パソコンを触るようになって1年は全く使えなかったものです。当時はプログラムを入力しないと使えませんでした。
次世代パソコンはインターネットにつなげられても 2年間は使えていないと同然でした。
三世代目で パソコン教室に通ってやっと 仕組みのイメージができ 少し使う気になりました。
でもいまだ使えてはいません。プログラムできないと やはり使えているとは言えないかもしれません。
パソコンを知らないおばあちゃんの妄想によると
日本での稚拙さは おせっかいな日本語によるソフトが
親切すぎて パソコンの良さが生かせていない気がしてもいます。
シンプルなままのソフトを使わせてくれるといいのに なぜかわかりやすいと称して稚拙なものが搭載されてて 使えないくせに うんざりします。
加えて 道具であるはずが アプリの運営の金もうけの道具という役割が なんかおかしなものにしていませんでしょうか。
容量が おおきくなり速度が増すにつれ なぜか気持ちがはなれています。
日本でパソコンが使える人を 減らしてしまっているような気がしてなりません。
使い勝手を機種を変更するたびかえると 大事にしていたものが零れ落ち
大事に思う気持ちも失せるという気もします。
5年もたつと レシートの印字も 消えています。
写真も 黄ばむか取り出せなくなって消えています。
よいプログラムを長く工夫できると よいものが残せることもあります。
道具は長く使って 情報を積み上げるのも面白いものです。
50年前のミシンを92歳の母は今もマスクつくりに使っています。
それはとても良い道具ということでしょう。
不満はさらに 最近は 検索したい情報がでず 出ても わかりにくく
もっぱらグーグル検索ばかりするようになりました。
検索結果が違う気がしているのは 私が おばあのせいでしょうか。
情報の中身が大事なのに パソコンの売り上げばかりあげることばかり
企業は目指してきたのでしょう。 どんな使い方で質の良い情報をどう積み上げるか考えてきたかしらね。
料理は とても良い情報が積みあがってきた気がします。
特殊な技術のパソコン運用は 情報が積みあがっていると感じています。
でも 一般その他は どうなんだろう。
今回で見えてきたのは 役所の 事務作業には 手作業が必要なソフトしか育たなかった
ということになるのでしょう。
政府の電子化を進めるのに わかる人を抜擢してきたのでしょうかね。
しっかり考え直して パソコンを生かせる付き合いを
パソコンメーカーに提案してもらえると
意外と面白いかもしれません。
例えば 生き物情報とか 植生情報の収集
気象情報から 健康機器と身体機能情報とかね。