とうとう 学校という場所が ジャガイモのように同じ規格の考えの人を育てる場所というわけには いかなくなりました。
自治体によって 開校できるところも できないところもできているようです。
先生という職業も この危機で 自主独立して オリジナル性を発揮できなければ 文部省の規格教材が そのまま役立ちません。
大人が学力を心配するのならば 学力は何のために必要なのか
どうすれば 学力が身についたといえるのか 落ち着いて考えてみるのもよいかもしれません。
低学年のお子さんは まず飲み物を家族人数分にわけたり ケーキを切り分けたりすることで 実体験を伴った経験が 言葉を実際の事象を思い浮かべるのに 役立ちます。それは 百聞は一見にしかずだろうと おもうのです。
高学年のお子さんは 追われて理解せずに素通りすることなく じっくりわからないことを わかるということが とても自分に役立つし 長い文学作品を通して読む時間をもてば 人生に役立つ出会いになるかもしれません。
この社会の休みは 負の思考にとらわれてしまいがちですが
大人にとっても 子供にとっても 大切な人生の価値観をみなおす
良い機会にしたいと
もう成人してしまった子供の親でも 考えています。