・・・私は相変わらず日本古代史の本を読んでいますが、読んでいる本の中で珍しい古代日本地図に出会ったので紹介します。
・・・日本の昔、弥生時代の後期の邪馬台国の時代に中国、朝鮮の人が日本の地形をどうとらえていたか云うことについてはいろいろと論争があります。
有名な「魏志倭人伝」に掲載されている内容で、中国の出先である朝鮮の楽浪郡から卑弥呼の住んでいた邪馬台国までの旅程記事によって邪馬台国の地図上の位置を推測する時に、有力な説として、昔の中国の人は日本は朝鮮半島から南北に長い国と考えていたという考え方があります。
下の地図は南北に長いという当時の中国の人の考えたの論証に使われる、最古といわれる世界図が下の『混一彊理歴代国都之図」です。
作られたのは1402 年で写真は龍谷大学図書館のライブラリーから引用しました。
『図書館の解説文』
縦一三〇cm×横一六〇cmのこの地図は、明治になって朝鮮から将来されたもので、朝鮮の役の際、加藤清正が熊本の本妙寺に献納した「大明国地図」などと同じ系統のものとされている。
地図の下段に記される由来によると、この図は、朝鮮使として明に派遣された金士衡と李茂が李に命じて、李朝太宗二年(一四〇二)に作成させたものである。この図の基となったのは、李沢民の「声教広被図」と、僧清の「混一疆理図」を合わせ、さらに朝鮮と日本とを描き加えたものという。
この図に描かれた日本は、日本の東西方向が誤って南北にほぼ九十度右に廻転してしまっている。
しかし、その基図になったのは、わが国を具体的に描き現わした最古の地図「行基図」によったものと解されている。
「行基図」は、奈良時代の僧、行基(668~749)が作ったという伝承つきの地図。
現在確認することのできるものではもっとも古い日本図です。
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