・・・我々は学校で、古い時代は日本や奈良盆地の呼び方などを「大和」と云ったと習っている。
最近、読んだ「大和古墳群と初期大和政権」と云うテキストによってその土地の呼称の変化を整理されているので、新しく知った内容もあった。
大宝律令以前に書かれた藤原宮から出土した木簡によると奈良盆地東南の地域を「倭国(ヤマトコク)」と書かれている。
「続日本紀」の和銅六年(714年) 条に「畿内七道の諸国郡郷の名は好字(二字や良い意味を持つ字)を書け」とあり、倭国(ヤマトコク)が大倭国(ヤマトコク)と改められている。
さらに、天平七年(737年)に大養徳国(ヤマトコク)と改称、更に、天平宝字元年(757年) に現在の大和国(ヤマトコク) となったと書かれている。
参考までに、一般的には「日本国」と云う呼称は701年に制定された大宝律令が最初とされている。
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