・・・昼に、何時ものジョグコースを半分は歩きながら、走っていると珍しくカモを見かけました。
この小川は、浅くて、あまりきれいではないのですが、毎年、カモをツガイで見かけます。
羽の色が綺麗ではないので、インタネットを調べると、種類はカルガモかと思いますが、季節と関係なく、この辺で通して暮しているようなので、種類はひょっとするとマガモかもしれません。
今は、冬で、土手は草刈りもされているので、通りから、隠れるところもないので、暮らしていくのに大変だと思いした。
・・・昼に、何時ものジョグコースを半分は歩きながら、走っていると珍しくカモを見かけました。
この小川は、浅くて、あまりきれいではないのですが、毎年、カモをツガイで見かけます。
羽の色が綺麗ではないので、インタネットを調べると、種類はカルガモかと思いますが、季節と関係なく、この辺で通して暮しているようなので、種類はひょっとするとマガモかもしれません。
今は、冬で、土手は草刈りもされているので、通りから、隠れるところもないので、暮らしていくのに大変だと思いした。
・・・昨朝の新聞によれば、日銀総裁は過去三年以上に続けて、行ってきた、金融緩和政策によるインフレ率2%の目標達成は、四年間も目標見直しをしてきて、今年の四月に掲げた目標は未達に終わったと発表した。
日銀の黒田総裁と安倍首相が、結果的に、国民をだましてきた事に対して、全然、反省せずに、インフレ率2%の目標の看板は下ろさないらしい。
今となると、インフレ率2パーセントと云う目標を掲げること自体が、間違っていたと云う人も多い。
そもそも、国民が、活発に消費行動を起こして初めて、インフレになるというのが順序である。
それをインフレにするために金を余らせ、消費を盛んにすると云うのはどう考えても、順序が逆だと思う。
国民をばかにしている考え方である。
国民が、自分の生活を守らないと怖くて、生きていけないと考えたら、どう考えても、物価が上昇するとは考えられない。
今の、日本人の平均寿命は80歳と健康寿命70歳との差は10年間で、その間は、不安で、金が要る10年である。
つまり、健康ではないが、寿命が長くなって生きている時に、今の日本では、多くの人が自己防衛しないとやっていけないと考えるのが普通である。
若い時から、その時に備えて、贅沢せずに貯蓄しょうと思って当たり前である。
そこの問題を改善せずに、金融緩和による、為替の円安で、一時的に輸出が増えて、ほんの少し、給与が上がっても、国民は消費行動には、移らないないのは当たり前である。
また、若い人が、自分たちの年金を将来、まともにもらえない様な見通しでは、老い先の10年を考えると、消費が盛んになるとは考えられない。
政府はもっと根本的な政策に手を打つべきである。
長生きすると、幸せになる、世の中を作る政策を実行しないと消費は豊かにならないでしょう。
・・・私が何時も、暇なことを知っている娘が、時々、自分の気に入った工作物の注文を、わたしにくれる。
今回は、表題の「バードアスレチック」の製作の注文である。
上の写真がその品物の例らしい。
インターネットで調べると、値段は4000円くらいするらしい。
私としては、同じものを作っても面白くないので、庭にある枯枝を使って自然木の「バードアスレチック」を作った。
止まり木とブランコだけの単純な物ではあるが、実用的には問題ないと思う。
この品物の良い点はすべて差し込み式になっているので、全てバラバラになってしまっておけることである。
工作の最後に、レザーカッターで私の製作印を書き込んで終わりです。
・・・タコの脳は9個で心臓は3つとインタネットの記事に書いてあった。
どういうことなのかと調べていて、タコの心臓と脳は、人と同じ機能を有したもので、進化の過程で、機能ごとに独立することで、おのおの、数が増えたものと思われる。
タコの脳が9個あると云うのは、人間の脳と同じ基本機能の主な脳が一つと、8本の足の動きを早くするために足の付け根に神経中枢があると云う事で、合計9個なのです。
人間も、脳までいかないで、反射的に、脊椎から手足に信号を送ることがあるそうだから、それと同じと思われる。
つまり、足の素早い運動を発達するために、足の付け根に神経中枢が発達したものらしい。
其れと同じように、タコの心臓も、人間の心臓は体にきれいな血を送る心臓機能と肺に汚い血を送る心臓機能が一つの心臓にあるが、タコの場合は、運動機能を上げるために、二つのエラに血を送る心臓2個と、体にきれいな血を送る心臓が独立し、おのおのの機能を上げるために進化し、3個心臓があるらしい。
自然の不思議である。
・・・新聞の記事に「赤と緑色の違い」についての記事が載っていた。
私は対極的な色の様な気がしていましたが、実はとても近い色なのだそうです。
従って、哺乳動物で霊長類を除いて、赤と緑は同じように見てしまうらしい。
犬や猫は緑色と赤色の区別がつかないと云う理由は、これらの動物はそれらの色の違いより、暗いところでも見える視力を重視して進化した結果、重要でない赤と緑の違いを見分けるより、夜間視力の能力を上げるべく進化したらしいです。
ではどうして、霊長類は夜間視力強化より赤と緑色の区別の視力の向上に進化が置かれたか。
その理由はいろいろ言われていますが、
その一つは森の緑の中で、熟した木の実を、見つける能力を上げるため。
そのほかの理由に、相手の微妙な表情の変化を見分けるためなどとも言われているそうです。
ちょっとした事にも、とても深い理由があるのは面白いことです。
・・・何時も通るジョグコースの道のそばの畑に、何時通っても、猫が必ず2匹以上は屯している場所がある。
今回、通った時はバラバラに3匹いた。
実は、ここに猫が集まるのには理由があるのを私は知っている。
以前、通った時に、近所の奥さんが、住宅街から、遠く離れている、この場所まで来て、 屯している猫に、餌を与えているのを目撃した。
猫は、ここに来れば、餌に在りつけるのを知っているので、自然と朝のこの時間になると集まるらしい。
・・・土曜日の朝6時から、NHKのラジオの文化講演会の再放送番組を聞いている。
今回の話は京都大学総長、山極壽一さんの話でアフリカの熱帯林でゴリラの行動を観察し、人間社会との比較を続けてきた人と云う紹介があった。
その視点から、現代社会の問題点について、環境問題や子育て、家族の在り方などの話であった。
私はその中で特に面白かったのは、人間は老年期がゴリラに比べて長いのが特長である。
その理由は人間独特の家族社会の維持のために、若い人の世話をするために、長生きするらしい。
ゴリラに比べて人間は家族で子供を育てるのが特徴らしい。
老年期を、どう生きるかの一つの答えがここにあるような気がした。
もう一つ興味のある話は人間の特徴である、家族のきずなが強いことが、最近、弱体化しているが、その理由についての話である。
ゴリラとの比較研究の成果として、人間は家族のきずな深めるために、やっていることは
①お互いが話をするときは対面して、相手の目を見て話をする、このことはゴリラと人間だけが持つ特徴らしい。
②次に対面して接触、あるいは態度で、絆を深める。
③そして、もう一つは、食事を一緒にすると云う事で、他の動物と違って、家族のきずなを深める。
こんな特徴を持つことで、社会を形成し、家族のきずなを強め、人間は生き残ってきたらしい。
最近、IT技術の進歩や経済の発展により、人間社会のコミュニケーションが変化してきており、それによって、家族のつながりが弱体化してきた。
講演会の話の結論として、このままいくと人類の生存もおかしくなってくるかもしれないので、人間社会の基本である、家族のきずなを深めるために、食事や家族での団らんなどの本来の家族の日常コミニュケーションを見直さなければならないと、云っておられた。
・・・新聞の記事に気になった文章があった。
「生命の基本形は女である」と、生物学者の話である。
38億年の生命進化の歴史の内、最初の30億年は男性は必要なく、女性のみの存在だったらしい。
進化の途中で、遺伝子の使い走り役として、男性が現れたそうである。
何億年も昔の話なので、話半分ではあるが、何となく、それらしく聞こえる。
そもそも、この世の中の男子と女子は対等の存在であるにも拘らず、私の身の回りを見ても、日本全体においても、女子の方が、寿命が長いことに、私はかねがね、それは何故なのかと云う疑問を持っていた。
新聞記事の文章によれば、「男子は生物の基本形を逸脱し、もともと、存在しなくても良かった性だった」からかもしれない事が、その理由らしい。
男子としてはショックな新聞記事の文章ではあった。
・・・このことわざは司馬遷の史記には「禍に因りて福を為す。成敗の転ずるは、たとえば糾える縄の如し」、漢書には「それ禍と福とは、何ぞ糾える縄に異ならん」と書かれているらしい。
この意味は読んだ通りの意味で、同じようなことわざには次のような言葉やことわざもあります。
・苦あれば楽あり
・沈むせれば浮かぶ瀬有り
・上り坂あれば下り坂あり
2000年も昔から、人生の思いをこのような言葉にして、人が書いた文字・文章が残っています。
人の考えること、云う事は、人が生きる限り、変わらないとおもいました。
・・・ジョギング途中で、時々、農道で見かける猫がいます。
二百メートルも行けば住宅街なので、きっと、その猫は飼い猫だと思いますが、朝六時ごろ見かけます。
今朝、見かけたのは二匹です。
いつも、私がそばを通っても、じっと見るだけで、逃げないので、写真を撮らせてもらいました。
どうも親子みたいな雰囲気で、溝に頭を突っ込んでいる親猫の側で、砂遊びをしている子猫のように見えました。
私がそばを通ると、二匹は、今までの動きを止めて、農地の畔を去っていきました。
・・・昨日、買ってきたコーヒー生豆5種類の内、三種類の豆(キリマンジャロ、コロンビア、ガテマラ)を各、200㌘づつ焙煎した。
味を比べるために、焙煎程度はシティーロースト(中深煎り)と云われる、普通一般的な濃い褐色の味のバランスの良い程度に行った。
また、豆を挽くときは細挽きと云われる、ほぼパウダーに近い状態に飲む前に挽くことにした。
昨日、掲載した各豆の味のマトリックス。
上は私の自作したコーヒー豆の焙煎器。
三種類(キリマンジャロ、コロンビア、ガテマラ)の豆の焙煎前と焙煎後の豆三種類を一緒に撮影しました。
形が綺麗な豆はガテマラ、コロンビア、キリマンジャロの順です。
私が、飲んでみた 味の評価ではキリマンジャロ、コロンビア、ガテマラの順です。
一番おいしいと思ったキリマンジャロは苦みと酸味がバランスよく、一番強く味わえたからです。
次においしいと思ったコロンビアはコク、酸味、を感じて苦みは弱かったです。
最後のガテマラはコクが一番強く感じました。 そして、苦みと酸味が弱いですが、とてもバランスよく感じました。
それぞれのコーヒー豆を使った、炒り方、挽き方、淹れ方でそれらの味の強さ、バランスが変わると思いますが、今回の私のやり方での評価は上の結果でした。
・・・今朝早く、ラジオを聞きながら外を走っていた。
以下は、そのラジオ放送の中身についての話題です。
1965年くらいより前に幼少期を過ごした人と、その後の人では、蛙と云う生物に対する認識が違うそうです。
例えば、我々の年代はカエルには トノサマガエルもいればヒキガエル、ガマガエル、アマガエルとすぐにその姿と名前が頭に浮かぶが、最近の人はそうでないらしい。
また、蛙を食べたことがある、とか、カエルの身でザリガニ釣りをしたとか、蛙の尻の穴に、藁のストローを入れて、ふくらましたとか、「やった、やった」と相槌を打つ世代と知らない世代とかが、先にあげた 1965年くらいがその境らしい。
私は蛙の身を食べたことはなかったが、ザリガニ釣り、と蛙の風船は経験があった。
確実に、環境や暮らしが時代と共に変化していっているのを感じる話ではある。
・・・私たち子供の頃は野良犬を見かけることは珍しくなかったのですが、今は野良犬を町で見かけることはありません。
そして、街で、見かけるのは、昔の雑種の犬ではなく、高そうな犬ばかりです。
しかし、同じペットでも、猫の場合は犬と事情が違うようです。
公園や、畑で野良猫を見かけることが多い。
昔とほとんど同じくらいの頻度で、野良ネコを見かける。
上の写真は、先日、畑の中の物置の下に、生まれて間もない子猫を見かけた時のものです。
物置の下で寝起きしている野良猫家族がいるようです。
畑では野良猫をよく見かけますが、生まれたての子猫を見たのは、今回が初めてでした。