昨日、定例の通院の事を書きましたが、通常は受診後、自宅近隣の調剤薬局へ行くのですが、雨も降っていたので今日行ってきました。この調剤薬局さんは、ある病院に隣接しているので、そちらの患者さんが主なのですが、今日は、たまたまその病院が休診。ほとんど開店休業?状態で、薬剤師さんからは、「多分、本日唯一の売上になるかも」って言われました。私としては、ゆっくり薬剤師さんとお話が出来、少し得した気分でした。
昨日、いつもコメントを書き込んでくださるプリンの天使様から、
ブログのテーマとして、
『静岡人から見た各県やその県民のイメージ』
という提案を頂きました。
大変ありがたく、そして私も面白そうと思い、
そんな感じの話題について書きたいと思います。
ただ、私も文章力がないのと、
いつも気ままに筆の赴くままにブログを書いているので、
途中で、テーマとはかけ離れた内容になるかもしれません。
その辺はご容赦いただければ幸いです。
前置きはこの辺で。
(長くなりそうな予感がするので、何回かに分かれるかも。)
さて、私は前のブログにも書きましたが、
親が転勤族だったので、静岡市で生まれた後、
大阪・浜松・静岡・東京・沼津・静岡と引っ越し、
その後、大学社会人となった後、
横浜・東京・静岡・横浜そして現在の静岡市に住んでいます。
(今更ながらの自己紹介)
良く、田舎の人間というか、若者は、
東京に憧れるって言いますよね。
田舎の退屈さや、閉塞感、濃密な人間関係の窮屈さに比べ、
都会の華やかさは、前途洋々?輝かしい未来?を連想させます。
私も、初めて小学生で静岡市から文京区へ引っ越した時、
いろいろな意味でカルチャーショックを覚えました。
静岡にも電車は走っていましたが、
まあ、乗る機会は遠くへ旅行っていう時しかありませんが、
東京では、「ちょっと、街へ」ってだけで、電車に乗ります。
デパートはでかいし、沢山の人混み。
小学校は給食じゃなく弁当。
(これはたまたまの特殊事情だったのですが)
冬は教室にストーブがあるし。
(静岡は暖かいので確かなかった?)
みんな長ズボンはいているし。
(静岡はほとんどみんな短パンでした)
チンチン電車は走っているし、
(今は荒川線のみ残っているようです)
バスはトロリーバスだし。
(開業から16年後の1968年に全廃となったらしいです)
私自身は特別に都会に染まったつもりはなかったのですが、
東京から沼津に引っ越した時が衝撃でした。
私は中学生でしたが、東京は普通の髪形ですが、
沼津は坊主頭にしなくてはいけない。
まず、これが嫌で嫌で仕方ありませんでした。
学校では、周りは沼津弁(あたりまえですよね)。
どえらい田舎感に私は打ちのめされました。
自分だって、もともとは静岡市の田舎者。
今思えば、目くそ鼻くそを笑う?っていう感じでしょうか?
沼津を鼻くそというのは失礼か・・・ごめんなさい。
自転車はチャリンコ。
走って行け!は飛んでけ!
今日のコンサート行くら?
(今日のコンサート行くだろう?)
沼津でそれを言えば、「行くよ!」って帰ってきます。
それを東京で言えば、「2000円」って帰ってきます。
でも、住めば都。
意味が違うなあ。
いつしか、沼津スタンダードが染みついて行きます。
そういえば、今は全然しゃべれませんが、
大阪にいたときは大阪弁、浜松にいたときは浜松弁、
沼津にいたときは沼津弁でしゃべっていました。
今は静岡弁?
自分ではわかりませんが。
そういえば、大学生の頃、中学高校ずっと同級生であるT君と、
屋台でおでんをつつきながら酒を飲んでいたら、
(私は付き合いでビールコップ1杯だけでしたが)
屋台のおじちゃんから、
あんたたち静岡県の人間?って聞かれたことがあります。
自分たちではわかりませんが、
やっぱり方言でしゃべっているんでしょうね。
さて、本当に書きたいことに未だたどり着けません。
続きというか本題はまた次のブログで。
プリンの天使さんごめんなさい。