ジョギングはシャンパンの味

ジョギング、写真、革クラフト、木工、パンつくり、日本の古代史などを趣味にして楽しんでいます。

余生について

2011年02月25日 07時50分15秒 | エッセイ

・・・人間が生まれて、成長して、老いて死ぬことは何百年も前から、同じである。
  しかし、この基本が変わらないのに、我々が生きている社会が変わってくるので、その社会で生きている我々は自分の意志と関係なく、寿命も変わるし、生き方も変わっていく。

  昔の日本は
  子供らしく、女らしく、年寄りらしくなどと云う言葉あって、自分たちが意識しなくても服装や、しゃべり方、行動を自己規制し、また、周りから規制されて生きて来た。
  こんな社会では、老人は物理的に寿命が短いし、それ以上に自己規制で老人として、年を重ねていったに違いない。

  しかし、今の世の中に置いては
  子供らしく、とか、女らしくなどと云う言葉は反発される言葉であって、自分の置かれた状況は関係なく、皆、生きたい様に生きるという個人の考え方が大事にされるようになってきた。

  日本人の寿命が男79歳、女86歳となる現代社会では、老人の物理的年齢も一昔前の老人の定義と変わってきていて、その余生は長くなり、老人の生き方も規制されることなく、人によって、青春を復活している人もおれば、昔通り、老人らしい年を重ねる人もいると言うように、人の生き方は千差万別になった。

  いま、現代の私たち老年域に入った人間にとって、昔と違って、寿命が伸び、長くなった余生を規制がないだけに、自由に自分らしく余生を充実して送ることは意志としては実現出来るが、実際の生活では、意志だけでなく、経済的、精神的、肉体的、社会とのかかわりなどを充実しないと、昔以上に、実現することが難しいテーマになってきている。 

  

・・・上の写真は朝、まさに消えて行かんとする『月』であるが、地上の景色と離して見ると色薄く消えていく月であるが、この写真のように、周りの景色との調和、青空とのコントラストなどを考えて配置することによって、同じ月の写真でも素晴らしくなったり、映えて来たりする。

  考えようによっては、写真の撮り方も、老域の余生のように私は感じました。

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