家族が幸せに向かうためには 親子がよい関係でいることも 大切な要素だろうとおもうのです。でも過酷なのは 好みも考えることも 嫁と姑の間柄というのは互いに予測しあわないという現実です。
ところが その違いが 時として自分をバランスのよい方向に導いてくれることもあります。
自分の場合
結婚して新婚旅行をおえ はじめての家族四人での夕食のかたずけをしていたときでした。「あんたは 干支がひつじ年で人を食うといわれているけれど お姉さんを食っているから 大丈夫かもしれんね。」といわれたのでした。
私の姉は 小学一年生の夏 日本脳炎で亡くなっているのです。
なんてこと言う人だと思ったのですが 世間話のつもりかと リアクションなしで
あぜんとしただけでした。
その後も 姑には何気ない正直な会話でも 自分にはおどろく発言をうけました。
いやはや とんだことだ。先が思いやられたのですが
結婚して 一月のあいだに子供も授かり かえって覚悟ができました。
優しく迎えられなかったことで 悩みはしましたが
自分の両親以上のことを目指せば 疎まれてばかりにはならないはずだ。
親なら許すも許さぬもない。意思をつよくして なんとしても 離婚だけはしない。離婚させられないよう 何事も先回りして対策してでも 批判をかわそう。
その決意固く 今に至っています。
いつでしたでしょう 娘の風邪を自分もひき 娘の鼻水を口ですすっていたために ひどくしてしまったことがありました。ふらふらで 主人が姑に助けを求めると 「親子である以上 片時も離すことまかりならぬのだから 自分で何とかしなさい。」という返事でした。
厳しいようですが この一言は 本当にその後の母親としての覚悟ができた
ありがたい契機となりました。
いまや 年老いてしまった姑ですが 一人、気丈に過ごしています。
私は 卑怯にも 襲撃を避けて主人におまかせで訪ねていませんが ある意味
姑から連絡があるたびに 姉のことを思い出すことができ
姉との絆になっているようなきがしています。
負にとらえれば 残念ですが 良くとれば なにくそ元気にできるかもしれません。
きつい発言の嫁様だからこそ なにくそで元気にすごせるといっていらした方がいたそうです。
一発でも 何発でも 本当のことを言って 姑に活を入れていこうかしらね。
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