オズマの部屋 -バス釣り・政治経済・クルマ等-

「バス釣り日記」が主題。色々な話題を中年オヤジが持論で展開。「真実は孤独なり」を痛感する日々。

JB(TA)クラシックがついに終わり,オールスターは続きそうだが....。

2009年12月07日 07時52分03秒 | 2009オズマのバス釣りレポート
 『Basser』を久々に購入した。ちょうどそのとき,10/31に水郷に釣りに行っていたためでもある。

 赤羽選手の戦略は凄かった 久々に「トーナメントプロ」のすごさを感じた。

 写真は,右上が20年前のオールスター開催時,すなわち1989年の優勝者・佐々木保信=琵琶湖仙人が表紙になっているものである。歴史である。

 かつて,「JBTAクラシック・JBTAバスオブザイヤー・Basserオールスタークラシック」,この3大タイトルを獲得した人を「グランドスラマー」とよんだ。
 左上の若き今江プロと仙人が表紙になった1991年JBTAトーナメントブックでは,まだそのグランドスラマーが居なかった。

 そして1991年。仙人がJBTAバスオブザイヤーを獲得し,1994年には沢村プロがJBクラシックを獲得,1996年には今江プロが遂にJBクラシックを獲得し,それぞれが「グランドスラマー」になった。

 だが,JBクラシックはついにその歴史を2009年で終えることになった。
 1987年,秋元幸雄プロのヘビキャロでの優勝がいまだ記憶に残っているオズマにとって,JBクラシックの転換点は,「ショー」化された1995年大会,すなわち「バス・バブル」の年だろう。

 UHFだがTVで放送された。観客があった。バス業界が潤った。さまざまなメディアが出た。

 だが,「ショー」では「オールスター」に適わなかった。それは,「オールスター」が,土浦をメイン会場に移した1994年大会からとくに顕著になったと思う。

 JB(TA)クラシックの人気凋落は,ひとえに「その価値」ではないだろうか

 若手が優勝し,トーナメント全体を盛り上げる(ゴルフの最近の人気と同じである)。しかし,相次ぐプロの不正問題,ワーム禁止の河口湖での開催など,一般のアングラーにとって,もはや「わざわざ出かけて」見るものではなくなったのだろう

 「オールスター」はその逆で,観客が楽しめる部分がちゃんとある。しかも,霞周辺で釣りもできる。オズマがその昔「的当て」をしたように,小さなフィッシングショーという感じだ。しかも,選手と地元と観客が一体となっている。なにしろ,土浦駅に
   「オースルターへようこそ
という垂れ幕があったのだ(いまでもあるのだろうけれども)。

 「オールスター」自体は,『Basser』が続く限り続くだろう。しかし,書店で普通に『Basser』を購入することが困難になってきた。たぶん,部数が伸び悩み,配本部数が少ないのだろう。追加配本もない感じである。したがって,今月は釣具屋で買ってきた(昔はそれがアタリマエだったが....)。

 JBは,トーナメントが細分化されすぎているのではないだろうか 
 「エコタックル」はいいと思う。
 しかし,エリート5・バスオブザイヤー・TOP50.......などなど,そのタイトル名だけで,「いったい誰が本当に強いのかがわかりにくくなっているとも感じる。
 なにより,琵琶湖戦がなくなり,“ダイナミック”な釣りがあまり公開されなくなった。それもまた,トーナメントの盛り上がりを欠けさせるには十分すぎてしまう

 オズマがダイナミックな釣り,いや,昔からある「クランク・スピナベ」が好きなのは,それが釣れるせいもあるし,やはりライトリグにない魅力があるからだ
 
 ライトリグも行うが,オズマとしてはよほどの覚悟がないと臨めない。ライトリグでも「あくまでも攻め抜く」;今江プロがかつて語ったように,その気持ちでないとオズマはライトリグに臨めない。

 とにかく,これでバストーナメントの時代が一つ終わった。新しい形が生まれるのかどうか,それは環境省指定の特定外来生物法も深く関わる問題だ。

 国内GDPを考えたら,バス釣りの経済効果,小さいが無視はできないものだと思う。民主党にはバス釣りをする議員は居るのだろうか.....。

懐かしの『FINAL BATTLE ’91』をDVDバックアップして観た

2009年12月07日 05時56分29秒 | オズマのバスタックル

 いまから18年前のビデオである。その名は『FINAL BATTLE ’91』
 1991年JBTAプロサーキット最終戦の,河辺・佐々木(琵琶湖仙人)プロの釣りをドキュメントしたものである。


このタイトルだけで購入しましたよ。当時は。
それほど大きかったJBTAの存在。



3年連続バスオブザイヤー獲得できなかった今江プロ。
このとき「ストラクチャーフィッシングの限界を感じた」といい,
翌92年琵琶湖全勝というのは記憶に新しい。



下物「バットマンタワー」。
これとほぼ同じ構造物が横利根にもあったので,
「横利根バットマンタワー」と友人とよんでいた。
釣れ方も,まさに「バットマンタワー」だった。



仙人。バットマンタワーで炸裂
ディープショットのニーリングというカッコイイ釣り。
結局,オズマもこうしたスタイルに憧れているのだ。



対する河辺プロは当時「ライト河辺」だった。
グラブのイメージが強かったが,いまは違う。



仙人と河辺プロが握手している。その後ろで佇む今江プロ。
ちなみに,オズマは当時,今江プロ・仙人の着ていたこの
レインスーツを購入した(4万もしたっけ)。



結局逆転勝利で,3大タイトルを獲得。
バサーオールスターを89年に,JBTAクラシックを90年に,
そして91年にJBTAバスオブザイヤー獲得。
しかし,現在この記録は公式記録に残っていないようだ

 このインタビューで,仙人はいう。
    「今江君のビデオで“根性”を学びました」
と。時代である。根性が,『巨人の星』世代が若者であった時代だ。


それを複雑な表情でみる今江プロ。
ちなみに,左隣がガイドを受けたことのある
藤木プロ(計3回;琵琶湖で)。
みんな若かった。


 このDVDへのバックアップも,また,いつ逝かれるかわからないVHSテープのためである。そして,印象深いシーンをこうしてUPしておくと,オズマの青春時代がよみがえってくるようだ

 そして,いま,初代コンバット・ウォーリアー,2本目を購入。古くてもいい竿はいい。
 温故知新である。なにより,この当時の今江プロの「根性」が詰まった竿。それが初代コンバットなのだ。それで釣ること自体が嬉しいのである。