました。後に”カヌラ”という
耳にひっかけて鼻の穴に直接入れる呼吸器に変わっていくのですが
しばらくの間呼吸器の検査は続き、深呼吸を繰り返すよう言われました。

そして、一般病室に、ここがまた前とは違う部屋、窓際でしたが、悩みが生まれた部屋でもありました。

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今日からぼちぼちと

2014-09-06 | 変形性股関節症
退院6日目、初めての土曜日、夫に付き添ってもらいマンションの敷地内を歩く

そういえば退院後初めて靴を履いた事になる

2本杖でこわごわだけど、一番駅に近い棟まで歩いたから往復で10分くらい
術前はとても歩ける距離ではなかった。
いや、歩いたけど痛くて痛くてつらかった。
気を遣う分腕に力が入ったりするけど、股関節が痛いということはありません。

知り合いの方の奥様が人工骨を入れたけど、リハビリをしなかったのか
原因はわからないけど、車いすになってしまい今では外出も儘ならないそうで
何のために辛い思いをして手術したのか、お気の毒としか言えないと・・
歩きながら夫からそんな話が出ました。

私は歩きます、しっかり歩きます。だってそのために試練を乗り越えるのだから

そんなことで

今回から少しずつ闘病日誌を、興味のない方はもちろんスルーしてください。

2014/8/1(金)  入院日

朝7時前、夫の通勤時とたまたま一緒になったので横浜まで一緒に行ってもらう

改札口で待っていてくれた館山のSSさんと合流
彼女は5時館山発のバスで来てくれた

「よろしくお願いします」

地下鉄で新横浜に向かう  8:22発のひかりに乗車
これが旅行だったらどれだけ楽しいだろうね・・なんて話しながら

11時ちょっと前に京都到着、近鉄に乗り換え、京阪電車に乗り換え
枚方市駅到着

前日の電話で病院から「昼食前には入れますね」って言われてしまったから
とにかく急がなくちゃ

11時45分病院に到着、1階の入院センターへ
手続きが済むと、ボランティアの方に案内されて7階病棟へ

前日の電話だと、「個室しか空いてないからしばらくそちらで、もちろん料金はかかりません」
なんて、すごくうれしい話があったのに、結局案内されたのはナースステーション真ん前の大部屋
窓側で眺めはよかったけどちょっとがっかり

個室、入りたいですよ、できることなら、人に気を遣わなくていいし
ただ安い部屋で1泊17000円、×32日で 544000円、無理です。

友人たちに言ったら、そんなお金があったらもっと別のほうに使いなさいって言われてしまったし
ま、その後いろいろあって夫からは一度だけ、そんなに我慢できなければ個室にしたら・・なんて話もありましたが

4人部屋です。ところが何かおかしい、そうだ昼間からカーテン閉めてる、
これじゃ廊下側の方、真っ暗じゃないの

聞いたら、大部屋はプライバシーが守れないからって大多数の意見だったそうです。

結局この部屋には1晩だけお世話になって、翌日は少し離れた部屋に移動
そのためにせっかく片付け上手のSSさんが付いて来てくれたのに、前もって送っておいた
大きな段ボール、ほとんどそのままで彼女とはさようなら、残念だったけどありがとうね


さあ、いよいよ入院生活の始まりですよ。なんてまだ余裕だったなあ





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さてどこから・・・

2014-09-05 | 変形性股関節症
退院して5日目、昨日は手術して丸1か月が過ぎました。
家事をやらなくては・・元気な時はいつもいい加減だったのに
いざ、やれないとイライラする

夫はきれい好きだし、どんどん物を捨てるタイプだから、私が帰ってきてからのほうが
なんだか散らかってる

でもね、そこはやっぱり男、細かいところに気づかない、
お風呂の床とか、排水溝とか、キッチン流しの水きり棚の下とか
無理でしょうね。
流しはきれいにしたけど、お風呂場はどうしようもない

そんなところへ妹のようにしている蒲田のM子ちゃんが来てくれた。

「私、お料理は得意じゃないけど、掃除は大好きだから

気になって前日排水溝のところに浴室用漂白剤をかけて置いたけど、やっぱりこすりたい

こういうところってわざわざやるんじゃなくて、自分が入浴した時気付くと
その都度さっとやっておけば汚れが付かないんです。

夫には文句も言えなかったからピカピカにしてもらってほっとしました。

ついでに家中の床もすべてきれいに拭いてもらった。

洗濯物も私がいちいち指図するのを素直に聞いてくれて干してくれた。

若いころ、自分が男だったらこの子を嫁にしたい、って思ったけど
助かるわ~

帰宅した夫が、自分の下着まで干させたと、申し訳なかったと言ってたけど
彼女だからこそ遠慮なく頼めたのよ。

ご近所のMさんには買い物頼んだし、みなさんが何かあったら言ってねと声掛けしてくださいます。

ありがたいですね。

そういう自分は、人様が困っている時声掛けしていただろうか・・反省です。

なんて言いながら友人たちから「顔見に行くね」メールが来ると
「顔だけ見に来ないで、必ず何かヘルプをお願いします」なんて返信している。

なんとも図々しいというか、我ながらあきれるけどつい甘えてしまう。

それでもさすがに夫のパンツを干してもらうわけには・・・M子ちゃんごめんね、
ついあなたにだけは正面から甘えてしまいます。
元気になったら今度は私があなたを助けることができるかもしれない
少し期待しててください。



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